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ひよっこ物書きのこだわり:行間への想い

ゆーです。

最近、毎日コツコツ文章を書いてます。

昔から読書が好きってのもあり、「自分で色々書いてみたいなぁ」とも思っていたので、比較的止まることなく書けています。

ですが、プロのライターさんに比べると、技術力なんてもんは、まだまだ足元にも及ばない。
論文とかを書いたりすることはあるので、文章の構成には少し気を配ってる気でいるんですが、それでもまだまだ。

もっと読みやすいものを書きたい。
(無論、“内容も伴った上で”、です!)

そんな何もかも足りてないボクですが、一つだけこだわっているものがあります。

“行間”です。

句読点とかも比較的、気をつけて使ってるんですが、行間だけは特に気にしています。
気にしたところで、伝わらない文章能力だと意味がないのかもしれません。
でも、読んでいただいた方に、少しでも当事者になっていただけるよう、“臨場感”を出したいと思っています

もちろん言葉のチョイスも重要です(これも色々考えてはいるつもりです)。
ですが、やはり行間から出る雰囲気、コレが伴っていないとなかなかつまらない文章になっちゃう気がしていて…。

極端な話、めちゃくちゃどうでもいい話でも、友達との雑談感覚で読めるようなモノを書きたい。
どうでもいい話を書くつもりはありませんよ。笑
感覚の部分が重要です。

おしゃべりしている感覚で読めるモノであれば、読んでいてもしんどくないし、人柄がどんどんわかってきたら、“なんだか楽しくなっちゃう”なんて感覚も持ってもらえる気がするんです。

それぐらいに行間を大切にしたい。
文字をそのまま受け取るだけの世界観にしたくないんです!

言うなれば、漫才師さんが作り出す“間”に近いです。
言葉を発せずとも“間”があるからおもしろい。
これに似たことを文章で作り上げたいと思ってます。

言うは易し。
なかなか難しいんですけどね…。

でも、書けば書くほど、感覚としてなんとなく掴めてきてる部分もあって、「これはもう書き続けるしかないんやろなぁ」とも思ってます。

空気感や雰囲気って、その人特有のものだと思いませんか?
こんなボクをいいなと思ってくれる人がいたらいいな、と思って書き続けます。

自分のことなのに多分とか言うのなんですが、“多分キレイゴトでモノを言うのが嫌い”なんです、ボクは。

もちろん、正義であればなんでも言っていいわけではない。
正解バカ・正論バカになったりすると、嫌なやつにもなりますし、人を傷つけるようなことは、「事実であっても言うのは、違うんじゃない?」と思います。
言い方ってありますからね。

でも、当たり障りのない中途半端な意見を並べるのは、人として面白くないと思ってるんです。
なので、そういった性質の部分まで、文章で表現できたらいいなと。

鍛錬あるのみなんだろうなぁー。

少しでも「おぉー!」と思っていただけれたら嬉しい…。

これからもどんどん書いていきます。

お付き合いいただければ…

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