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食べてみた。平和のために。

自慢だが、セロリが嫌い。
春菊が嫌い。
そら豆が嫌い。

でも別に春菊とそら豆は食べられないほどのものでもない。食料として食べられる。でも嫌いなのだ。あの個性あふれる香りと味が。

本当に食べられないのはセロリだ。セロリはトマトジュースに入っているものでも気づく。あのどろどろとした赤い液体の中にうまく隠れたつもりでいるかもしれないが、全然隠れていない。私の舌は騙せない。一口で察知。一瞬で却下である。

コロナ禍前には友人と行っていた気がする居酒屋でも、野菜スティックが出てきた瞬間、鼻が察知したのを思い出す。
いるな、あいつが。
白っぽく細長い棒状になったあいつは、キュウリやニンジンに混ざって透明なグラス内に立っているのだ。間違ってもあいつだけは手に取るまいと思っていた。
思っていたのに……そういえば過去に一度、うっかり手に取ってしまったことがあった。
大根だと錯覚してしまったのだと思う。薄暗い店内で、サワーなどで程よく楽しんでしまった飲み会中盤のことだった。なぜ冷静に観察できる最初ではなく中盤で野菜スティックなんか注文するのだ。誰だ。仲間うちに刺客が混ざっていたのかもしれない。
ともあれ私は手に取って、口に入れてしまった……気がする。
その後の私はそっと取り皿に載せ、話に夢中になったふりをしつつ、そのまま触れることはなく、ああ、もうおなかいっぱいだな、という気配を漂わせ、席を立った……気がする。
ごめんセロリ。悪気はなかったのだ。すみません、農家の人。もう二度と間違えません。詐欺にも遭いません。

そう誓って早数年。人は変わるものらしい。

急に昨日、私はセロリを食べてみてもいいような気がした。家族が買ってきたセロリの香りを嗅いだ時、失礼ながらこれまで感じていた不快な思いがしなかったのだ。なぜかは分からない。世の中に不快なことが多すぎて鼻が鈍ったのかもしれないし、セロリが唐突に停戦を申し出てきたのかもしれない。とにかく私は平和を愛する市民なので、素直にそれを受け入れた。

短冊に切ったセロリに万能調味料マヨネーズを寄り添わせる。そして、たっぷりつけると、一思いに、ぱくり。
あ、意外と、大丈夫だ。私、生きているじゃないか。思っていたより刺激がなく、すこし癖があるかもしれないが、シャキシャキとした潔い噛み心地とともに清々しい野菜の空気を感じる。これが長年食わず嫌いしていたクラスメイト、セロリの正体だったのか。勝った気がした。いや、そもそも戦っていなかったのかもしれないが。

話せば分かる、とはよく言う。世の中には話したって通じないことや分からないことが多々あるので、結局のところ、話せば分かる時もあるが、分からない時もある、だと思う。
それを踏まえて、食べれば分かる、という言葉も真実だと思う。
とりあえず、セロリは分かった。食卓の平和は守られた。

さて、世界は?

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