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「パクった」ことを言うか言わないか

こんばんは。いわさじゅんと申します。

悩み多き人生、どことなく生きづらさのようなものを長年抱えておりましたが、ここ最近(数年)は心のなかの霧、あるいは、モヤモヤとしたかすみのようなものが晴れて穏やかにポジティブな気持ちで過ごしています。

つまり、すこぶる気分がいい状態を自ら創り出しています。波動やエネルギー、“心地よい状態”がワンランク上のステージに上がっているような感じです。

若干スピリチュアルっぽいですが、スピリチュアルなことを通して自分を信じることは、時には大切なことです。

そう、理屈じゃないんだよね。

計算や数式では到底解けない神がかった奇跡。宇宙の法則が今まさに自分に巻き起こっているとしか思えない。それくらい近年稀にみるポジティブマインド。

だただ自分を信じてあげる。心の赴くままに。

あとは臆せず、他人に対して本音をズバズバ言っていくようにすると整えられて、僕のすべてが元の位置に戻るのかなという感じです。

古臭い昭和気質のムカつくヤツには容赦せずオブラートなんて知りませんねの“バーサク状態”でオラついていこうと思います。

どんな不遇なアンラッキーなことでもポジティブに前向きに変換していくというマインドも習得しました。今となっては僕はもう無敵です。

楽しいことをやる、楽しくないことはやらない。至極シンプルフルマインドで生きていきます。

いい感じにギアも上がっているのでササッと本題にいきます。


パクったことを言うか言わないか問題。

結論。“パクり”がうまい人が生き残る。

noteをはじめ、音楽、イラスト、写真など、なんらかのクリエイティブなアウトプットをされている方なら分かると思いますが、“真似る”、“パクる”はクリエイティブにおいて超絶大事です。

僕は昔から音楽を作るにしろ、イラストを描くにしろ人に「パクったよ」と言うようにしています。加えて、影響も受けやすいので「あんな感じの作品自分でも作ってみたい!」と強く思います。思うし人に話す、公言する。

しかもパクったことをより細かく、より掘り下げて作品のどこに影響受けたのか、どうパクったのかを紐解きながらその仕組みを説明します。堂々たるものですよね。

これはもう昔からパクリ癖があるので、ある種の病気でなのですが、これくらいしないと、自分の文脈つまり、影響を受けてきたルーツや辻褄が合わなくてなってしまうというか。

“文脈”とは言わば自分の財産や資産、価値ですよね。自分の文脈やルーツにどれくらいの価値を見出したか。どれくらいの財産や資産を所有しているのか。体のなかに流れる血のようなものです。

つまり、音楽ならあのバンドのあの曲に影響を受けて、あの感じ(雰囲気、ムード、コード感、展開、構成)をパクリました。と公言していくのがクリエイターとしての真摯なる態度だと思います。

深掘りすれば、パクるのがうまい人がオリジナリティーを生み出すと言っても過言ではないと。“すべては模倣から始まる”と言います。

昔の人が残した言葉ですが。模倣がうまい人、つまり、パクりがうまい人がずっと生き残りるという話しです。

かのジョンとポールはかつてこう言いました。

「オレたちはパクりの天才なんでね」楽曲の多様さ、時代性、バラエティーに富んだ尽きることのないアイデアはまさに、さまざまな文脈からヒント得て、取り入れ、自分たちのものにしてきたからこそ、ビートルズは今でも受け継がれ、愛されているのだと思います。

普遍性とままさにビートルズのことを指している言葉だと思います。


僕は音楽やイラスト、動画撮影、写真、ブログ、文章などいろいろなことを意欲的にやってますが、どの媒体もだいたいパクっています。

文章の書き方、レイアウト、構図、構成など。

つまり、今回のこのnoteの文章もすべてはリスペクトするnoterのみなさまからパクって書いています。そう、すべての根源、文脈は“愛”なのです。愛こそクリエイティブの賜物、愛こそがまさに生命の起源アフリカなのです。

心より愛と敬意を込めて言います。

「パクってなんぼ。どんどんパクれよ若者よ」パクりが僕を成長させたといってもいいくらい人生でパクってきました。そう、この世は模倣がすべて。

今回はこのあたりで終わります。

最後まで読んでくださりありがとうございました。また更新します。

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