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コミュ障ポンコツのわたしが人と深くつながる旅をした③

#前回の続き


「School for life Compath」
に参加したわたし。視界に入る情報が少ない北海道の自然の中で、せわしない日々を過ごしていた中で心の余白を感じた。
緊張していたけれど、共に過ごすうちに安心感を得ることができ、参加者との距離感を調整することで、疲れを感じたときは無理せず休むことができたと感じたのが前回まで。

今日は、暮らしの中で気づいた、わたしにとってのいごこちの良さ、わたしは何を選んでいきたいのか?について話していきたいと思う。




暮らしは大変だけれど、形を持たない恐れに支配はされない

4日目だったか。みんなで、開拓されていない登山道をあるいて、山に登るというプログラムがあった。

登頂後は、山頂でみんなでお茶とお菓子をいただく。

ぶれぶれ(笑)山頂で飲んだお茶とお菓子がおいしかった

お茶を用意してくれたインストラクターの人と帰り道の対話が頭の中に残っている。

元々は彼は東京に暮らしていて、今の私のように忙しい日々を過ごしていたらしい。人が多い分、東京は集団意識が働きやすいと彼は感じたらしい。みんなが形にないものに恐れを抱くことに対して、集団意識が働くことからは距離を置きたくなったそうだ。

北海道での暮らしは、大変らしい。生きることに集中するからだそうだ。それでも、形にないものに怯えるよりはずっといいと彼はいった。

わたしたちはまだ起きていないことや起こりうるかもしれないことに勝手に恐怖を抱きやすい生き物だ。

将来、お金が無くなるかもしれない、災害が起きて、今生きている命がなくなってしまうかもしれない。

起こってもいないことに恐怖を持つなということは難しい。

だって私たちは、そういう風にネガティブなことをできるだけ避けて生きようとする生き物だし、どうやっても集団意識に影響されやすいものだ。

それでも、形のない恐怖におびえやすい環境で暮らすのか、そういった環境から、離れて暮らすのかを自ら選んで暮らすことも可能なんだなということを教えてもらった感覚があった。

環境のせいにするのはよくないという話もあるけれど、自分がいたい場所居心地の良い環境を選択することは人の自由だ。

わたしは、どんな世界に身を置いて暮らしたいのかなと感じた。

少なくとも、毎日やることに追われて、周りと自分を比較して、自分なんかだめだしんどってなることじゃない気はしてる。

手触りを持って、目の前にいる人を大切にして、生きていくことな気がしている。

大切な人との対話はあきらめないけれど、自分を大切にしてくれない人との距離はおけるといいなと改めて感じたのだった。

宝物のように過ごした一日

残り日数も少なくなってきたころ、私を含めた4名で富良野に行くことになった。

この数日間は遠出することを選択していなかったが、とってもわくわくしたのを覚えている。

一日少人数で過ごすことになることに「どうなるかな」という心配もあったけれど、結局は杞憂に終わり、一日をずっと笑って過ごすことができた。

何故か本当に、ずっと笑っていた。

年上や年下、バックグラウンドを気にせず、

お互いへの配慮、
「ありがとう」「ごめんなさい」
正直に思いを伝えることを忘れない、相手への愛を忘れない、
そして一番大切なのは自分自身への愛を忘れないこと

これらがすべてその場でお互いに大切にできた時間だったのかもしれない。

もやっとしたことは伝えたし、逆に嬉しいと思ったことや楽しいと思ったことは全力でみんなで笑った。

全ての垣根を超えた友人ができたのかもしれないなと感じた時間だった。


みんなで見た夕日がきれいすぎて何だか泣けてしまった

わたしにとってのいごこちの良さとは?


改めて思うことは一週間あっという間だったということ。
心配していたような、人と一緒にいすぎることによる苦しさは感じることはなく、むしろ居心地の良さを感じていた。

朝起きたら、ダイニングにみんながいて眠い目をこすりながら、ご飯を食べて、笑っている。


パンを焼いたら焦げすぎて爆笑したり



「今日は何するの?」っていう緩い会話から始まって、だれかと一緒に過ごしたい人もいればだれかと一緒に過ごさずにゆっくり一人で過ごすことを選択する人もいる。

いごこちの良い方を、自ら選ぶ。

誰かと対話したい人は対話をするし、早く起きたい人は早く起きる、のんびり2度寝をしたいひとは2度寝をする。遠出したい人は遠出をする。

この生活はなんて豊かなんだろうと感じた。

いつも忙しい時間を過ごしている私にとっては、

「今日は何をしよう?」

と選択の余地がある暮らしはとっても手触りがあって柔らかく温かい。

この感覚を持って帰りたいし、これからわたしが生きる世界はここがいい。

自分への愛・他者への愛

最後の日は、みんなでお互いの素敵だと思ったことを付箋に書いて相手にプレゼントして、相手の体に貼ってあげるというワークをした。

びっくりするくらい、涙が出て、愛を感じた。

自分がもらうときじゃなくて、相手に愛を渡すときの方が涙が出た。

そんな自分にびっくりした。

心があったかい。涙が出る。

この涙は、悲しい涙じゃなくて、人に対する愛と自分への愛を理解して受け取っているからの涙だ。

人と関係を築くのが怖かったはずの私は他者に愛を伝えて、受け取れる自分になれたんだと不思議と感じられた。

わたしが選ぶこれからの世界


みんなとバイバイをして、約2週間がたつ。
この体験は何だったのかを言語化するのに正直時間がかかった。

言葉にできないことが多すぎた。

終わった後、さみしさはあったけれど、心がずっと温かかったし、それは今もそう。

Compathでの体験は、「終わったあとが豊かです」と主催の安井さんが言っていたけれど、本当にそうだなと今心から感じていて。

やっとこうやって、周りに体験を話したりしながらすることで言語化が進んでいる。

何が自分にとってよかったのか、ざわざわしたことだったのか、そしてわたしはこれからどんな人生歩んでいくときめたのか。


わたしがこれから選ぶ世界は、大切な人達と大切に笑って、泣いて思いを伝えて、一緒に生きていく人も、場所も自分で選択できる世界だ。

選択できないなんて思いたくない。
わたしはわたしのいごこちの世界を選びに行く。

時間にもお金にも、友人にも、パートナーにも選ばれることを待っていた、待ちすぎていて、選ばれなかったことを悔やんで、逃げて泣いてを繰り返してきたわたし

もっと、わたしは、わたしの人生で起きることを自分で選びとる人になる。

誰かに選んでもらうなんてくそくらえだ。

わたしは、自分の力で居心地のいい場所を選んでいくんだ。

だから、独立するし自分の力でお金を稼ぐわたしになる。
いつでも、自分の人生を自分の意志で選べる自分でいたいんだ。

この記事を最後まで読んでくれたあなたへ

3つ連続で出した今回の記事は、きっとわたしの今の思いがかなりつまっていて、ちょっとよくわからない部分もあるかもしれない。

だからこそお礼を言いたい。

読んでくれてありがとう。

今の私の正直な思い、これから生きていく指針になった経験だったからこそ残しておきたかった。

このnoteを読んで、

「自分の人生は自分で選べるようになりたいわ!!」
「周りに決められるなんてくそくらえだ!自分で決めたいわ!」

けど、どうしたらいいかわかんない!迷いがあるよ!ってときは連絡してほしい。

これからの人生を歩んでいくためにも今の自分を理解して、前に進む指針を一緒にきめるお手伝いを、是非させてください。

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