「事例が欲しい」と言ってしまうことの危うさについて

かつて就職活動中によく出る疑問の典型として、「全員がリーダーになるわけでもないのに『リーダー経験』が歓迎されるのは何故か?」というものがありました。その説明の一つが、多くの人ができることなら「リーダーの苦労を理解できる人」と一緒に働きたいと考えているから、でした。従業員に気軽に経営者目線を求めることの不条理に通じる面がなきにしもあらず、という気もしますが、やはり似たような立場に立たないとその視点に立って物事を考えるのは難しい場合が多いということなのでしょう。プライベートな話題であれば、「幹事の苦労も想像できずに文句ばっかり言うような奴とは、サシ飲みであっても一緒に行きたくない」、なんていうのも近い構造がありそうです。

なぜ人は事例を求めるのか

(現時点でも「なぜおじさん」と書くべきか悩んでいます)

他人に対して「事例ありますか?」「事例ください」と言ってしまう人に対しても、これらの「相手の立ち場からの視界を想像できない人達」に対するのと似たような感情を抱くことがあります。事例クレクレ君という揶揄表現があったことや(そんなに流行はしませんでしたが)、「競争優位になるような画期的な取り組みをしたい」という意向を受けて情報交換の場に連れ出されたベンチャー技術者が「事例はあるの?」と聞かれて絶句した……なんていう都市伝説っぽいよくできた残念エピソード(残念ながら都市伝説ではないと確信する根拠が私にもあります)などを考えると、信頼関係がない相手に対して気軽に「事例をよこせ」などと言うべきではないと思うのですが、大手企業の人や(これはフェアな評価ではないかもしれませんが)年長の人にはそのあたりに迷いが感じられない人が多い印象があります。

事例が欲しい、と思うこと自体は理解できます。誰かが成功したことというのは「原理的に不可能なことではない」という情報が得られるということですので、あえて昨今ではむしろネガティブな扱いをされている表現を使うのであれば「正解がある」ということです。このことの情報としての価値は非常に大きい。何か大きなことに取り組む際に、それが原理的にゴールに繋がっていないはじめから失敗が約束された苦行ではない、ということはおおいに励みになり、取り組み自体の成功確率を上げるからです。

また事例というのは「具体例」です。つまり話の抽象度が低いので、抽象的な情報の処理があまり得意ではない人にも理解しやすいですし、少なくとも表層レベルでの誤解や行き違いが生じにくい。極めてコミュニケーション上安全な情報表現になっています。仕事上の情報収集の場合、担当者は自分が集めた情報を加工した上で意思決定者に伝える必要があるので、ここで具体例が出せるというのは非常に「楽」なわけです。

なぜ事例に飛びつくことが残念なのか

しかし、事例というのは常に「前例」です。他の誰かが既にやったことですので、まず新規性がそれだけ低いことになります。もちろん、初めて挑戦する人より、できることがわかった上でフォローする人の方が色々な面でやりやすいことはあるでしょう。しかし、先行者利益はすでに取られた後ですし、差別化要因としてもそれだけ弱いものになってしまいます。

なにより、他の誰か、のものです。まったく同じ環境を持つ人も企業も存在しないので、その誰かと自分達との間には差異があります。当然、それが理由で、そのままの形で単純コピーは通用しない、ということにもなります。具体的であることは内容の理解を容易にすることもありますが、差異を際立たせてしまうという副作用もあります。そのため、安直に事例を求める人ほど「うちとは条件が違う」なんてことを気軽に言いがちだったりします(個人の感想です)。

さらに残念なその背景

単純化のために、あるベンチャーの技術を大手企業が採用するかどうか、という局面を前提として考えます。その技術はいくつかの企業ですでに小規模ながら何度か採用されているけれども、その詳細は機密への抵触の問題もあり完全にオープンにするわけにもいかなかったりします。そのため事前の説明は、技術自体にフォーカスし対象となる各顧客企業の詳細情報に依存しない抽象的な説明になりがちです。これでは、今回ターゲットとなっている大手企業のニーズとマッチしているかどうかは自明ではありません。

ここで理想的な検証の方法は、技術そのものの情報(ある意味で抽象より)を持っているベンチャー側と実際の業務の詳細や企業文化などのその企業独自の環境に関する情報(ある意味で具体より)を持っている大企業側の両方がその情報を全面的に出し合って協力し検討を行う、ということになると思います。が、実際には、お互いに社外に出せない情報もありますし、その取り組みについてのフィーの取り決めにも依存する部分もあるため、全面的な協力関係というのは難しい。そこで、綱引き的な交渉が生じる事になります。こんな状況でよく大企業側から出てくる言葉が「事例はないのか?」なわけです。

そもそも、事例は「例」です。具体の情報です。まさに判断の材料にあたります。大企業側の担当者としては、利害関係があるベンチャー側のいうことをそのまま鵜呑みにするわけにもいきません(往々にしてセールストークやはったりや大いなる勘違いが混入しています)。そこで、具体的な材料をなるべく多く吐き出させた上で、自分が判断する、という構図を求めます。ちょっと相手に対する尊重の気持ちが足りてない印象を受けますが、とにかく求めているのはそういうことだろうと思われます。

また、大企業側は具体サイドではあるんですが、実際には他にも様々な企業を相手に自社に取り込める可能性がある技術を探していると考えられます。つまり、その視点にたてば、むしろ技術の方が交換可能でありいくつも併置され比較される存在なわけです。これがなおのこと、各企業から事例情報を出してもらいたい、という気持ちを加速させます。しかし、これは、抽象的情報である技術を複数並べた上で、その抽象レベルが一段高くなったところで比較検討を行うという行為です。そして、相手が大企業であっても顧客側の担当者にそのような高い抽象的な情報処理能力があると認められるケースは極めて稀です。というか、まず現実味がありません。つまり、ベンチャー側から見ると、大企業側から事例を要求してくる人というのは、できもしないことをできるつもりで上から要求してきている奴、ということになります。

本当に「ベンチャー側」の人たちが常に皆そういう目で「大企業側」の人達を冷ややかに見ているというわけではないですし、「大企業側」から高圧的な態度で情報や譲歩を一方的に要求されるなんてこともそうそう起きることではありません(社会全体のトレンドとしても減っていると思います)

しかし、こうした構造があること自体は、少し考えればわかることだと思います。仕事ですので、有用な情報を手に入れられる可能性があるのであれば、誠実にその要求は発するべきでしょう。ただ、安直に事例を要求すること自体に、相手との信頼関係にネガティブな影響を与える可能性があること自体は視野に入れておいて損はないと思います。

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