見出し画像

映画「至福のレストラン」

映画を観て

料理は総合芸術である。
先日、三つ星フランス料理レストラン「トロワグロ」についてのドキュメンタリー映画を観た。とても感動したのだけれど、なかなか感想がまとめられず、しばらく文章にするのを逡巡していた。

フランス料理は、料理芸術と言われるほど美しく、五感で楽しむことのできる総合芸術である。総合芸術については、以前初めてオペラを観たときに感じた。「これを総合芸術というのだ」と。しかしながら料理はさらに、味覚、嗅覚、触覚で味わえる。

料理芸術については海老沢泰久『美味礼讃』で大いに感銘を受けたものの、私の身分では高いレストランに行けるわけでなく、感動を自分の生活に落とし込めないと感じた。ただ、内容についてはとても面白く、こういった分野の芸術もあるのだと目から鱗が落ち、良い読書体験になった。
今回の映画も、そこから受けた感動を、直接生活に活かせそうもないと思った。だからなかなか感想が書けなかったのだろうと思う。やはり私の今の生活から、フランス料理は遠いところにある存在だ。小綺麗な格好をして、気軽に高級レストランに行けるわけでもない。ただひとつ日本と違うと感じたのは、トロワグロには比較的カジュアルな装いで来ている方もいる。そう思うと、その料理の対価さえ払えれば、イメージにあるおしゃれな服装は必須ではないのかもしれない。トロワグロ、無理だと思うけど、いつか行ってみたいと思った。フランスの自然豊かな地方にあり、美しい緑に囲まれた魅力的なところである。

私にできることといえば、せいぜい、フランスの家庭料理を真似するくらいであるが、おそらくフランスの家庭料理とフランスの料理芸術は全く違うものだ。いろいろな食材で工夫した香り高いソース、繊細で色彩豊かな飾り付け、たくさんの種類のチーズ、そして各地のこだわりのワインと料理とのマリアージュ。フランス料理にワインは欠かせない。そして接客やソムリエも一流である。驚いたのはシェフもお客とおおいに話す。それが仕事の一部なのだと思わせられるほど雄弁なのだ。「コミュニケーションで得たフィードバックを、今度はまた私たちが料理に活かしていく。だから料理には終わりがない。」3代目ミッシェルの言葉を要約するとこうなるだろう。もしかしたらこうした交流さえもフランス料理体験なのかもしれない。そしてフランス料理とは、フランス文化の結晶なのだろう。

トロワグロは生産者にも持続可能な生産方法を求める。できるだけ環境負荷のない、自然な製法で生産された食材を使うことで、サステナブルな料理文化を作ろうとしている。そのことにも感銘を受けた。私もできたらオーガニックなものを摂りたいと思っているが、それには資金もいるし、知識もいる。形だけのオーガニックブームにのっかるだけでは意味がない。ヨーロッパやアメリカのスーパーには、気軽に手に取れるような値段でオーガニックのものが置いてあり、かつ認証制度もしっかりしていることが感じられた。noterさんの記事を読ませてもらうと、ドイツでは3つの卵の生産方法があり、卵の殻に番号を書くことで消費者にわかるようになっているそうだ。私の感覚では、平飼い卵のほうがおいしいのだけど、とにかく高いから基本的に手は出ない。日本もESG経済の影響は避けられず、そのうちにそういった環境が整っていくかもしれない。環境に優しいものが安くなっていく可能性もある。そのことに期待したいと思う。

ミシェルは日本にインスピレーションを受けているフランス人の一人である。赤紫蘇をそのレストランの周りにある大きなガーデンで育てており、料理にも素揚げを使っていた。ウエイターは「シソは日本のバジルです」と説明する。ソースに醤油を、お菓子に抹茶を使っている場面も映った。複雑で美しい芸術であるミシェルたちのフランス料理に、日本の精神がミックスされているのは面白い。私は日本料理(料亭で出されるような)のことはあまりよく知らない。一つ思うのは、日本のシンプリシティがミシェルに感銘を与えたのかもしれないということだ。それについてミシェルは多くを語らないが、もしそうだとしたらシンプルなものが複雑なものへ一周回って繋がる面白さを感じざるを得ない。

とりあえず今日のルーティンを済ませる

今日は週末のルーティンである野菜スープを作った。料理芸術云々と言いながら、私の料理はフードプロセッサーを使うし、基本的にただ煮るだけの簡単料理である。トロワグロでは当然なのかも知れないが、フードプロセッサーは使っていないようだった。ミキサーとかは使うのかもしれないけど、そういえば見かけなかった。家庭のための料理と今回の映画のフランス料理とは、まったく別のものだ。
今回、きのこを大きく切ったものと、フードプロセッサーで細かくしたもの、両方の形態で入れてみることにした。今味見したところ、かなりきのこの味がして美味しい。細かくしたのを入れたのが成功したようだ。ちなみに昨日は適当に大豆ミートを使った焼き餃子を作ったのだか、きっと大豆ミートに火が通ってなかったのだろうがとても不味く、不出来だった。今度は茹でてから使うようにした方がいいかもしれない。

まとめ

映画のフランス料理はまさに芸術で、五感を楽しませてくれるものである。
また、料理を環境から考え、それを料理へと循環させる姿勢こそが価値だと感じた。その美しい環境に囲まれた空間に趣き、自分でも味わってみたいと願い、心が震えた。
冒頭のマルシェの場面で色とりどりの野菜が市に並んでいる姿に、目が喜ぶのがわかった。私も今度、新しい野菜でいつもと違った料理を作ってみようかと思う。少しずつ、少しずつ、新しく楽しいものを取り込んでいきたい。そしてそれをまたアウトプットして創作していきたい。

日々を忙しく生きていると、ついつい美しいものがあるということを忘れてしまう。それはどうしようもないことなのかもしれない。けれど実は生活の中にも芸術は溢れている。それを私はエリックカールの絵本「せかいいちおおきなうち」で教わった。美しいものは本当は生きることそのものの中にあり、自然の営みの中にある。それはもしかしたら誰かの優しい気持ちとか、そういう小さなものなのかもしれない。それをずっと忘れないようにしたいと思った。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?