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明瞭

「はっきりさせたくて」書き出すことは非常に多い。私は、書く内容を起承転結、論理立ててから書き始めることは滅多にない。

ぼんやりとした違和感や、心の引っ掛かりがあるときに、直接書き出す。書き出しか、タイトルか、言いたいことの、どれかが思いついたらそのまま入力していく。

書くことによって、抱いていたそれがなんなのか、輪郭が少しだけ見えてくる。

だから今回のタイトルは「明瞭」。

はっきりさせたいことは、
「物事の白黒」
「判断の是非」
「思想の善悪」
などではない。書くことで、私がどう思うか、は伝わる言葉で書こうとはしているが、それを大きな何かや、他人や誰かの材料や主語としていこうとは思っていない。

いいわるい、という二元論に持っていくのはとてもわかりやすいし、何より叩きやすく、賛同も得られやすいのだが、それこそよく揶揄される全くの他人の「お気持ち」を読むことでの反意や嫌悪を、あたかも自分の言葉であるかのように感じないようにしたい。反論は単に相手の持ち物への嫉みに近い。もちろん、私も道を間違えることも多い。その度、戻って歩み直したい。

だから、なおさら私がいま何処にいるのか、だけを事あるごとに、心の中ではっきりさせたい。その整理整頓としての「書く」だ。

ふわふわして、どちらにも対応できて、そうして責められないように、殴られないように、憎まれないように、優しいと思われるように、全方位に気を配る守備力の高さは持ち合わせていないので、せめて立つ場所だけはグラグラしないように確認しないと、不安なのだ。

きっとこれは私の弱さなのだろう。

2020.04.28.