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ラヴェリアのハート

Drei Kisten ~箱に纏わる三つの掌編~」の3編目、ヴァレンタインデーに因んだお話です。
何度か上演していて、予告編バージョン、人形劇バージョン、朗読バージョンなどがあるのですが、noteでは読みやすさを考えて朗読バージョンを公開します。
今年6月に鎌倉の内藤医院で開催したグループ展「ハート展」の会期中イベントとして上演しました。

画像は、この作品を最初に上演した画廊喫茶Zaroffでの三人展「心臓は屋根裏部屋の箱の中」で展示した、箱の中の心臓のオブジェです。

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11歳の少女ラヴェリアは、両親と小さな家で暮していました。
慎ましい暮らしぶりではありましたが、家族三人身を寄せ合い、それなりに幸せだったのです。
あの日が来るまでは・・・。

「父さんも母さんも、今夜は遅いのね。
ちょうどいいわ。今度の休みに読むつもりで、学校から借りてきた本を読んでしまおうかしら。

Drei kisten 箱に纏わる三つの掌編。第一話『開けられなかった銀の箱』。
ダナは小さな家々がぎっしり集まった、町でも一番貧しい区画に、家族と一緒に住んでいました・・・
あら、母さんが帰ってきたみたい。

母さん?母さん?どうしたのしっかりして!
えっ、父さんが?・・・死、んだ・・・?」

ラヴェリアの父親は実直で勤勉な男でしたが、どうした気の迷いか、ダンスホールで働いていた、ラヴェリアといくらも年の違わない少女に入れ込み、周囲の者に気付かれないようこっそりアパートの一室を借りて、その少女を住まわせていました。
ところが、その少女に付きまとっていたごろつきがこのことを嗅ぎ付け、アパートに乗り込んできたのです。
酔っ払ったごろつきは、ラヴェリアの父親に食ってかかり、二人はもみ合いになりました。
そしてラヴェリアの父親は、運悪く開いていた窓から、三階下の街路に転落してしまったのです。
打ち所が悪く、病院に運ばれた時にはもう手遅れでした。
ラヴェリアの母親は親戚の食料品店を手伝っていましたが、連絡を受けて病院に駆け付けました。
そして夫の変わり果てた姿を目にして、目の前が真っ暗になりました。
悲嘆にくれる彼女に追い討ちをかけるように、気の毒そうな顔をした警官が、事情を説明しました。
ラヴェリアの母親は、やり場のない悲しみと怒りに押し潰されそうになりました。
いっそ自分も病院の屋上に登って、そこから飛び降りてしまおうかとさえ考えたのです。
でも、ラヴェリアのことを考えて、必死に心を落ち着けようと努めたのでした。

残酷な知らせが、ラヴェリアの元にもたらされました。
重苦しい空気に包まれた家で、母と娘は暗い顔を見合わせては、溜息をつき、そうして何週間かが過ぎました。

その頃、ラヴェリアの体に、赤いハートの形が現れました。
ハートの形は日が経つにつれ、段々と増えてきました。
彼女はよく一人の時、それを不思議なものを見るような気持ちで、ぼうっと眺めるのでした。
赤いハートの形は自分の身体の一部でありながら、自分とは無関係な何かのようでもあり、ラヴェリアはそれを綺麗だと思って見蕩れることもあったのですが、本当はそれは嫌な記憶と結びついた、おぞましいものでした。
赤いハートは、ラヴェリアが母親につけられた、痣の跡だったのです。

「ねぇ、セレナ。母さんはこの頃、ひどく私をつねるのよ。
夜遅くに帰ってきて、お酒の臭いがひどかったから、くさいわって言っただけで。
そうかと思うと、お前もそのうちあたしの前からいなくなってしまうのね、って私を抱き締めて泣くの。
確かに、母さんも可哀想だと思うわよ。父さんが若い女の子をこっそり養ってて、しかもそのことで他の男の人とけんかになったはずみに死んでしまうなんて。
だけどもっと可哀想なのは私だわ。母さんたらずっとふさぎこんでいつまでも台所に座ってたかと思うと、急にきれいにおめかしして外に出かけてばかりになっちゃって。
私は食べ物もないお家にいつも置いてきぼり。
でも淋しくなんてないわよ。セレナ、あなたがいるんだもの」

セレナは、ラヴェリアが7歳の誕生日に両親から贈られた、人形でした。
空想にふけるのが好きで、人形を相手にいつまでもお話を続けていられたラヴェリアには、一人でいることはそれほど苦痛ではありませんでした。
蝋のような肌を撫で、そのすべすべした感触を、ラヴェリアは羨ましく思いました。
母親の折檻がひどくなった最近では、ラヴェリアは彼女の姿を見ると、いつ怒られるか分からない恐怖で、心臓が早鐘のように鳴り出すのでした。
それでラヴェリアは屋根裏部屋を秘密の隠れ家にして、そこでセレナとの親密な時間を過ごしました。

