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喪失と獲得

人は失敗した方が魅力的なのかもしれない。
それも、些細で可愛らしいもの。周りがどう扱っていいのか困るようなどん底に落ち込むようなシビアな奴ではなく、がんばったんだけどな!とか、おっちょこちょいめ!とかに分類される類のものだ。

多少の瑕疵はたぶん人を魅力的に見せる。完璧超人よりは身近で親しみやすくて、妬みも嫉みも沸いてこない。多くの人が、自分が思うことで自分の嫌な部分が滲み出てくるのは気分の良いものではないだろうから。

家に子供と籠もって2ヶ月目。私は仕事柄、延期が繰り返されており、旦那は逆に多忙で休日出勤すらしなければならない職種であるから、学童も習い事もない子供たちをみるのは私である。覚悟はできていたけども。

毎日のルーティンをメモしておく。メモであるから、それだけのことだ。

目覚めて、学校からの指定の用紙に体温測定し、朝ごはんは息子が用意。その後、学校指定のレポート、プリント、音読。私はコーヒーを沸かして飲んで、昼ごはんの時間帯を相談。炊飯器をセットして、炊けるまで子供はゲーム。私は今日のnoteに何を書こうか考える。書き上げられたら書いてしまう。

ご飯なら炊ける15分前から支度。どうぶつの森の午前中のカブ価を子供たちが折れ線グラフに記入して、ゲームをセーブ。昼ごはんは簡単な作業なら子供たちを呼んでやらせる。サンドイッチ、オムライス、パスタ、そうめん、焼きそば、おにぎり、etc…。品数にこだわると続かないから、同じものが続かないようにだけする。

終わったら子供たちが皿を洗う。その後はもう一度勉強。買ったドリルをちびちびやる。志なんぞ高くしたらもたないから、やったことをまずは褒める。

仕事は今は少ないので、ここでメールのやり取りを済ませる。午前中に書けなかったらここでnoteを書く。

15時頃から運動。庭に出て、3人で縄跳びをカウント。息子は300回続けられるように。私は100回以上続けられるように。娘は1回でも前の日を上回るように。次はストップウォッチで各自の家の周りのランニングのタイムを測る。下の子には上の子が付き添うから息子は実質2周する。

終わったらバスケットボールを出してきてドリブルドリルをやる。私は撮影したり、NBAのお手本を見せたり。娘がドリブルは遊びで付き合う。そのあとはシャボン玉をしたり、フワフワ素材のフリスビーをしたり、庭の虫を探して眺めたり、定期観察している花を撮ってInstagramに載せる。たまに川添いの散歩に出かける。先日は川辺に写生に行った。

家に入ったら消毒して、子供たちはゲームを再開。午後のカブ価をチェックする。たまに家中の段ボールやらを集めておいて工作したりする。週に一回は皆でお菓子を焼いて、その日と次の日のおやつにする。

お菓子を焼かない日に、私だけが買い物に出かける。朝は老人が大挙して詰め掛け、昼からおやつどきはリモートワークの方々が早めに買い物に来て混んでいるので、結局夕飯前が空いているのだ。

買い物は、週に2回に減らした。帰ってきたらやっぱり消毒して、子供たちが洗濯物をたたみだす。私は次の日の麦茶を煮出しながら夕飯作り。だいたい毎日、1キロくらい消えてしまう肉を、どんな料理で食べようか思案する。

子供たちから食べさせて、作ったときと食べ終わった子供たちの洗い物を先に終える。その間に明日の旦那の弁当のおかずを考えて、作っておく。だいたい夜の材料を使った違う料理にする。私たちの昼ごはんの下準備もしておく。出来たらしっかり冷ましておく。

座って私の夕飯を食べようとする頃に旦那が帰ってきて、温め直すのに立ち上がる。

子供たちがお風呂から出てきて、旦那の帰宅を喜んでいる頃、冷め切った食べ途中の私の分を食べる。仕事を終えた友達から連絡がきて、少しやりとりをするのが楽しみだ。

21時になると全員でトレーニングの時間。娘がカウントしてプッシュアップと腹筋、全員で背筋、プランク生き残りタイムアタック。終わったら子供たちがやっと床についてくれる。

ここから旦那と会話し、入浴し、洗濯物を干し、旦那が就寝。冷めた麦茶をポットに移したら、忘れないようにお弁当の下準備を冷蔵庫へ。ドリルの答え合わせかミシンを取り出してマスクを縫う。元気があったらゲームを少し進める。1時くらいから本を読みながら就寝。

毎日これの繰り返しだ。もう一生これなのかと思うくらい同じ。

はたから見ればたぶん楽な方なんだろう。こんなこと、主婦なら当然だろうから。

毎日毎日この繰り返し、なんだか、飯炊き以外に私の生きてる意味がよく分からなくなってくる。専業主婦に向いてないな、と子供が赤ちゃんだったときに思っていたときと同じような感情になる。

家にいられるだけでありがたい。
子供たちが元気なだけでありがたい。

その通りなので、おとなしくしている。が、私は料理を除く家事が苦手なので、家にいてそれをやるしかないのは、非難を覚悟で控えめにいうと、緩やかな地獄である。向いていないからこそ、旦那が在宅できずとも兼業主婦を選んでいて、それぞれに自由時間を設けながら、それぞれができる家事のサポートをする家族のかたちを模索していたはずだった。

昨年の庭の梅の木になった青梅を冷凍しておいたので、梅シロップを作って片付けた。庭の梅は今年は豊作そうだからである。

…などと、家にいるんだから、と何かしてみるものの、面白くもなければ、とにかく家の片付けが苦手でそれがかわいらしいレベルではない。映えるオシャレなカフェご飯も作れないし、外にコーヒー飲みに行きたくて仕方ないし、在宅勤務に慣れていたとしてもオフィスで仕事もしたい。

朝ごはん菓子パンだし、お昼は茶色い肉弁当だし、おやつはまとめ買いだし、夕飯はクックドゥを使うし、王将の焼き餃子買って帰るし、掃除は適当、洗濯物は時々山になるし、学童のお迎えに間に合わなくて息子に娘をピックアップしてもらったりするけど、土日どちらかに私はバスケ観戦、旦那と娘はキャンプ、息子は友達とカラオケの生活の方が、好き。好きだよ…。

頭では理解している。伝染させないために家から出ないこともたぶん大事なこと、あまり気管支の丈夫でない下の子のためにはたぶん最善なこと、今はストレスをためずに元気でいることが唯一できることであることも。

でも、私はこの社会から断絶している世界が苦手。

私にとってSNSの世界は社会であるようでないような場所だ。確かに繋がっている。会うことのできない人たちが、元気でいることがわかること、それはとても有難い。でもこれはとても脆くて、実体よりときに残酷で、形が分かりにくくて、うまく立ち回るのに少し難儀する。

外でコーヒーが飲めた頃、私は仕事帰りに、コの字型のカウンターで人々が過ごす中にいるのが好きだった。知らない人、きっと関わることもない人が、同じコーヒーを飲みながらそれぞれ思い思いに過ごしている。私もそうしていた。

全く同じものを取り戻せる、とはもう思っていない。でも、全て仮想で済ませられるそうでない世界にすぐ変容できるとも思えない。たぶん、以前とは何かを変えたかたちで現実を新しく獲得しなければいけない、そんな気はしている。


2020.04.17.