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【小説】傘と共に去りぬ 第7話 憧憬の承継【毎月20日更新!】

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憧れって、いつから自分の足を引っ張るようになるんだろう。どうしてその弱々しい針をもって、ほかの誰でもない自分に先端を向けたりするんだろう。

もう少しだけ、キレイゴトが生きやすい世の中であればよかった。
そうすればきっと、私の同級生も、不登校になったりなんかしなかった。

8月/持田二菜

去年、藤倉蒼と私の間には、いろんな言い訳があった。同じクラスで、同じ美術部で、どっちも上のきょうだいがいる。会話をしても、不自然でないだけの言い訳が、たくさん。

それがいいことであったのかどうか、私には判断が難しい。
夏休み明けから教室にも部活にも姿をあらわさなくなった彼が今、家で何を考えているのかによる。そもそも、私のことなんて思い出していないかもしれない。

それは寂しいな、と思いかけて、息を吐く。
いや、そうでもないな、と思い直した自分のことをどう受け止めたらいいのか。
答えを出す前に、送信ボタンを押した。三十分の力作が、ひゅっと画面の中をのぼった。「どなたですか?」なんて返ってきたら、さすがに寂しいかもしれない。

『映画観に行かない? インディの最後のやつ』

画面上の私がどんな声色で話しているのかは、既読がつくまで誰にもわからない。
ここにいる私がどんな顔をしていても藤倉くんには見えないし、彼が「どなたですか?」と思いつつ、「お久しぶりです。せっかくですが、ご遠慮しますね」と送ってきても、いや、まあ、さすがにわかるか。文面で。そんなに鈍くはない。

「楽しそうだね。何かいいことあった?」

鈍いやつが来たなあ、と思いながら、「さすがお姉様、観察眼がおありだわ」と苦笑いして呟く。「特に何もないよ」

「そういうお姉ちゃんはないの? 何か、いいこと」
「え、あっ、今朝の占い、五位だったよ」
「びみょくない? ほぼ真ん中じゃん」
「真ん中くらいが一番いいと思うんだけどなあ」

ううん、と唸りながら、いやに薄着の姉は棒のアイスに大口でかぶりつき、期待を裏切るサイズで歯形を残した。「あ、お風呂でたよ、次どうぞ」と破顔する彼女に、見ればわかる、などと言ったりはしない。画面の中でさえなければ、自分がどんな声色をしているのかがわかるからだ。

「例の傘と、傘の王子様は?」

今年の二月、姉の一花は「雨の日に傘を忘れて困っていたら、イケメン(推定)が傘を渡して去っていった」という、一周回って新しい少女漫画を実体験したばかりだ。

そして、どこか天然の入った彼女は「返却するために、いついかなるときも傘を持ち歩く」という暴挙をやらかしかけて、うっかり肝心の傘を無くしてしまっている。いろいろあって彼女の同級生が見つけてくれたらしいのだが、受け渡しまでの間に再び紛失してしまったようだ。

傘も、その持ち主の王子様もいまだ探している最中だが、結果はあんまりみたいだ。「なんかテニプリみたいな言い方」とくすくす笑うそれが照れ隠しであることは明白だった。

「一花ゾーンには入ってこないの、傘の王子様は」
「なっ、ないない!」

「ゾーン」に笑うべきか、からかわれたことに反応すべきか、迷った挙句に後者が勝ったらしい。「っていうか、今どき王子様とか、痛くない? 私……」とぶつぶつぼやいている。今頃気づいたのか。

「二菜たちみたいにさ、気兼ねなく一緒にいられる関係、みたいな感じがいいよね」
「たちって、誰のこと?」
「藤木くんだっけ、同じ美術部の子」
「それちびまる子ちゃんでしょ。声低いキャラ」
「あ、唇が紫色の」
「そうそう」
「特技がスケートで」
「そうなの?」
「アメリカンドッグが好物」
「やたら詳しいな藤木くんについて」

スマホの通知画面には、『ごめん』と表示されている。
続いて何かメッセージが来ていたけれど、見る気にはなれない。
ああ、本当に鈍いやつだなあ。今この瞬間、どなたですかと言われたほうがよかった、と思っていることなんて、ちっとも気づいてやしないのだ、この人は。

***

「二つの野菜で、にいなって読むの。外国人みたいでしょ」

最初に声をかけたときの一言のほうが、スマホのメッセージより力作だった。藤倉くんに話しかけるために、私は一ヶ月の時を要した。私を後押ししてくれたのは、背後でニヤニヤしながら囁く部員たちの声が、どんな色をしているかわかったことだった。

藤倉くんの背中は、絵を描くときだけいつも真っ直ぐに伸びていた。実際には、彼の座高は普段とまったく変わらなかったから、これは私の主観でしかない。

でも、それがすべての答えだ。

イーゼルの前から離れた瞬間、彼の背中はふんにゃりと重力に従い、どんな言葉にもちょっと困ったように笑うのだ。甘いものも辛いものも、痛いものも、柔らかくて軽くて、優しいものも。全部おんなじように受け取って、おんなじように笑うのだ。

その手の中にあるものが、あなたに向けられる、どんな剣やペンよりも強いものだとも知らずに。そこから生まれるものが、あなたを王子様にだってしてくれることも知らずに。

薄汚い、行くあてのない、あさましい浮浪者のふりをして、それにすらぺこぺこと頭を下げている。

「ほんとだね」
「顔めっちゃ日本人なんだけどね」
「うん。でも、いいじゃん」

そこで、彼がはっとしたように顔を上げたことを、よく覚えている。
自分が口にした言葉が、まるで何者かから与えられた天啓でもあるかのようだった。

そこから私たち二人はそれなりに親しくなった。
その後、彼の身に何が起こったのか、ありていに言えば、「陰キャのくせに女子と楽しそうにしててムカつく」と思った男子が彼に何をしたのか、私はよく知っている。

あのときも、今も、私は何をどうしたらいいのか、わからないままだ。
だから、ときどきふと頭をよぎる。脳内の私が、「いっそ」と口にする。「いっそ、何?」と、これまた脳内の藤倉くんが、いつもの調子で聞き返してくる。


彼からの返信をちゃんと見ることができたのは、翌日の朝、日曜日らしく大ざっぱな朝に分類される時間だった。

「ごめん」の続きを見る勇気が出たのは、昔の彼のことを思い出したからかもしれない。藤倉くんが、去年から変わっていなかったらいいのになあ、と目を細めてメッセージアプリを立ち上げた。今の私には、今年の彼と会話をする方法がわからない。たぶん、去年の彼による通訳が必要だ。

しかし、「ごめん」のあとに続いた言葉は、私の予想も期待も裏切った。

『その、映画? って、何?』
『えいがって読むの?』

は?

疑問符は音にならなかった。
それをかき消す爆音が外から響いて、そちら用の新しい「は?」を生産したからだ。

自室の窓を開けて、外を見回す。同じようにしている近所の人が何人かいて、私は彼らの視線の先を必死に探った。
程なくして、音の元凶が家の向かい側にあるアパートかららしい、ということがわかった。

いろんな色が耳に届く中で、ふと、違和感のある声が響いた。聞きなれた声であるような、暗闇の中で遭遇した不審者でもあるような、そんな。

「……あれ?」

思わず手元のスマホを見る。

「なんで私、藤倉くんと、」

藤倉くんは、もと同じクラスで、上のきょうだいがいる同士で、名前に似たようなコンプレックスがあって。それから、それから?

──願い、聞き届けたり。

頭の中で、誰でもない声がした。

(つづく)

第六話担当 前条透



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