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二極化が進んでいると以前書きました。

二極化とは自分軸と他人軸の人の心の距離がどんどん離れていき意思疎通が難しくなること、というふうに説明したと思います。

自分軸でいることの大切さについて、noteを始めて二か月間、折に触れ自分の体験と絡めつつ綴ってきました。

そして最近、自分軸のありようについてちょっと気になることがあったのです。

その人がスピリチュアルなことに対して知ったのは割と最近のことでしたが、スピリチュアルやアセンションについてもよく調べて学んでいました。

色々悩みや苦労もあったようです。

それらの過程を経てたどり着いた自分軸の大切さを実践し、自分軸であろうと頑張りました。

その結果、とても活きいきして元気になり良かったのですが、自分軸病(これもわたしが勝手につけた病名です。笑)になっていました。

そうでない人を排他的に扱うのです。

これをみてとても残念に思いました。

自分軸というのは、そうでない人を差別したりバカにしたりすることではありません。

自分を大切に出来ると自分を取り巻く世界に感謝が生まれます。

例え嫌がらせをしてきたり辛い思いをさせられた相手であったとしても、結果と原因の法則を冷静に見つめ自分自身と対話することで、意味を見出し先に進むことが出来るのです。

外のことに惑わされない、自分の心がよしとしたことを大切にするのが自分軸です。

決して人を差別したり、自分が優位に立っていると勘違いしたりするものではないのです。

みんなが幸せに、というのはそれぞれが自分を大切にし、個性を発揮して、それぞれを認め合うことで競争したり奪い合ったりするものではありません。

個性のぶつかり合いは争いではないのです。むしろお祭りのように楽しいものです。 

人は人、自分は自分、「みんな違ってみんないい」なのです。

例え今は他人軸に見えたとしても、その人はまだ自分軸に気づくための途中であるかもしれません。

かつてのわたしが苦しい、悲しい、悔しい、辛いと泣いて歯を食いしばった日々は、今に至るために必要なことでした。

わたしは結構真面目で我慢強いみたいなので、なかなかギブアップをしなかったのです。だから、これでもか、これでもか、と潜在意識が現象を引き起こしました。

もう限界、となってギブアップし全てを手放した途端に色々好転し始めたのです。


自分軸、他人軸、それぞれが好きな生き方を選べば良いのであって本当はどちらでも良いのです。

自分軸で生きたいけれど、なかなか出来ない人もたくさんいます。心のブロックは自分自身で外すしかないからです。

なかなか簡単なことではないので、今以上に辛いことかもしれません。傷口を治すための膿出しと同じですからね。

でも大丈夫です。乗り越えられます。自分の心が望むならそのように世界は変わるのです。

だからこそ、自分軸病は残念です。

人のことを排他的にしていると波動が落ちます。自分軸で生きていると満足しているだけで、本当はまだ自分軸になっていないから排他的なのです。

自分はもう悟ったのだから他者より優位なんだと勘違いしてるわけ。

もし近くにこのような自分軸病の人がいたら、そっと離れた方がよいです。

一緒になって「そうね、そうね」と言っていれば、折角自分らしさを見つめ直そうとしているのに、巻き込まれて波動が落ちます。

自分軸は自分の心との対話です。決して人と比べたりするものではないのです。

人より優位だと感じれば劣等感の現象も含まれている。表裏一体なのね。

馬鹿にすることと馬鹿にされることは一緒なの。それを自分で作り出している。

とにかく、なんだかとっても残念に感じたのでつい、綴ってみました。

自分軸病には気をつけてね。(>_<)

自分らしく生きることで、他者より優位に人生を満喫出来ているなんてことは全く無いのです。

自分軸になったつもりでいても、これは結局益々他人軸であることを増長することと同じだからね。

全ての基準は自分の心です。誰かと比べた幸せや、人に自慢する幸せではないのです。(*´∇`*)







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