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銭湯の「湯」の書体デザインを分析してみた。のれんと看板に宿る銭湯の個性

(文=編集長ユウト・ザ ・フロント)

ここに三人の「田中太郎」の署名があります。

皆さんは、どの田中太郎に会ってみたいですか?

きっと、三者三様の性格なのでしょう。

さて、なぜ私たちはこの三人の田中太郎の性格はそれぞれ異なるのだろう、と感じたのでしょうか。

それは、フォント(文字の形)の影響です。文字の見た目は、その形であること以上の意味を持つのです。

そこで、今回の湯の輪らぼでは、いろいろな銭湯の「湯」の文字を分析する、という試みに挑戦してみたいと思います。

のれんや看板に書かれた「湯」

世の中には、銭湯の数だけ「湯」の書体が存在します。

そして、それぞれの「湯」が生み出す効果も千差万別なはずです。

いざ、書体の沼へ......


今回の記事では、「稲荷湯」「大塚記念湯」「金春湯」「燕湯」の四つの銭湯を取り上げ、それぞれの「湯」の書体を分析していきます。

各項の構成は「①書体を四つの要素で分析」「②書体が生み出す効果にかんする考察×2」のセットになっています。

①の四つの要素とは「太さ・崩し具合・書勢(勢い, 躍動感)・モダン性」です。

崩し具合は、『漢字くずし方辞典 新装版』などの辞書をベースに、太さ・書勢・モダン性は、エントリーNo.1の稲荷湯を一定の基準と考えます。

説明は以上です。

それでは、いってらっしゃ〜い!!!(ディズニーキャスト感)

(銭湯名は敬称略にさせていただいております…)

オールドかつ勢いある書体。その崩し具合とバランス感が注目ポイント。

【 やわらかい流れ > かたい止め 】

稲荷湯の「湯」において、最も特徴的なのは、その崩し具合(筆の運び)です。

書の“かすれ”から考えると、稲荷湯の「湯」は、以下に示すように、通常とは異なる筆の運びをしていることが推測できます。

異なる部分は、「勿」のはらいの方向です。

稲荷湯の「湯」は、上にはらってから下にはらうという、流れを重視した書き方になっています。

その書き方は、「稲」「荷」よりも、一段階上の崩し方に感じられます。

この「湯」の崩し度の違いは、どのような効果をもたらすのでしょうか。

私は「湯水が流れるさま」を、この書体から感じました。

それはまるで、漢字の形でそのものを表現しようとする絵漢字レタリングのようなものです。

たとえば、以下の「水」は、その書体のうちに水らしさを含んでいます。

このような「水」が、清涼飲料水や化粧水のロゴに使われていたら、ヒトは無意識に、その商品に「潤い」「流れるよう」といったイメージを持つことでしょう。

稲荷湯の「湯」が、通常よりも流れを意識した書体で書かれることで、先ほどの「水」のレタリングのような効果を生んでいるのかもしれません。

これは、止めを意識したかたい書体では、表しにくいものです。

稲荷湯の「湯」の書体は、銭湯という空間のやわらかさ、あるいはもっと直接的に、湯水が流れる場としての風呂を、お客様に想起させるのでしょう。

【 “ ┨” の安定感 】

さて、次は、稲荷湯の「湯」のバランスについて考えてみましょう。

ふっとい大黒柱によって、家屋に安定感が生まれるように、漢字の安定感もまたふっとい線の位置付けに左右されます。

そうした視点で見てみると、稲荷湯の「湯」は、以下のようなバランス感であると考えられそうです。

かなり右寄りなバランス(形)です。産経新聞といったところでしょうか。

この書体の均衡を「湯」単体として考えると、少しアンバランスに思えるかもしれません。

しかし、視野を広げると、この特異な「湯」のバランス感の意味が理解できることでしょう。

そう。この「湯」は当然一字ではなく、「稲」「荷」「湯」という三人組の一角です。

そして、三文字全体のバランスを見てみると・・・

きれいに整ったH形になっているのです!

