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透明な夜、君を迎えに 第六話

新しい曲はいつも、天から降ってくる。
どうして天なのか、どうして降ってくるのか。
地から湧いてくるのでも、風に運ばれてくるのでもいいんじゃないかと思うけど、「天」から「降って」くるというのが一番ぴったりくる表現なのだから、仕方がない。

それは冒頭のワンフレーズだったり、サビの部分のメロディだったりまちまちだけど、一度降ってきたらそこから広げていくことはいくらでもできるので、電車の中だろうと、食事の最中だろうと、いやお風呂に入っている時だろうと、素早くスマホアプリの録音ボタンを押して鼻歌を録音しておく。
授業中とかはさすがにそういう訳にはいかないので、ドレミでメモしておいて、休み時間になるが早いか録音だ。
PCを開いている時だったら、そのまま音声合成ソフトを起動して、創作モードに突入することになる。
音がパズルのようにきっちりと嵌まっていくと、不思議とそれに合う情景と共に、歌詞も浮かんでくるのだった。

今、降ってきたのは、壮麗なパイプオルガンの音色だった。
辺りは暗い。
いつの間にか、眠ってしまっていたのだろう。
わたしは暗がりに、目を凝らした。

頭の中で響く架空の旋律が、実際には何も見えない空間を、色彩豊かに彩ってゆく。
スマホを弄ることも何もできない今のわたしは、その幻想の中に身を浸して、心ゆくまで自分の生み出す音楽を、楽しむことにした。

最初に現れたのは、不思議な色合いの森だった。
森なのだが、木々は緑や茶褐色ではなく、金属的な光沢を帯び、オーロラのように刻々と変化していく。
しばらく進んでいくと、四つ足の獣に出会った。

……獣、なのだろうか?
何とも説明のつかない姿だ。

顔は、人間だ。
髪は黒く、ウェーブがかっていて、思慮深そうな顔立ちをしている。
ところが、体は牛なのだ。
巨大な牛。
ああ、そうか。
件とかいう、妖怪なのかもしれない。
確か、未来を予言するんだっけ。

が、この獣の特徴はそれだけではない。
脚は、牛のそれとは明らかに違う。
たくましいライオンのそれだ。
鋭い爪が生えている。
そして更に、背中には大きな、鷲のような翼が生えている。
こういうの、なんだっけ。キメラっていうんだっけ。
悪いことの起こる前触れじゃないといいな、と思いながら獣を見つめていたら、それは

「ついてこい」

と言った。
いや、発声したわけではないから、テレパシー?

こんな歌詞、はじめて。
わたしの曲は大抵は、思春期にありがちな不安とか、ささやかな日常の楽しみとか、たまに(想像上の)恋愛なんかを歌った単純なもので、変なものが出てくるとしてもせいぜい喋るネコとか、一人暮らしなのに帰ったら食卓が整えられていたとか、そんなものだったのに。

そうか、今の生活が、日常から離れた非現実的なものになってしまったから、降ってくる曲の情景も、今までとは違ったものになってしまったのか。
そんな風に自分を納得させながら進んでゆくと、やがて道は森を抜け、舗装された道路になった。
両側には、殺風景な四角い建物が延々と続いている。
オーロラの色もすっかり消え、空の色は薄曇りのグレー。
建物は灰色で、光がないから当然影もない。
曲からもきらびやかさは姿を消し、通奏低音の中に切れ切れのメロディが、浮かんでは消えてゆく。

何となく思い浮かんだ単語は「収容所」だった。
そう、収容所ってこんな感じだったんじゃないかな。
戦争中に撮られたモノクロのドキュメンタリー映画のワンシーンが、頭をよぎる。

一体ここはどこで、どこに向かっているのか。
前を歩く獣に、聞いてみようか。
そう考えてたら

「青銅時代」

また、どこからともない声?が聞こえた。

「え?」

もしかして、私の考えが分かったのかな。
テレパシーが使えるなら、考えが読めても不思議ではない。

「人は、滅びたのだ」

何のことだかよく分からないけど、タイトルは「青銅時代」で決まりかな。
獣が、頭に浮かんだ疑問にすべて答えてくれるのかどうか確信が持てなかったので、声に出して聞いてみた。

「どうして滅びたんですか?」

「あらゆるものは、滅びることになっている」

「最初から決まっていたということ?」

「そう。お前には、滅びの先を見せよう」

オーロラの森も、かなり続いていた気がしたが、この四角い建物の続く道は、その比ではなかった。
一体いつまで続くのか。
これそのまま曲にしたら、さすがにリスナーも飽きるだろうなあ。
あまりの変化のなさに、ちょっと寄り道してみる気になった。
獣はついてこい、って言ってたけど、もしわたしについてきて欲しいなら、少しくらい待っていてくれるだろう。

横道に逸れ、建物の壁を四角くくり抜いただけのような扉の下を潜ってみる。

前を歩く獣の歩みが止まった。
思った通り、わたしの戻るのを待つつもりらしい。

その部屋は、建物と同じく四角だった。
窓が四角く切られている。
そして、他には何もない。

見るものも何もないので、すぐに外に出た。

なぜか馬鹿にされたような気分になり、ついでに隣の建物にも入ってみた。
やはり、何もない。

気分が滅入ってきた。
こんな曲、私の曲だって認めたくない。

「ねえ、他に何かないの?」

つい、口調が乱暴になる。
獣は、ゆっくりとこちらを向いた。

「お前が、それを望むのなら」

……。

急激に、空が暗くなっていった。
辺りの風景も、みるみる変わっていく。
どこかで見覚えのあるような、景色。

そうだ。
カレと暮らす工場の前の道だ。
見慣れた道だけど、カレと出会ったあの夜から外に出ていない私にとっては、ずいぶん久しぶりに見る風景に思えた。
不吉な重い旋律が、響き始めた。
目の前にいた筈の獣の姿は、いつの間にか消えている。

獣の姿を見つけようと、知らず知らず早足になっていた。
小さい畑を通り過ぎると、工場の敷地になる。
横道から、黒い影が現れた。

「えっ?!」

カレ、なんだろうか。
近寄ってみる。

「あ……い、いや」

それは、あのホームレスだった。
全裸で、こちらに向かってよろよろと歩いてくる。
切断された手足は、切断面を何かでくっつけたような状態で、辛うじて動いているが、ちょっと無理するとバラバラになりそうな不安定な様子だ。
最悪なのは、裂かれた腹からボタボタと血と内臓を滴らせていることだ。
潰れた眼球は飛び出たままだから、前は見えていないのだろう。
だからといって安心していられるわけでもない。
こういうモンスターは何かしらのレーダーを持っていて、獲物に襲い掛かってくると相場は決まっているのだ。

冷静な判断をしているようでいて、やはり恐怖心が勝っていたのか、わたしは転ばなくてもいい場所で足をもつれさせて転んでしまった。

ぺた、ぺた、ぺた。

ヤツは確実に近づいてくる。
起き上がろうと焦れば焦るほど体は言うことをきかず、私は無様にもがいた。
ヤツの顔が、わたしの顔を覗き込んだ。
潰れて垂れ下がる眼球、ギザギザに切断された首、そこからはみ出す赤い肉と、白い筋。
暗がりの中とは言え、その凄惨さは到底直視に堪えない。
思わず目を閉じる。

パイプオルガンの不協和音が、クライマックスに達した。

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