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日本の"グローバル女子"が言えない、あの言葉

ふぅ。お久しぶりです。先月、初著書を出版させていただきました。そんなわけで、ここ数ヶ月は執筆の時間と脳を本作りに全振りしておりました。そして、ようやくnoteに帰還。今回は、仕事で海外に単身赴任したことで見えた世界を少し綴ってみます。


まずは妄想タイム


「仕事で海外に駐在することになった。ついてきてほしい。」

このセリフを自由に脳内再生してみてください。
どんなシチュエーション、どんな声でしたか?
発言者の"性別"は?
(オタク仲間の皆さんは、どの声優をあてましたか?)

これは、私がスリランカに単身駐在した2017年にパートナーに言いたかったけど、言えなかった言葉。
周りの男友達が、パートナーに伝えてきた言葉。
周りの女友達が、パートナーに言われていた言葉。

多くの人は、男性が女性に言っているシチュエーションを想像したのではないだろうか。既婚者という設定なら、夫が妻に、そして子供たちに。独身の設定なら、もしかしたらこの後に「結婚しよう」とかいってキラキラしたアレがでてくんのかもしれない。もし、女性が男性に言ってるシチュエーションをあえて想像した人がいれば、きっと私たち友達になれる。

ヨーロッパ、アメリカ、そしてスリランカで生活をしていた時、夫の駐在に帯同した"妻"を、「駐妻」と呼んでいた。彼女たちには駐妻としての大変さや悩みもきっとあったと思うし、「駐妻っていいよね」と安直に言いたいわけではない。私の大大親友も長年の駐妻暮らしでなかなか大変そうだし、よく奮闘してるなあと思う。ただ、私がここで言いたいのは、「駐夫」というワードは当時全くきいたことがなかった、ということ。

今まで「主婦」という表記しか目にしなかったのが、昨今は「主夫」もみるようになったが、いまだ「駐妻」と並行して「駐夫」という単語にふれることは少ない(足りない)。もちろん日本人の「駐夫」は世界中にいることはいるだろう。職種にもよるが、今では働き方も大分フレキシブルにもなったし。しかし、まだまだ足りない。

魔の天秤、「私と仕事どっちが大事なの?」

ライフワークバランスなんていうけれど、どうしてもキャリアとプライベートを天秤にかけないといけない瞬間はあった。私が圧倒的にそれを感じたのは駐在が決まったときだ。キャリア(海外駐在)を選ぶかわりに、プライベート(同居、出産など)を一旦保留せざるをえなかった。パートナーがいわゆる日系企業サラリーマン=辞めるのはリスクだった。日本社会でサラリーマンが相手の駐在のために退職して、数年後に再就職するのは容易ではない。現在はそれが可能なケースもあるが、主流ではない。かといって、当時から起業や出産もしたいと思っていたから、自分が一家の大黒柱になる勇気もなかった。

「現地で相手見つけたらいいじゃん」
「リモートで働ける相手と付き合ったら?」

そんなタラレバもよく言われたが、キャリアを実現させるために、そこに合わせた相手を探すなんておかしな話だ。
愛したい人を愛して、キャリアもプライベートも両立させたい、そんなふうに思うのは、わがままなのだろうか。けれど、私は天秤にかけざるをえなくて、その結果28歳でキャリアを選び、渡航した。

「私(プライベート)と仕事どっちが大事なの」という昔のドラマでありそうなセリフを自分自身に言い放って自問自答していた感じ。

エリートまみれのハイスペ国際会議に参加

グローバルに働くことは楽しいし、「かっこいい」と言われることもある。もしかしたら、いわゆる「リア充」「エリート」な働き方にみえることもあるのかもしれない。勿論、私もスリランカに人生を捧げた女として、悔いはない。本一冊書けちゃうくらいに、スリランカで人生は変わったし(「そのカワイイは誰のため?ルッキズムをやっつけたくてスリランカで起業した話」

けれど、日本社会の一員としてやっていく以上、代償もそれなりにあった(ある)。ただね、愚痴りたいわけじゃない。後ろ向きなことだけ言い続けることって非生産的だと思ってる。メンタル前向きマン。けど、まぁグチグチ言いたくなるのも人生。だからこそ、自分が見えた世界、感じたこと、言われた発言をここに残しておくことで少し希望的観測になるのかなーって。

