仄映ゆら
短編小説集めました。
短歌集めました。
超短編小説を集めました。
トマトを噛んだ。わたしの頭は破裂した。 痛いなんてことはないのよ。大丈夫。大丈夫。むしろ爽快。 だって、これで、終わりだもの。これ以上、つらいことなんて、ないんだもの。
彼女は私を見ていないが、私を愛している。 私は彼女が視えていても、愛に触れられない。 燃える茶室の中で、私は彼女に身をまかせ、常夏の夜咄に耽った。 雨のしとどに降る庭に、小走りで駆け込む。お天道様が汗ばんでいるような居心地の悪い空気である。青々と苔むした地面。飛び石の傍で、しきりに揺れるシダや熊笹の露を弾きながら、漸く玄関にたどり着く。 「すみません、遅くなりました」 網戸を開け、声を張り上げる。ふぅと息を吐いていると、家の奥から袴の捌ける音とともに 「えらい雨や
なになになに、知ってますよ、わかってる、出てこないで。 と、裏の自分に言ってる、夜。 今日、国語の授業でなんで手を挙げちゃったんだろう。とか、ルミちゃんと別れたとき、「バイバイ」のトーン低かったかな。とかいう考えが、キノコの倍速成長のように、むくむくと、湧き上がってくる。 そういう、裏の自分を、どれだけ罵倒しても、絶対、倒れないのが不思議だ。 そんな強いメンタルあるなら表に出てこい。
花の匂い。メルヘンな空。はじめましての仲間たち。春って、わくわくする。 なんていう人とは仲良くできない。 春は、憂鬱。なにが、なんて考えるのにも、胸がつっかえて、吐き気がする。春なんて、春なんて。ほら、なんにもでてこない。 春はあけぼの。なんていった人とはとうてい気が合わないだろうけれど、まあでも、春はあけぼの、とするなら、あけぼのだったら、こんな気持ちになっていても、誰にも咎められないからいいよね、と思う。だんだん意識がはっきりしてくるにつれて、だあるくなるから
玉結びもろくにできないぶきっちょも 愛嬌あれば許してもらえる 庭のしだれ梅のつぼみが、何回も何回も玉結び失敗したみたいな糸に見えて。 梅みたいに可愛けりゃなぁ…と。
バスルームから見えるパチンコ屋はキレイ。磨りガラス越しに見える、黄色、青、白のライトは、水中から見る花火みたいにボンヤリと、眩しい。 あ……赤も交じった。さあて。 片手にシャワーヘッドをもって、泡の数だけリズムを刻む。ワンツースリー。 私は歌う。午前0時。ひとりぼっちのナイトショー。
当たり前、ってなに。世間的に、常識的に、ってなに。その枠から外れている人を爪弾きにするくせに、それに従っている人もまた、平凡でつまらないと、非難する、その世間って、なに。 わかってますよ。こんなこと、考えない人が、素敵な人間様だってことくらい。私だって、わかってます。 わかってるからこそまた、悩むんです。
お酒を呑んだ帰り道。ざらついていた心が、今はのほほんと潤って、ブランコ漕いでる。 けれど、家が近づいてくると、一歩、また一歩、歩くたびアルコールが、肌の表面から泡になって、空気の中へ抜けていく。重いカタマリになって、背中にのしかかる。 ああいやだ、覚めてしまう。 まだ、夜なのに……。
互いの口から洩れ出る、ジャスミンティーの優美な香り。旅先のホテルで感じた、あなたの温もり。友だちのままでいるための抱擁は、ふわりと軽い、眠気をさそう。 あの時、終わりにするはずだった。はずなのに、今また、ジャスミンティーを飲みながら、あなたのことを想ってる。
気分が優れないでいると、母が公園に誘ってくれました。
さっきまで、ずんと悲しかったのに、なんだか今は、ぽかぽか心が温かい。なぜかしら? 考えてみても、わからない。心って、単純。 覚えていられないほど、ささやかなことで、落ち込んだり、嬉しくなったり、するんだから。繊細なのか、ぼんやりしてるのか、わからない。
12月、京都岡崎にタルトタタンを食べに行ったときの歌。 タルトタタン、って言葉の響きが好き。口に出してみると、なんだか、懐かしい気持ちになる。押し入れの隅から宝箱の缶を見つけると、昔好きだった絵本とか玩具が詰まってて、胸がキュッと温かくなる、感じ。 食べてもそう。煮詰まった林檎の甘みを噛み締めるたびに、じわじわ懐かしさが込み上げてくる。 淡い冬の光がなおさら、そんな気持ちにさせたのかもしれない。
ふわふわと寝ぼけ眼で外に出る。冬の朝はまだ暗い。庭の片隅に、一匹の黒猫が座っていた。縮こまってて寒そう。猫を驚かさないように、そっと近寄って、手を伸ばす。「ひやっ」と、それはつるりと冷たくて、プンと、生ごみの匂いがした。 黒いゴミ袋と猫はよく間違える……。話しかけてアッと気づいた瞬間の虚しさよ。