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自分史⑤24~26歳・キャリア放浪の始まり

〈自己紹介〉
◎山梨生まれ京都在住33歳
ブレスワークガイド 
◎20代は教職・開発コンサル・青年海外協力隊etc,
◎”ブラック教員”で心身のバランスを崩しインナーワークを学び始める➡︎RYT200取得
◎2022年秋、第一子を自宅出産
◎100日連続投稿中(4/16~)

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久しぶりに自分史の続きを。
前回は23~24歳の頃、
1年間の世界一周で強烈な自由を感じた話。

帰国3日目に書いた報告書も番外編で。


今日はその後3年間の日本生活について。


24歳:暗黒期


人生で1番しあわせだった旅を終えて
日本で待っていたのは現実。

「帰ったらこんなことをしたい!」
と帰国当初はキラキラしていましたが、
旅の経験を具体的にどう活かしたらいいのか
自分が何をしたいのかも分からず、
とりあえず中学生からの夢を追って、
教採の勉強をしながら塾のバイトをしていました。

でもなんか、冴えない自分。
あんなに最高だったのに、今すごくちっぽけで惨め。


「世界一周したから何なんだ」
「自分は何にもできてない」
「人生に失敗した」と思っていました。

自分が惨めすぎて
友人にも会えず、家族にもツンケンして
完全に孤独に囚われていました。





25歳:突然の教員生活開始

鬱々とした日々の中で教採にも落ち
呆然としていたある日、地元の友人から連絡が。
「休職する先生の代わりを探してる」とのこと。

目指していた「東京都の中学校社会科」ではなく
「山梨県の小5担任」だったので少し迷いましたが
想像するとどうにもこうにもワクワクする。
そして「教職」を経験できる貴重なチャンス。

2週間後には教壇に立ちました。

仕事はめっちゃくちゃ忙しかったですが
とにかくやり甲斐が大きくて、
辞めたいとは一切思いませんでした。

子どもたちの純粋さに心を洗われ
1日に何度も感動をもらい…
本当に宝物のような日々。

とはいえ、
激務すぎて私生活が蔑ろになる環境が
あまり健康的な仕事じゃ無いなと思ったのと
やっぱり自分は国際協力に携わりたいと思い
学年末で辞めました。



ここで学んだのは、人生の流れに乗ること。

自分の計画通りじゃなかっとしても
どうしてもワクワクしてしまう誘いなら
乗ってみてもいいかもしれない。

私の場合は尊敬する先輩にも出会えたし
ここで教職に就けたことで
「やって気が済んだ」感じがあって
その後の人生の選択肢も広がりました。
やって良かったし、辞めて良かったと思っています。

最初の目標に拘ることは素晴らしいけれど
時に自分の可能性や視野を狭めてしまうこともある。
横道に逸れたようでも、
自分の心のコンパスに従ったのなら
きっと自分に必要なことが起きてくれる気がします。




長くなってきました(汗)

26歳:開発コンサルと森林保全NPO


やっぱり国際協力がいいと退職したものの
次が決まっていた訳ではなく
1ヶ月無職のまま東京で一人暮らし開始。

そしたら友人の紹介でJICAからの案件を行う
都市開発系のコンサル会社に採用。
まさかのOL生活がスタート。
完全に流れに乗っています(笑)

半年ほど経って、
自分の興味のある分野がやりたくなり
森林保全NPOでのWワークも開始。
働き方は交渉できることを学びました。

この頃は仕事でもプライベートでも
東京ならではの刺激を得ようと
興味のある場所にどんどん行って
とにかく「やりたい事に赴くまま」

教職という目でしか世界を見ていなかったので
自分の武器を作りたい
自分の解像度を高めたい

そんなことをずっと考えてたと思います。

今振り返ってみると
たった1年強しかない東京生活でしたが
おかげで得意不得意・スキキライ
明らかになったことも多く、貴重な時間でした。



以上、24~26歳の放浪記
読んで頂きありがとうございました。


次回は27~29歳「怪奇!ホンジュラス編」です。
たぶん。




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