「大人ってみんな馬鹿みたい。
セレナ、あなたがいれば、私は何も要らないわ
あ、母さん?!待ってて、セレナ」

母親の帰ってきた様子に、ラヴェリアは慌てて屋根裏部屋から降りてゆきました。
一人、置き去りにされたセレナ。
ところが、どうでしょう!ラヴェリアの姿が消えると、セレナは突然立ち上がってふらふらと歩き出したのです。
人形である自分の体を眺め、悲しんでいるようです。
そして、鏡に映った自分の姿を見つめ、顔を覆うと座り込みました。
そこへ、ラヴェリアが戻ってきました。
ラヴェリアはセレナの前に身を投げ出して泣きじゃくりました。

「痛い。苦しい。人間なんて嫌。セレナ、あなたと同じような人形になりたいわ」

しばらく泣き続け、ようやく落ち着いたラヴェリアは、体に残るハートの数を数え始めました。

「赤いのが8つ。紫が3つ。そのうち青くなって、黄色くなって、ほとんど分からなくなってしまうのよ。
赤いのは綺麗だけど、こんないろんな色が混ざったまだらの体は醜くて我慢できないわ。あなたの白い体が羨ましい」

やがてラヴェリアは、泣き疲れて眠りに落ちました。
するとセレナは再び立ち上がり、動き出したのです。
部屋の中のあちこちをうろつくセレナ。何かを探しているようです。
箱の中に何かを見つけて、取り出そうとするセレナ。
その拍子に、カタッと音を立ててしまい、ラヴェリアが目を覚ましました。
セレナはびくっとして動かなくなりました。

「セレナ・・・セレナ?!どこ、どこへ行ったの?
ああ、ここにいたのね。良かった。でもどうしてこんな所に・・・。
セレナ、聞いて。私ね、今、夢の中でお人形になってたの。
変な感じだったわ。体は全く動かせないし。目も閉じられないの。
どこも痛くないし、お腹も空いてない。心臓もどきどきしないのよ。
でもそのままの姿勢で、なぜか部屋の中が隅から隅まで見えるの。
それでね、私はたぶん、今のあなたと同じくらいの大きさになっていたんだと思う・・・。
回りにあるものがどれもこれもとても大きいの。
部屋も広くて、まるでこの狭い屋根裏部屋じゃないみたい。
その中に、ちょうど私と同じくらいの女の子がいたのよ。
もっとも小さくなった私から見ると、巨人みたいに大きく見えたんだけど。
私のいるところからは後ろ姿しか見えなかったんだけど、何だかその姿に見覚えがあるなって思っていたら、
なんとそれがあなたじゃない、セレナ。
つまり夢の中で私は人形に、あなたは人間に入れ替わってしまっていたのよ。
ほんとにそんなことになったら、さぞ面白いでしょうね」

ラヴェリアはふふっと笑いました。

「それにしても静かだわ。月がまるで銀貨みたいに光ってる。
セレナ、あなたの名前はね、月の女神セレネーから取ったのよ。
だってあなたの髪も肌もお洋服も、まるで月の光みたいに真っ白なんだもの。
月の近くで光ってるのは金星よ。金星は愛の女神、ヴィーナスの星なの。
そういえば今日はバレンタイン・デーね。聖ヴァレンティススの殉教の日。聖ヴァレンティヌスも、愛の守護聖人なのよ。
私にもハートを捧げてくれる恋人が現れて、この家から連れ出してくれたらなあ。
もちろんセレナ、そのときはあなたも一緒よ」

ラヴェリアは絶対的な愛である神の愛と、移ろいやすく脆い世俗の愛とを、ちゃんと区別して考えていました。
ラヴェリアの夢見る恋人はもちろん、前者の愛を捧げてくれる、抽象的な存在でした。
彼は庇護者であり、聖者であらねばならなかったのです。
そんな恋人の存在は夢物語でしかないということは分かっていたけれども、
それでもラヴェリアは、夢想の恋人に思いを馳せて、楽しい夢物語を紡ぎ続けたのでした。

「あら、もう夜が明けるのね。大変、お風呂の仕度をしなきゃ。
母さんが帰って来た時に、お湯の用意ができてないと、また不機嫌になって私に当たり散らすに決まってるわ。
セレナ、あなたは休んでていいのよ」

ラヴェリアは再び下に降りて行きました。
すると何やら階下で、悲鳴や物音がします。また母親の折檻でしょうか。
しばらくして戻ってきたラヴェリアは、どうしたことでしょう。ずぶ濡れで震えているのです。

「母さんがいつの間にか帰っていて、ソファでうたた寝してたの。
揺さぶって起こしたら、"今までどこにいたのよ"ってすごい剣幕で怒り出して、沸かそうとしていた桶の水を頭からかけたのよ。
それから、その辺のものを手当たり次第に投げつけ始めたの。
暴れるだけ暴れたら、寝室に入って行ってベッドに倒れ込んで寝ちゃったわ。
セレナ、私このままだと、母さんに殺されてしまうかも知れない・・・」

