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『zakuro,その断片 /ver 0.8.0』 (9)

トビラ

 扉の向こうは嵐。行くべきではない。年老いた山羊が告げる。構うもんかとばかりに、使い古されたレインコートをびりびりに破る。

 私は酷く悔やんでいる。

 裏側があるなんて、見なければよかった。知らなければよかった。無知でいたってさえ、それでもよかった。無知と無垢は異なるけれど、無知でもよかった。そんな選択肢を思っては悔やんでいた。
 扉の向こうは冬だと云われた。冬なんて名付けないで欲しかった。嵐だなんて知らないでいたかった。なんだか知らないけれど冷たくて痛いものが刺さるから歯を食いしばりながらでも、光を待っている方がよかった。冬だからなんて理由付け、本当に、欲しくなかった。

 唇を噛み締めている。鬱血しそうなほど。

 それでも扉の向こうに行くんだよ。私は扉の向こうに行くんだよ。午前三時二十分を示す時計を壁に投げ付けたら、硝子の文字盤カヴァにひびが入った。荒々しい、私の内側のこの感情も嵐なのかしら? 否、そうではなくて。知りたくなかったのだ。ただそれだけだった。

 知りたくなかった。裏なんて見せて欲しくなかった。私という固体の中身が赤黒いどろどろと喘ぐ臓物だなんて、知りたくなかった。なのに切り開かれた。なんて、酷い、酷いひとたち。もう喉笛さえもが、噛み切られてしまいたい心地です。愛情に模した白鳥の湖。黒鳥になって赤い靴を履いて、永遠に踊りながら童話の頁を捲るお姫さまでは赦されないのだった。

 私は今度はカーテンを破った。

 見せたくなかった。私の痛みを見せたくなかった。痛くなんかない。全然痛くなんかない。そうやっていつもふふんと鼻を鳴らしてわらっていたかった。知りたくなかった。貴女が私を捨てたり拾ったり捨てたり拾ったりしていたことなんて。レタスだったなら良かったとさえ思う。私がレタスの一葉だったなら、みずみずしく汁をしたたらせながら、やがては地面に堕ちて腐ってゆけたのに。腐葉土になりたい。微生物に喰われて分解されゆく快感よ。

 扉の向こうは嵐です。赤い警報ランプが点いてアラートが激しく鳴り始める。

 扉を開けるよ。呟いてドアノブに手を掛けると部屋じゅうのものたちがいやいやした。こんなに色々なものがあったのか、と思うほど大騒ぎに厭だ厭だ危ない危ない飛ばされてしまうよ、飛ばされてしまうよ。部屋じゅうのものども一斉に大騒ぎに喚く。煩いなあ、もう。扉を開けるよ。びりびりのレインコートにスペードで火を点けて、酸素がまだ残されていることを確かめる。外に出なければいけないの。洞窟は通り抜ける為であって隠れる為にあるわけではないのである、ひとの心と同じように。知りたくなかった。何も知りたくなかった。そんな裏表の世界知りたくなかった。拾われたり捨てられたりしていることに気付きたくなかった。知りたくなかった。

 だから、扉を開けるよ。


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