 “のぎへん (禾) ”の太さとはらいのインパクトにより、「稲」は、浅沼稲次郎を思わせる左寄り。

「荷」は中道的なバランスのため、結果、「湯」の右寄りが全体の統一感を生んでいるのです。

「稲荷湯」という文字全体としての統一感、連結感。

これはまるで、神田の下町に違和感なくたたずみ、お客様や町との強い絆を持つ稲荷湯そのものを表しているようにも見える...かもしれません。


プレーンながらも、赤色から力強さを感じる。看板照明である点にも注目。

【 太陽光線と右上がり 】

大塚記念湯の「湯」において、最も特徴的なのは、八画目の横棒の「右上がり」でしょう。

なぜここまで、右上がりなのでしょうか。

確かに、楷書の究極とも称される「九成宮醴泉銘」という書は、右上がりがその特徴ではあります。

そして、小学校の国語の教科書のフォントが「九成宮醴泉銘」がベースになっているのではないか、という指摘もあり、日本人の美文字の定義に「右上がり」が含まれるのは必然なのです。

(九成宮醴泉銘)

しかし、「九成宮醴泉銘」のように、右上がりを意識するならば、「湯」の八画目と十画目は平行になるはずです。

ただ、大塚記念湯の「湯」において、八画目と十画目は平行ではないのです。

明らかに、大塚記念湯の「湯」は、通常の楷書よりも、「右上がり」のインパクトを感じざるをえない書体になっています。

では、そうしたレイアウトはどのような効果を生むのでしょうか。

私は、あの特異な右上がりの横棒に「太陽光線」の趣きを感じました。

そして、突如現れた「太陽光線」という単語にハテナを浮かべる読者の方々の戸惑いも同時に感じています...笑

私が、大塚記念湯の「湯」から太陽光線を感じたのは、この「湯」が照明看板のものだからです。

大塚記念湯には、中に光源を携えた照明看板があり、本記事では、そこの「湯」をお借りしています。

そして、その光源は、全体に均一ではなく、中心が明るいという配置になっています。

どうでしょう、皆さん。
明るい中心を太陽として、非常に右上がりな横棒が太陽光線のように思えてこないでしょうか。

「湯」が描く旭日の光線が、銭湯としての和を、あるいは盛場としての勢いのイメージを大塚記念湯に与えているのかもしれません。

【 最高!左手採光 】

次に、照明看板の光源の位置が「懐かしさ」の効果も与えているのではないか、という仮説を考えてみたいと思います。

大塚記念湯の照明看板に書かれた「湯」は、光源の位置により、光を左側から受ける形になります。

この「左側から光」という状況。
きっと皆さまの記憶の中にあるはずです。

そう。教室。

日本の学校には、左側に窓を設置し「左手採光」にすべし、という原則があります。

その理由は、書いている部分に影が当たらないようにするためです。
(左利きの人は、社会のはざまに落とされました。)

