たいの取説
このページへ訪れてくださいましてありがとうございます。
長いこと生きてきましたのでとても全部は書ききれませんが、できるだけわかりやすくたいの半生をお伝えしようと思います。
生まれてから小学校卒業まで
私が生まれたのは昭和のとある日、新潟県のとある田舎。
小さい時は体が弱く病気がちだったものの成長と共に丈夫になっていき、小学校を卒業する頃にはほとんど学校を休むこともなくなっていました。
ただ、心は幼い頃のまま。どんなときにもよく泣き、少食でごはんもあまり食べられません。
ちょっとしたことをいつまでも悔やんだり、誰も気にも留めないようなことをいつまでも気にしたりと、苦しい時間をすごしました。
HSPだと知ったのはずっとあとになってからです。
例えば家族での夕食。
みんなはいつも通りご飯を食べているのに、私はどうしても食べられない。
何か初めて嗅いだような臭いが気になり、とても食べ物を口に入れる気になれません。
家族は「臭いなんてしないでしょ、気のせいだから早く食べなさい」と言います。
しかしその晩、私はどうしてもご飯が食べられず、何も口にしないまま眠りに就きました。
また、幼い時からどうしても我慢できなかったことが『冷たい着替えを身につけること』。
あの冷たい洋服の袖に腕を通すこと、頭から被って胸や背中にヒヤッと冷たい繊維が触れること、それらがほんとうに嫌でよく泣いていました。
そんなこともあり、幼い頃は寒くなってくると祖母に着替えを温めてもらっていました。
実はこれ、今でもあまり変わっていなくて入浴後は必ず1枚何かを着てから浴室を出ます。
一瞬でもヒヤッとするのがとにかく嫌で、真夏以外は今でもそうしています。
他にも、姉が厳しく叱られると真っ先に泣くのは私。
親が私を叱ろうと顔を覗き込むと既に泣いていたりとか、知らない人に話しかけられただけで泣いたりとかその手のエピソードは事欠きません。
また、先述の冷たいものが苦手なことに関連し、プールも苦手です。
プールに入るとその冷たさに息が止まってしまい、顔を水面に浸けることもできないため未だに泳げません。
そんなこんなで幼い頃、世界はとにかく怖いことだらけ。
恐怖心から、ひとりでは家から出ることもできず、インドアな幼少時代を過ごしました。
多感な中学・高校時代
それでも中学に進学すると今までのようにはいかないと、なんとなく悟ります。
親の保護下にはいつまでもいられないと感じ、とにかく頑張りました。
みんなと同じようにふるまえないと友達ができない、一人では何かと大変そう、誰かにいじめられるかも…そんな気持ちが働いて恐る恐る同級生と話すように心がけました。
結果『おとなしい子』という印象はあったようですが、それが『とっつきにくさ』にはならずに何となく溶け込めたように思います。
幸い成績も真ん中より少し上、体育は苦手だったけど短距離走が速くて運動会でもお荷物にならずに済んだので、いじめの対象からはギリギリ外れました。
と言うと、何事もなく楽しく中学・高校時代を過ごしたように聞こえますが、人間関係を築くのは本当に大変で、疲れ切って帰ることもしばしば。「生きるのはほんとに大変」などとこの頃から思っていました。
言いたいことが言えるはずもなく「嫌われたかな」「もう口も利いてもらえないかも」なんていつもびくびくしながら過ごした6年でした。
社会人になってから
~結婚~
その頃よく家族内で陰口を聞かされていた私は、どうしてもそれに耐えられず高校卒業と同時に家を出ます。
寮が完備されているところを探して就職しました。2店舗ある美容室です。
今考えてもよく親元を離れる決心をしたなーって思いますが、当時はそれほどまでに家にいるのがストレスでした。
寮では大変なことや辛いこともたくさんありましたが、ホームシックにはなりませんでした。
それどころか家を離れて1年を過ぎると、ほとんど帰ることもなく親のいない生活を満喫していました。
寮生活を3年経験したのち、ひとり暮らしを始めたため益々実家に帰ることが少なくなり、何となくの勢いで25歳の時に結婚。
美容師の資格は取得しましたがお店は4年で辞め、結婚後は自宅から100kmほど離れたところに住むこととなり、さらに家族とは疎遠になっていきました。
あとになって知ったことの中に、HSP(内向型)の特徴として「孤独が好きなわけじゃないけど一人の時間は絶対に必要」というものがあります。
今でこそ『そうそう!それそれ!』なんて言ってますが、当時はどうして旦那さんが帰って来ないことにほっとするのか、帰って来るとわかるとイライラしてしまうのかわからず「きっとこの人のこと好きじゃないんだ」なんてずっと悩みっぱなし。
8年間の結婚生活は最初の3年ほどを除いてほろ苦いものとなり、33歳で離婚し、実家近くのアパートで再び一人暮らしを始めました。
~離婚後~
実はここからがまた波乱含みで、私がのびのびと一人の生活を満喫しているところに姉が転がり込んで来て、またまた2人の生活になってしまいました。
しかも姉は働いていないため、生活費は全て私が払うはめに。
姉は、食事を欠かさず作ってくれたり飲み会がある時には送ってくれたりもしたので、とても助かりはしましたがとにかくお金がなくてカツカツ。
それでも何とか頑張って2年くらい2人の生活が続きました。
ところがちょっとしたことで姉が豹変。
ここは長くなるので割愛しますが、私はアパートに帰るのが怖くなり実家に戻ることに。
そこから何年もアパートの家賃と光熱費を払い、掃除と洗濯・ゴミ出しをするという生活が続きましたが、あるときそんな生活にまたも変化が起こります。
姉が自殺しました。
いつもの通りに決まった日にアパートに行き掃除・洗濯をしていましたが、何となく違和感。
気づいたとき、姉はすでに亡くなっていました。
私が借りていた部屋での自殺だったので、管理人さんと何カ月もかけて話し合いをし、弁護士さんにも相談して何とか(詳細は伏せさせていただきます)現在も生き延びています。
~現在まで~
その後も
・職場でパワハラに遭い体調を崩す
・警察官に車をぶつけられ反転して田んぼに落下
・父の死
など決して平たんな道のりではありませんでしたが、おかげ様で今もこうして母とふたりで何とか暮らしています。
2018年にはネットビジネスに出会い、一人で引きこもりつつも収入を得ることができるというところに魅力を感じブログを書き始めました。
ただブログの収入だけでご飯を食べるところには至らず。
まだ諦めてはいませんが、いろんな出会いの中で他の道も模索しているところ。
今はいつかやって来る母の介護に備えて時間的な自由ができたらな、と奮闘中。
きっと実現させるつもりです!