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「理解」できなくてもいい、「知る」だけでいいの。それが境目を和らげる魔法になるから。

「あなたに私の気持ちなんてわからない!」

誰しもが一度は言ったこと、言われたこと、感じたことがあるんじゃないかな。異性に対して、別世代に対して、友人に対して、親に対して、パートナーに対して。

わからない、だって別の人間なんだもん。

だけど、"わからない"ことは悪いことじゃないんじゃないかな。

同じ性別同士だって、置かれてる環境によって「理解しあう」ことが難しいことなんて多々ある。例えば、私は独身だし子供もいないから、子育ての大変さを聞くことはできても、「理解」することは出来ない。けど、友達の悩みは聞きたいし、一緒に真剣に悩みたい。だからもちろん「知りたい」。私なりに言葉も返したい。色々な人の生き方を知りたい。

同じ年代だからって、理解しあえるとも限らない。なんなら、10個以上年が離れてる人と分かち合える仕事の悩みだって沢山ある。それでも同年代の友達に、私は自分の悩みを「知って」もらいたいから話す。

いろーーーんな人間がいる中で、必ずしも「理解する」ことは必要なのだろうか。てか、マジで出来なくない?それよりも、「知る」ことが大事で、それって最たる歩み寄りになるんじゃないかといつも思う。

日本社会の意思決定をしている大部分が男性なのが現状。

そして、そんな層からも「女性の社会進出」って言葉をここ数年沢山耳にするようになった。だけど、実際は言葉の一人歩き状態で、現状の社会構造は「進出する女性」をサポートできてない(←独身の卵子凍結が保険適応外なことを、結構根に持っている..w)。

けど、この現状を作り上げてる層だって、故意的に私たちを苦しめ、戦わせてるとは思わない。

だって、意地悪をしてるわけではないでしょう?(もしそうなら、ヤバすぎ)

単純に「知らない」「自分ごとにできてない」からなのでは?

なんなら、前述したとおり、女性同士でも「わかりえない」ことは沢山ある。だからこそ、会話を沢山して、色々な人の考え方や生き方を「知る」ことで、その人のフィルターを通して新しい考え方ができたり、自分の幅が広がる。会話ですらなくても良いかも。漫画や本を通して、新しい世界を知ることだってある。このnoteだってそう。

「知る」だけで、それが「考える材料」になり(共感すらしなくても良い)、「知った」人が意思決定の舵取りをできる立場にいるならば、よりより選択肢を作り上げることだって可能だと思う。

私はストレートなので、同性愛の気持ちを「理解」することはできない。だけど大事な友達には沢山いる。だから「知りたい」から、恋バナだって沢山聞く。とっても楽しい。逆も然りで私の恋愛話だって、理解できなくても聞いてもらいたい。それだけで精神的な「歩み寄り」だから。

苦手なのは、「喧嘩腰のフェミニスト」が提示しがちな「男性 vs 女性」という敵対構造を作ること。「男性 vs 女性」だけじゃないね。「社会 vs 自分」みたいなのも。これほど非建設的なものはないと思う。結局良いこと言ってても、自分自身で溝を深めてしまっている。

ただ「知る」ためには、そもそも、そこに材料(発信)がないと、誰かに届くことがない。「知ってもらう、それ以上でもそれ以下でもない」を、私はnoteの基本的な信念として綴りたいって日々思ってる。文章を書くのは得意ではないけど、それでも私のフィルターを通して、私が見えてる世界を発信することで、それを誰かに「知って」もらいたいから。材料があるのに、「知りたくない、だから聞かない」っていう人は基本的にはいないはずなので(響くまでに時間がかかることは多々あるだろうけど)。

まだ性別による格差が蔓延る世の中の現状を、男女ともに「知る」ことで歩み寄り、両者にとって生きやすい社会を実現できてったら、ハッピーだな。


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