そうした背景もあって、左側から強い光を受けている文字は「学校的な懐かしさ」が含まれていると言えるでしょう。

たとえば、大塚記念湯の「湯」とか...ね。

大塚記念湯の「湯」は、銭湯と学校という、二つの強い “懐かしさ” の融合によって生まれたノスタルジーのサラブレッドなのかもしれません。


温かみと丸みのある黄金色の「湯」。現代感の中に、象形への回帰も感じられる。

【 原点にある尖りなき自然 】

金春湯の「湯」の特筆すべき点は、抽象化されたとも取れるやわらかなデザインでしょう。

際立つのは、「さんずい(氵)」と「日」です。

その二つが持つ丸みは、単に形状として「丸い」ということ以上に感じる温かさがあります。

私が思うに、それはきっと「自然」なのではないでしょうか。

以下に示す通り、金春湯の「さんずい(氵)」と「日」は、漢字の原点である「自然の象形」への先祖返りを思わせます。

それもそのはず。入浴の歴史は、人類の歴史とともにあるのです。

水浴びをしない哺乳類はおらず、入浴行為はモーセの律法にも記載があるほど。

そして、現代を見てみれば、絵文字やスタンプのコミュニケーションがあふれる世の中。

そうした時代を生きる者たちには、もはや、記号としての漢字よりも、イラストのような直接表現の方が分かりやすく、心を打つのかもしれません😋

こうして、歴史を眺めてみると、金春湯の「湯」の象形化は、先祖返りでもあり、現代化でもあるのです。

これは、長きにわたって、人類と歩みを共にしてきた入浴施設に付された漢字のデザインであるからこそ、意味をもちます。

『昔ながらの良いところは残し 新しいものを取り入れる。』という金春湯の温故知新的な方針が、自然と湧きあがったのが、この「湯」の書体なのかもしれません。

【 隙がある方が美しく魅力的...? 】

自然を思わせる形に加え、「余白の多さ」も、金春湯の「湯」の特徴でしょう。

楷書の「湯」と比べてみると、ご覧の通り、違いは歴然です。

そして、この余白こそが、金春湯の「湯」が持つ、柔らかさや温かみ、ひいては美しさの源泉とも言えるでしょう。

書を見るとき、書かれている部分だけを見ていてはいけないのです。

世の中に「無い」ということはありません。そこには「無い」が「有る」のです。

さて、己に酔った哲学者の真似事をしたところで、余白が美しさを際立たせるという主張が、私の妄言でないという証明もしておきましょう。

明と清の時代を駆け抜けた書家・王鐸の研究者は、以下のように述べています。

“白の処理に積極的な文字蝉の集合は、書作品を美しいと感じさせる要因となり得るのではないか。余白を伴うことにより、書の美しさは一層奥深いものとなる。”

“つまり余白を含ませることは、文字を白の効果で明るくかつ一字一字を大きく見せるはたらきがあると考えられる。”

特に、後半の引用は、金春湯の書体が、看板/のれんに書かれる際のメリットを明らかにしたように思えますね。

銭湯の顔となる名前だから存在感を示したい。しかし、大きくギチギチに書いても、圧迫感をお客様に与えてしまう。

そこで「余白」の登場なのです。

書体にゆとりを持たせつつも、存在感と明るさも失わせない。

この書体バランスの黄金比が、金春湯の「湯」には隠されているのです。


白のれんに鋭く墨感あふれる書体。スタイリッシュさの中にある温かさの秘密を探る。

【 『時代のうねり、人の夢』 】

皆さんは、燕湯の「湯」を見て、"手書き感"と、そこから来る懐かしさを覚えたのではないでしょうか。

実際、手書きなのかもしれません。

ただ、本記事の趣旨は、「湯」の書体が見た者に与える効果を考察することですから、実際に手書きかどうかは、さして重要ではありません。

考えるべきは、手書きっぽいと私たちが認識し、そこに懐かしさすら覚える理由です。

なぜ、燕湯の「湯」から懐かしさを感じるのか。

私は、以下の二つがその要因であると考えます。

一つ目の要因は「不均一な薄れ」。いわゆる"味"みたいなものです。

部分部分に薄れが見られる湯の「湯」から、私たちは「時代の流れ」と「人の手」を感じるのです。

時間が経たねば"味"のある薄れは生じませんし、機械的な出力でもあの変化は起こりません。

ですが、時代の流れと人の手の存在だけで、私たちは懐かしさを感じるでしょうか。

そうであるならば、初めて法隆寺や金閣寺を見たときにも、「懐かしさ」を感じるはずです。

しかし、そうはならない。

そこで登場するのが、懐かしさの二つ目の要因「原風景」です。

初見の法隆寺に時代の流れと人の手を感じても、懐かしさを感じないのは、私たちの経験がそこに無いからです。

現代で聖徳太子が法隆寺を見たら、懐かしく思うのかもしれません。

かつてプレイしていたゲームや、昔観ていたテレビ番組には「経験」があります。
そうした意味で言えば、燕湯の「湯」にまつわる私たちの経験は「学校での習字体験」でしょう。

