自己責任って、なんだ? 釜ヶ崎合唱団
釜ヶ崎というエリアがある。
あいりん地区ともいい、大阪府にあります。
JR西日本線以南、西を南海本線、東を旧南海天王寺支線に囲まれた、東西およそ300m、南北およそ500mの地域です。
と、大阪をほとんど訪れたことのもなく、関東圏に居住期間の長い私には、ちんぷんかんぷんなのですが、、。
地図でそんなに広くはない地区なのだと確認。
江戸時代にはすでに、日雇い労働者の街となっていたようで、大阪はもとより近畿地方の発展に貢献した労働者の街だそうです。
(釜ヶ崎合唱団 より)
さて、タイトルにもある釜ヶ崎合唱団というのは書籍の名前です。
釜ヶ崎合唱団
~労働者たちが波乱の人生を語った~
編著 釜ヶ崎炊き出しの会
2018年 初版
発行者 稲田紀男
釜ヶ崎炊き出しの会は、この釜ヶ崎において1975年12月10日から毎日、朝10時と夕方5時の2食、50年近く一度も休まずに炊き出しを続けているという、、。
書籍が出た2018年時点でのことだと思われるが、コロナ期間中はどうだったのかも気になる、、。
さて、炊き出しに来られるのは所謂、ホームレス、路上生活者、日雇い労働者と呼ばれる人々。
でも、その中でも意思がある人、手伝える人は炊き出しを手伝っているそうです。
私はこの本を読み、自己責任や責任というもの再考しました。
でも釜ヶ崎合唱団を読む2年程前、まだ私が働いていた頃に
思いがけず利他
中島岳志
ミシマ社 2021年初版
という本に出会い、このときも自己責任について考えることがありました。
そして、適応障害と診断され、賃金労働というものをしなくなってから、出会った釜ヶ崎合唱団。
今の自分の状況、状態を踏まえて再考する「自己責任」や「責任」というもの。
以前より、肉薄したものになってきた。
この本の第一章では釜ヶ崎の日雇い労働者の人生が、聞き書き形式で60人分記されています。
この方々の人生をみていくと、自己責任ではなく、周辺の影響で仕方なく苦労をしている場合がほとんどのように感じられました。
その人だけではどうにもならない問題が発生し苦しんでいる。
そして、負のスパイラルから抜け出せない。
また、社会のセーフティネットは正常に機能していない、、、。
藁にもすがる思いで、助けをもとめた先(行政や団体、ときには個人)に潰される。
ホームレスや路上生活者に自己責任論を唱える人がいるのは、こういう実態を知らないから仕方ないかもしれないが、これは積極的に想像する必要がある。
読めば読むほど明日は我が身となってくる。
きっかけはどこにでもあるんだなと感じました。
自己の努力等ではどうにもならないものとは何なのか。
語ってくれている人々の場合をまとめてみると、おおよそ以下のように分類されるのではないかと思いました、、、
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家庭環境
(両親の離婚、家族との離別、親戚との不仲、兄弟との確執、家庭内暴力、ハラスメント)
社会環境
(差別、リストラ、いじめ)
政情や経済的問題
(戦争、経済圧や格差、不景気、不況、バブル崩壊、派遣切り、貧困ビジネス)
その他
(身体の病、精神の病、障がい、伝染病、事故、事件に巻き込まれる等)
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やはりこうして見ると、自己では解決できない問題が非常に多い。
そして、労働者が経済成長のために資本に都合よく、数を調整され、不安定な立場に追いやられ、必要がなくなったら使い捨て、という構図が克明に書かれている。
また、60人のストーリーからパターンとして多いなと思ったのは、、、
・そもそも、自分の力ではどうしようもない状態で社会的に弱い立場にたたされている、それは人生の最初からであったり途中からであったりする
・世の中の動向や規則、法律、保護、援助、支援を正しく追えないアクセスできないと、苦しみやすい環境になっている(情報弱者など)
・仕事が途中まで良くても、不景気のあおりをうけて人生が変わる
・酒、博打、薬物、遊び等で負のスパイラルを強めている
・地方から、成り行きで、仕事があるからと、都市のドヤ街(釜ヶ崎や山谷)に引き寄せられている
私は読めば読むほど、釜ヶ崎の人々の人生が他人事に思えなくなってきた。
今、私は賃金労働をしていない。
なんとか手当と貯蓄で家族4人、ギリギリではあるが生活している。
でも、ボタンの掛け違いで、人生はどうなるかわからない(逆もしかり、好転する切っ掛けも、もちろんたくさんその辺にある)。
その不安は決して自分から遠いものではなく、すぐ傍に横たわっている。
いつ起き上がって、肩を叩いてきてもおかしくない。
私が高校生まで暮らしていた街にも、駅前に路上生活者とみられる人々が何名かいました。
駅前の再開発によって姿を見なくなった。
「駅前、綺麗になったな。良かったな。」
果たしてそうだったのだろうか?
それは本当の意味において綺麗になっていただろうか?
誰かの都合を良くするため、誰かを排除してなかっただろうか?
助け合いという、当たり前の心を取り戻したい。
月並みではあるけど、そんな気持ちがこころの底から湧いてきた。
救いになったのは釜ヶ崎の労働者達は、どん底に落ちてもなお夢を語る人が多いこと。
そして第二章では支援者側の人生にスポットを当てているのだか、なんとも不思議なことに第一章で語ってくれた支援されている人々と、そんなに大きな違いがないのだ。
ホンのちょっとした切っ掛けで、ボタンの掛け違いのようなもので、人生とは変わってしまう、、。
私たちは、ますます他者と助け合って生きなくてはならない。
困っているその人は、明日の自分達かもしれないでしょう?
おわり
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