スリランカに最初に行ったのは、外務省の仕事で(現地で起業したのは数年後のお話)。その頃、他の国の外交官たちとの国際会議というマジでハイスペ的な場に参加することが定期的にあった。

その定例会議は、10〜15人のメンバーで過半数が女性たちだった。オランダ、ノルウェー、アメリカ、オーストラリア、フィンランド、ドイツ、イタリア、スイス、インド、韓国、中国など諸外国の大使(えらい人)、公使(えらい人)、書記官(えらい人)など。(※ちなみに私は、ハイスペ会議に参加させてもらっていたが「見習い」「下僕」みたいなポジション)

もちろん男性もいたが、「えらい人」のポジションにいる女性たちは、とても華やかで賢くて私の憧れの存在となっていった。会議の後や、おやすみの日にランチやお茶をするようになった。「子供もいるから、ぜひ我が家にきて」とお家に招いてくれるように。彼女たちの私生活を少し覗き見させてもらった。
「夫は、私の赴任国で仕事を探してくれてる、子育ては一緒にしてる」
「私たちは、3−4年ごとに交互で働いている。今は私のターン。」
「やりたいことが存在するタイミングでやる、それは彼も私もね」
同じ「外国」からスリランカに辿り着いた同じ「女性」である彼女たち、とてもイキイキと、「グローバル」なキャリアとプライベートを両立させていた。実際に「えらい」ポジションに行き着くレベルに。

「あ、天秤にかけるなんて草w」と少しだけ思えた。

私達の当たり前は、当たり前じゃない

自分は日本にいても「抗ってる」方のタイプだと思ってたのに、なんとなく「女は男の転勤についていく」「逆はレアケース」と自分自身に固定概念を植え付けてしまっていたのかもしれない。この男女差になんら疑問を持たず、「そういうものだ」とどこかで思っていた。その時はじめて自分が持っていた「当たり前」の歪みにしっかり気づくことができたのだ。「気づきづらい生きづらさ」があるな、とも。日本社会は得てして人生に対する「正解」「であるべき論」が根付いているから、その敷かれたレールから外れた歩くには、それなりのパワーが必要。けど、どんな生き方も本来は無駄なカロリー消費なんてしなくてもいいはず。

日本での働き方やジェンダーの役割も徐々に変化している。
とはいえ、一晩で「転勤が伴う女性も働きやすい世の中に」が実現できるわけでもない。

けれど、外の世界をこうして少し「知る」だけで、身近な固定概念に平伏す必要はないと思えて、解像度が少し上がらない?日本のグローバル女子が、相手に「私についてきて」というのは、まだまだ世間的にも、社会の構図や日系企業のスキーム的にも簡単ではないかもしれない。踏ん張らないといけないのかもしれない。けど、「これが当たり前ではないのか」と気づくだけでも、行動が変わるかもしれない。グローバルに働く私達にとって、少しでも境界線が溶けていきますように。

女戦士になりたかったわけじゃないのにね。

こちらの記事にも書いた通り、今の日本の意思決定者の大部分は男性なのが現状。男性が女性の生きづらさを「当事者意識」を持つことはできなくても、「知る」ことは大きな歩み寄りになるので、男性にも読んでもらえたら嬉しい。
かすれ声かもしれないが、無駄にはならないと信じて。
一つの声がバトンになることだってある。


追伸:余談だが、今回のタイトルにもいれている「女子」というワード。「何歳まで"女子"といっているんだ」という主張を時々目にする。何歳でも「女子」は「女子」だよん。

by YUNA 🌿

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▶︎著書「そのカワイイは誰のため?ルッキズムをやっつけたくてスリランカで起業した話」 ( #そのカワ )
▶︎マガジン:「女戦士になりたかったわけじゃないのいね。」
▶︎卵子凍結シリーズ:「#1 卵子凍結を考え出した32歳独身女子(..."女子"?)」〜「#4 卵子凍結、完結編。費用、自己注射、メンタル、気になること全公開...!

6/30日にイカロス出版より初エッセイを出版させていただきました!





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