【小説】傘と共に去りぬ 第8話 回帰する傘【毎月20日更新!】
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「世界から猫が消えたとしよう、そのとき人類はそのことに気付くと思うかね」
眠たい授業の合間に聞こえてきた蛇足の話は子守歌にはちょうど良かった。
「気づくでしょ、猫を飼っている人もいるんだし」
ざわざわとした教室のなかで咳払いが一つして静寂をもたらした。
「猫が突然消えれば、当然その変化に気付くことは考えられる。ただ、概念が消えたらどうなるかな」
そう楽しそうな声音で話し続ける男の声を私は今でも覚えている。
9月/佐田 将司
それに気づいたのは偶然だったのかもしれない。喉奥にものが引っ掛かったような気がして思考を巡らせたのが始まりだった。
「ほら、お金払って大きいスクリーンで映像を見るのなんて言うんだっけ」
口をあんぐりと広げてアホな顔を晒したのは友人の美輪隆明だった。こちらの質問の意図を理解できていないような気がして、もう一度問いかけた。
「いや、二回も言わなくても聞こえてる。驚いているのは、あまりにも馬鹿な質問をしてくるからだ」
やれやれ、とため息を吐きながら首を振る美輪を見ながら、俺は未だ思い出せない答えを待った。だが、一向に返答はなかった。それどころか先ほどの呆れ顔はどこへやら、言葉を詰まらせたまま俯いていた。
「美輪、お前も思い出せないのか」
その問いに「違う」と声を上げて抵抗をしてみせたがすぐに彼は「でてこない」と弱弱しく答えた。
「違うんだ、佐田の説明を聞いた時点では答えがわかっていたはずなんだ。それが、いざ口にしようとしたら消えちまった。急に、突然、あったはずの答えが」
何が起きているのかわからないことに焦りを覚える美輪が頭を掻く姿を見て、俺は少しだけ安心していた。このおかしな状態に陥っているのは自分だけではないということに。
結論から言おう。俺たちが思い出せない言葉は他の誰からも答えがでなかった。本来はそれを指す言葉が存在したはずがいつの間にか消えていた、というのが俺と美輪が出した答えだった。
「消えたことすら気づかずにいたというのは怖い話だな。しかも、ほかの奴は疑問にすら思わないみたいだし」
「それもあるが、一番はなぜ佐田はその違和感に気付けたのか、だろ。俺も言われるまでは気づけなかったことも含めておかしな話だ」
「どういう理屈かはわからないが、言葉一つが消失している事実は認めざるを得ない。ただ、なぜその言葉なのか、理由がわからないと話は進まないだろうな」
俺がそう話していると美輪はスマホをいじりだす。話に飽きたのかと思ったがどうも違うらしくスマホを渡してきた。
「まさか、ここまでとは」
美輪が渡してきたスマホに俺が説明していた検索ワードが打ち込まれていた。検索に引っ掛かった件数は数多くあるが、そのどれも大事な部分の言葉が抜けていた。虫食いのように空いた箇所があることから、何か言葉が存在していたことは間違いなかった。
「高校の頃に聞いた猫の話を思い出すな、佐田は覚えてるか」
そう聞かれて俺は軽く頷いた。
「猫が世界から消えたとして人類はそのことに気付くか、あのときはありえねー話って思ってたけど実際に起きるとはな」
呆れたような笑い声をあげながら美輪は眉間をもむ。俺も高校の時の話の続きを思い出す。
「あのときは猫が消えたら、気付く人はいるって答えていたな」
「あー、それも言ってたな。猫を飼ってた奴は覚えてるとか、って。それで、もし概念が消えたらどうなるか、って問いがきたんだよ」
覚えている、その質問をまどろみのなかで聞いていた。
「概念が消えれば誰も思い出せなくなる」
「そうそう、やっぱ覚えてるもんだな。なかなかおもしろい話だったよな」
懐かしむように笑う美輪を見ながら、現状を思い返してみた。
ある言葉が消えた、それに気づいている人は自分たちを除いていない。ただ、俺たちも消えた言葉がなんなのかわかっていない。漠然と何かが消えた、と認識しているだけ。
こうなると自分たちがおかしいのか、世界がおかしいのか判断がつかない。それでも、あるべき姿に戻るべきだとは思う。どちらが間違っていたとしても。
「そういえばさ、この間の傘覚えてるか」
思案から呼び戻すように美輪が笑みを浮かべながら俺に話しかけていた。
「この間って、いつのことさ」
「いや、だから振られて飲み明かしたときの」
そう言われてすぐにピンときた。美輪が振られて傷心し、酒を大量に飲酒して最後は川で軽犯罪を起こしかけた日のことを言っているのだろう。
「あの日、ビニール傘を持っていただろう。最後には川に流れて行ってしまったが」
反省しているのか定かではない顔で美輪は言葉を続けた。
「その傘が実は最近になって見つかってな。それが、なんと俺の住むアパートのゴミ捨て場と来たもんだ。運命を感じたね」
「運命、って大げさな言い方もあれだけど、そもそも川に投げたのはお前だぞ」
俺は事実を指摘するも華麗にスルーされて「その実物を持ってきた」と鼻を鳴らして美輪は近くに置いてあった傘を持ってくる。
「これ、この星のアクリルキーホルダーは間違いないだろう」
自慢げに見せてくる傘の柄についたキーホルダーを確認すると以前に見たものと同じだった。ビニール傘に星形のキーホルダーをつけることが流行っていなければ、きっと川に流された傘と同じものが巡り巡ってこの男の手元に戻ってきたのだろう。
「まさか傘も思っていなかっただろうな。粗雑な扱いをした人間の手元に戻ることになるなんて」
呆れつつ俺は傘に手をかけて未だ解決していない異常事態に考えを馳せた。気づいていないだけで他にも消えている言葉があるのかもしれない。それに気付くことは果たしてできるのか。それに気付けたとしてどうにかできるのか。本来のあるべき姿に。
──願い、聞き届けたり。
どこからともなく声が聞こえた。それと同時に忘れていた言葉を思い出した。
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