ラヴェリアは、ぐったりした様子で壁にもたれかかりました。

「でも、そうね。生きていても苦しいだけなんだから、死んでしまうのも悪いことじゃないかもしれない。
死んだら天国へ行けるのかしら・・・。
天国ってどんなところだと思う?セレナ。きっととても美しいところね。
赤い野ばらが咲き乱れていて、あなたみたいな白い服を着た綺麗な女の子たちが、草の上で輪になって遊んでいるの。
お花を摘んだり、歌を歌ったり、蝶々を追いかけたり。
それを優しい天使や聖人たちが、見守っているの。お酒を飲む大人はいないのよ。
小さな川が流れていて、その水はとても甘いの。きらきら光るお魚が泳いでいて、底には緑やオレンジの瑪瑙が沈んでいる。
夜になるとそれは大きな月が昇ってくるのよ。あんまり大きいから、月に住む女神セレネーの姿まで見える気がするくらい。
そうだわ、天国ではセレナ、あなたは女神なのよ。素晴らしいと思わない?
女神になったら、皆があなたに願い事をするわ。狩のこととか、あとは何かしら・・・。

えっ?セレナが動いたように見えたけど、まさかね・・・」

驚くラヴェリアの目の前で、セレナはふわりと舞い上がりました。
そしてラヴェリアの回りを飛び回りはじめたのです。
ラヴェリアは呆気にとられ、セレナを眺めました。その顔が段々と、嬉しさではちきれそうになっていきました。

「すごい、セレナが飛んでいるわ!これは夢なのかしら?
セレナ、私いつもあなたと一緒に、歌ったり踊ったりしたいと思っていたわ。それが叶うなんて。
ねぇ、私の言葉が分かる?何か返事をしてよ。
・・・そう、言葉は話せないのね。でもいいわ、動けるんだもの!
じゃあ私が歌うから、あなたは踊ってね。

ザー アイン クナープ アイン レースライン シュティーン
レースライン アウフ デァ ハイデン
ヴァール ゾー ユング ウント モルゲン シェーン
リーフ エァ シュネル エス ナー ツー ゼィーン
ザース ミット フィーレン フロイデン
レースライン レースライン レースライン ロート
レースライン アウフ デァ ハイデン・・・

ありがとう、セレナ。もう死んでしまいたいなんて言わない。
母さんだって、私がもっと元気になって丈夫になったら、負けてばかりはいないわ。
叩かれたって叩き返してやるんだから。
何か食べるものを探してくる。ついでに下も片付けてくるね。また母さんが目を覚まさないといいけど・・・」

ラヴェリアはさっきとは見違えるような足取りで、下へ降りてゆきました。

次の日の夜のことです。
うなされていたラヴェリアが目を覚ましました。
額は脂汗でじっとりと湿っています。

「嫌な夢を見たわ。私はまた人形になっていた。でも今度は体が動くの。私の意志とは無関係に。
私が望んでいないのに、体が勝手に動く。怖かったわ。
そして私は何か恐ろしいことをした。でもそれが何だったのか思い出せない。何だったかしら・・・」

しばらく沈黙が続きました。
やがて、ラヴェリアの目が恐怖で大きく見開かれていきました。

「・・・母さんを殺した。
そうだわ、思い出した。ナイフで何度も刺した。そんな事したくないのに、声も出せなくて、目も閉じられなくて、
母さんが叫び声を挙げながら、血を流しながら、必死に私に抵抗して、その力も段々弱くなって、それでも刺し続けた。
私の髪も手も服も真っ赤に染まって、血の匂いが立ち込めて。
それから動かなくなった母さんの心臓をナイフで抉り出した。
気付いたら、争っている最中に倒した燭台の火が床をに燃え移って、私のドレスの裾からも火が這い上がってきて、そして・・・そして・・・。
私、・・・私も死んだんだわ。

でも、私はまだ生きている・・・。どうして・・・?」

生々しい悪夢の記憶に打ちのめされたラヴェリアは、セレナの姿が見えないことにも気付かず、必死に嫌な感覚を追い払おうと努めていました。
ラヴェリアは日毎に辛く当たるようになってきた母親を恐れ、憎み始めていたのですが、自分のそんな感情をまだ受け入れられていませんでした。
自分の中に母親への殺意が芽生えていたことを悪夢によって気付かされたラヴェリアは、同時に他人を傷つけるという行為の恐ろしさを身をもって知り、自分が悪い感情を抱いたという、罪に対する罰に違いないと思ったのです。

「セレナ・・・?セレナはどこへ行ったのかしら?!
確かさっきの夢の中でセレナがふわふわ宙に浮き上がって踊っているのを見たわ。
あれがもし夢じゃなかったとしたら・・・。
そういえば、前にトランクの後ろに倒れていたことがあったっけ」

ラヴェリアはトランクに近づき、ゆっくりと蓋を開けました。
すると、中から出てきたのは、血と煤とで真っ黒に汚れた、変わり果てたセレナの姿だったのです。

セレナはラヴェリアの代わりに罪を引き受けたのでした。
自分を愛してくれたラヴェリアへの、感謝の印として。
ラヴェリアの母親はその後、自分の愚かさに気付き、ラヴェリアへの愛を取り戻しました。

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