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転出した!

本日、無事に転出届を出した。
といっても、私の実家の自治体から自宅のある自治体に戻るだけ。元あるところに戻るだけの話。

およそ2年前、息子が6ヶ月の時、産後のメンタルがドン底になり、体調もすこぶるおかしくなってしまって、 私と息子は私の実家に戻ることにした。
実家に戻ったところで、場所が変わっただけで私は相変わらず発狂していて、もうどうしようもなくなって、市の保健師さんに相談して、私と息子は書類上でも私の実家に転居することにした。予防接種も保育園も行政サービスも、行政パワーをフル活用しましょう。と言われた。
保健師さんに勧められた病院に行って、息子を保育園で見てもらって、その間はひたすら休んだ。
こうして休んでいること、自分で自宅保育をすると決めたのに、働いているわけでもないのに、日中息子の面倒が見れないということが本当に悔しくて、心底後ろめたかった。
その度に「でも死ぬよりはマシだ」と言い聞かせた。実際私は何回か死ぬ気で行動したことがあったし、息子に加害をする妄想を何回もして、その度に絶望と後悔に襲われた。誰か死ぬよりか、私が自己嫌悪でいるほうがよっぽどマシだ。
自分の中での「良い母」を満たすために、なにか手を動かしたくて、育児書を読んだり、息子の服や袋を裁縫をした。なにかに没頭している間は良かった。

実家に住み始めてから半年経たないくらいで、一度自宅に帰った。息子と二人で日中過ごせる、とわかった。
それから1ヶ月に1回ペースで半月くらい自宅に戻った。やっぱり息子と二人で日中過ごせた。
できるとわかってからは、自宅での生活を増やしていった。

そのうち病院も卒業することになり、今後を考えることになった。本当に何回も相談をした。
どれだけ自宅保育に疲れても、やはり私は「自分がなるべく息子の面倒を見たい」気持ちは変わらなかった。どうしても毎日保育園に預けて自分が働く、といったビジョンが見えなかった。(これは夫の仕事の兼ね合いもある)
もう病気が治っている以上、療養理由で保育園に預ける気も無かった。後ろめたさが勝ってしまった。
自宅のある自治体は保育園に入るのもそれなりに激戦区で、その中を頑張る気持ちもあまり沸かなかった。
それでも保健師さんや福祉担当の方には「必ず預け先を確保」と言われていたし、流石に私も24時間365日息子とは居れない。
当初の予定だった、近隣の幼稚園で2歳のプレクラスがある園を見学して、そこに通園を決めた。今は週3ペースで楽しく通っている。
それまで、満2歳まで実家の方にいることにした。

息子も無事に満2歳になり、自治体で受けられる行政サービス(だいたいは健康診断と予防接種の助成)をすべて受けて、満を持しての転居となった。
この日のために息子のマイナンバーカードも作っていた。転出手続は本当に簡単だった。というかネットでやれば役所まで行かなくてすんだことを役所で知った。(その他の手続きもあったから結果オーライ)

保健師さんと福祉担当の方に挨拶をしに行った。
「無事にこの日を迎えられてよかった」と何回も言われた。「昔初めて会ったとき、寝返りが怖い、離乳食が怖いってずっと言ってたね」と笑った。
「これで縁が切れたなんて思ってないよ、また遊びに来てね。もし二人目ができたら、里帰りすればいいんだよ!住民票移したっていいんだし」と言われて、そんな手段もあるんだな、と思った。実際病院(メンタルの方)には通わなくてはいけない都合もあるし、あり得る話だな、と思った。
縁が切れない、と言われたはとても嬉しかった。

決して楽しい2年ではなかった。つらいほうが多く、あまり記憶もない。あの日入水しようとした川の冷たさも凍えそうな風の冷たさもよく覚えているけれど。
でも、それ以上にあたたかさにも触れた2年だった。本当にたくさんの人にお世話になり、息子の成長を感じられた2年だった。
自宅に戻ったら夫や義理の家族も待っている。帰ったらすぐお義姉さん家族に会う予定があるので楽しみだし、帰ったらすぐ息子の幼稚園もある。毎日遊びに行くから、支援センターも児童館も公園も開拓中。図書館で絵本も借りたいし。

「息子と夫ととりあえず笑って過ごせる、無理しない母」であることを意識して過ごしていきたい。


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