雪の朝の電車で
あけましておめでとうございます。
マンション暮らしから古い家へ引っ越してきて、ついに初めての厳しい冬です。
12月の終わりから1月にかけて、「大寒波が来る」と言われて(「恐怖の大魔王が来る」みたいだね。ほとんど同じかも)、一人じゃ無理かもと思って恐れたけど、何とか生きているなあ。
数ヶ月前の、酷暑をただ「生きる(生きのびる)」ことに集中した夏と近いのかもしれない。
それぐらい、「生きる」こと、「自分の命を守ること」にほとんどの意識を向けている……気がする。
そのわりに、ごちゃごちゃと考えている夜もあるのですが。
「生きる」ために集中して、本気を出さなければいけない状態は、
シンプルで、
努力の向け方がわかりやすく、
誰かや何かと競っているわけでもないから余計なことがなくて、
……つまり健康的なのかも!
性に合っているのかも??
自分のことを「虚弱」だとか、暑さ寒さ痛み不安に「弱い」と思ってきたけど、そうでもないのかもしれない。いや、そうだから、「本気」を出すのかな?
熱い・寒い・痛いの怖い・虫ぜったいダメ……って、ごちゃごちゃ言っている自分のことも「私だな~」と思うし、
これはヤバイ!極限まで来た! はい、本気出します~! ってなる自分も「私」で、どっちも好きだと思う。
家が寒くていよいよ死ぬと思った夜もあったけど、新しいコツをつかんで何とかなっている。
今回は、「ペットボトル湯たんぽ」でした!
冬の初めにストーブの点火式をした時、新しいやかんをストーブの上に置きながら、友達が、
「寝る前にこのお湯をペットボトルに入れたら湯たんぽになるよ」
とちらり言っていたのを思い出したのでした。
ペットボトル湯たんぽはすごかった……!
手袋二枚重ねでも、カイロをぎゅっと握りしめるのでも、ぶ厚い靴下にレッグウォーマーでも永遠に冷たいままだった手や足が、見事に温まる~~
何より、「自分以外の温かいものに触れている」という実感ほど心強いことはなかった。
そういうの大事なんだな~。
昨日は朝から雪が降っていて、電車も遅れ気味だった。
電車がある駅に着いた時、同じ車両の少し離れたところに立っていた人が、どさっという音をたてて倒れた。
近くの女の人が慌てて声を掛けていて、座っている人も立っている人もみんなびっくりして、車内がいっせいに「どうしよう?」というムードになるのがわかった。
ボックス型の変な形の座席の電車だったから、数々のシートに隠れて倒れた人のことはよく見えなかった。
座席は埋まっていたけど、ラッシュの時間帯を過ぎていたからか、人は多くも少なくもなかった。
おじさんが二人ぐらい立ち上がった。
一人は、「車掌さん呼んできます!」と言って車両を移動していき、
もう一人はドアとホームの両側に足を置いてドアが閉まらないようにして、両手を振って駅員に合図を送っていた。
すぐにおじさんに連れられた車掌さんがやって来て、倒れた人に声を掛けた。
倒れた人はすでに席を譲ってもらって座っていて、みんなに声を掛けられていた。
大丈夫そうな感じでうなずくのを何度も確認して、車掌さんは戻っていき、電車は発車した。
しばらくして、「お客様対応のため、発車がおくれました」とアナウンスされた。
それから、別の駅員さんが倒れた人にもう一度声を掛けにきて、何駅か先でその人が降りる時も付き添って一緒に降りて行った。
アナウンスはしだいに「雪のため、電車が遅れたことをお詫びいたします」に変わっていった。
私はただ、その一連のことを見ていた。
人が倒れた時、私の奥に座っていた女性が伸びあがって見ようとしていて、通路に出たそうだったので、もしかしてこの人は看護師さんとかなのでは? と思ったので道を開けて通路に出してあげたら、おじさんと一緒に「車内の非常ボタンを押すかどうか?」の協議を一瞬していただけだったから、ただの何とかしたくて身体が動いちゃっただけの人みたいだった(それでも全然いい)。
率先して動く人たちがいてよかったと思ったし、こういう時は車掌さんを呼びに行くのかーとか(最後尾に近い車両だった)、電車を止めることを優先するのかーとか、そういうことを知った。
自分は何もわからなくて何もできなかったけど、邪魔にだけはならないようにしたいと思った。
それに、「そりゃあ倒れるよなあ~」ということも強く思った。
寒いし、マスクだし、朝だし、「ウイルスの下」にいることになっていて基本不安だし、その上「緊急事態宣言」がまた出ると言っている。そりゃあ倒れるよ。
でも、その時に周りの人々がどうだったかとか、とった行動や流れていたムードは、普通で、迅速で、単なる「事実」に対する「対応」で、シンプルで、みんなよかった。
あ、倒れてもこんなふうに助けてもらえるんだって思った。それで十分だった。
電車は雪や雨や人の対応で遅れるものだし、その時に、誰も怒ったりせず、待ったり対応したりすればいいだけなんだ。
電車で倒れても大丈夫。そう思えたことは、新年の雪の朝の私をふつうに支え、なぐさめた。
また少し、生きづらさが減ったかもしれない。
学校に行って、授業で話したけど、あんまり伝わらなかったかもしれないけど私はこれからもこういう話をしようと思った。
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