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価値
私の価値はまあまあショボくて、せいぜい細々仕事するくらいと、旦那と子供たちにマシな料理を提供することくらいしかない。
だから私の書くものになぞ価値もないのだが…と言い出すと、あまりにしみったれているので方向性を変えよう。
私は、私にはたいして価値の無い凡人だからこそ、そうでない人に強烈な憧れを抱いて暮らしている。スポーツを観るのはその最たるものだ。
こんな時期は、何があっても、無いよりはありがたいものだ。私も、私の好きな、バスケットボールで、選手の皆が、再びプレーできる日まで、無事でいるだけでいい、と思っている。
生きてさえいればいい。
だから、多くは望まない。
ただ、3人制の契約が更新されたときはなんて幸せなんだろう、と思った。もちろん、試合があるかは分からない。あったとしても、観客として参加はできないだろう、と私は半ば、諦めている。
とにかく、嬉しかったのは、本人のSNSが稼働して、きっと元気でいるのだ、ということと、そして何より、何より嬉しく、何より幸せだったのは、この夏も、大好きな選手が「バスケットボール選手」として存在できる、ということだ。
バスケットを生業にする選手をこの4年間、観に行った。所属していたために観に行ったチームは5チームあったし、毎年なるべく全チームとの対戦が観られるように限界まで調整した。
バスケットボール選手の皆さまを観ていると、プロを名乗る方々の、バスケットに魅入られている様子を観ることができた。私は、努力も鍛錬も積み重ねているだろうことはもちろんのことだが、きっとバスケットボールが好きなんだろうな、と芯の部分で感じられる方々を眺めるのが好きだった。
私の言葉では薄っぺらいのかもしれない。もっともっと、世間というものに信用されている方が話さなければ無意味なのかもしれない。
常に私が(趣味としての)好きなのはスポーツする方々であることが多く、更に現在で言えば、私は「バスケットボール選手」が好きである。
私は、選手の皆さまには特別な価値がある、と思っている。思い込んでいる。なにしろ、バスケットをしているだけで多くの観衆を魅了させられるのだ。
それほど素晴らしいことは滅多にない。世界中を数えても、ほんの一握りの人が辿り着ける場所だ。
こういう時に、子供をダシにするのはあまり好かないのだが、あえて書く。
私の子供達もバスケットに魅了されている者のひとりだ。息子はどんなに下手でもバスケットを辞めていないし、娘は観ることで大きな尊敬と、羨望を抱くことを覚えた。
庭で外用のバスケットボールに空気を入れ直して、子供達はバスケットボールに触れている。私は、NBAのInstagramで提供されている、家にいる選手たちが行う、ごく基本的なスキルの動画を見せた。食い入るように見つめ、そして、笑顔で、真似をして楽しんだ。
トークショー形式も、素晴らしい。ファンサービスの気持ちも、とてもありがたい。誰が仲の良い会話をするのかだけでも、新鮮な喜びがある。そう、大人にはだ。
日本でも、身近な方法で、この家にいなければいけない期間、バスケットに取り組む気持ちを見せてもらえたら、きっと子供達も喜ぶのではないか、と思う。
我儘で、不遜な願いなのは理解している。
2020.04.27.