多くの子どもたちには、不思議な柄の習字バックを携え、二股に割れた筆で文字を書いた経験があるでしょう、きっと。

ノスタルジー研究では「長い空白時間」と「繰り返しの経験」が懐かしさの要因とされており、燕湯の「湯」もそのサンプルになるかも...しれません。

【 知り得たか? 書体の刃、三画目を 】

これは、月岡芳年による『月百姿 月下の斥候 斎藤利三』という作品です。

月、馬、武士、水面と要素の多い浮世絵ですが、ゴチャゴチャにならないのは、中央の「刀剣」が作品全体に締まりを与えているからでしょう。

鋭い刃は、往々にして、作品のスタイリッシュさを強化するものです。

…なぜこんな話をしたかって?

それは、燕湯の「湯」の三画目が「刃」に思えるからですよ!

前項で述べたように、燕湯の「湯」全体は懐かしさを感じさせるのですが、三画目(さんずい[氵]の最後)は、どうやら様子の異なる「鋭さ」を帯びています。

そして、私はそこに『月百姿 月下の斥候 斎藤利三』と同じ匂いを感じたのです。

つまり、「燕湯」という書全体が持つ「スタイリッシュさ」は、湯の三画目が、斎藤利三の刀剣かのごとく生み出しているのではないでしょうか。

さて、ここまで四つの「湯」の書体を分析してきました。

言ってしまえば、「湯」という単なる文字一つでしかないのですが、ここまで考察(妄想)することができるのです。

これにかんして、私は『日本美術における「書」の造形史』という書籍にて語られていた「書の抽象的景観化」を想起しました。

私は「書の抽象的景観化」を、水曜日のダウンタウンの『相模が相撲になっていても気付かない説』だと考えています。

(TBS「水曜日のダウンタウン」より)

これは、世の中にある「相模」という文字列を、似ているから「相撲」に変えても気付かないだろう、というくだらなくも興味深い説です。

事実、番組内では、ほとんどの人がその入れ替わりに気付けませんでした。

それはつまり、人々は「相模」を情報ではなく、ある種の「景観」として捉えているからこそ、「相撲」との差異に気付けないということです。

これは、「書の抽象的景観化」を都市空間に見出せる一例だと思います。

そして、銭湯の看板やのれんに書かれた「湯」もまた、景観なのであり、「相模」なのだろうと思うのです。

なればこそ、銭湯の「湯」の書体は、単なる情報だけではなく、銭湯という空間の懐かしさだったり、あるいは盛場としての勢いだったりというプラスアルファの効果を生み出せるのでしょう。

私たち、湯の輪らぼは、日常にこそ、面白さが潜んでいるという精神に立っています。

ぜひ皆さんも、都市空間に流れ出し、景観としての文化を声高に叫ぶ書体たちを見つけてみてください。


参考文献

〔書籍〕

  • 阿保直彦  (1999)『図解 文字の書き方字典』木耳社

  • 浅倉龍雲  (2020)『新装版 漢字のくずし方ハンドブック』日貿出版社

  • 笠嶋忠幸  (2013)『日本美術における「書」の造形史』笠間書院

  • 児玉幸多  (2019)『漢字くずし方辞典 新装版』東京堂出版

〔論文〕

  • 津野田晃大, 初田 隆(2016)『文字の鑑賞学習に関する研究―「古筆」の臨書を介した鑑賞ワークショップの試行実践を基に』, 美術教育学研究 48, 273-280.

  • 服部雅(2014)『書における余白の美 -表現についての考察-』, 奈良教育大学学術リポジトリNEAR

  • Kusumi, T., Matsuda, K., & Sugimori, E. (2010). The effects of aging on nostalgia in consumers’ advertisement processing. Japanese Psychological Research, 52(3), 150-162.

〔Web〕


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