休みたいのはお互い様
今の仕事一息ついたら旅行に行ってくるね
また出産で休む人がでてきたから
なんとなく休みづらくなっちゃたけど
休む理由に貴賤はないんだからいいでしょ
#ジブリで学ぶ自治体財政
先日、NHKのニュースでこんな報道がありました。
高度経済成長期に定着した「長時間労働」「休日出勤」「男は仕事」といった働き方はいまも根強く残っていますが、こうした働き方を“マッチョ労働”と呼び、これが少子化の要因の1つになっていると指摘しています。
“マッチョ労働”(笑)とはなかなか秀逸なネーミングですね。
頭で考えるのではなく体を動かすことで仕事を進める体育会系気質。
難しい問題に対し、現状を変えるという思考をせずに、勇気と努力と根性で乗り越えていく少年ジャンプ的世界観。
無尽蔵のエネルギーが社会全体に豊富にあり、人口増加と経済成長が相乗効果で拡大していく局面であれば、こういう力技で課題を乗り越えていくこともできましたが、低成長から人口減少への局面が移行した現在、女性の社会進出により共働き世帯が増えるなか、男性も女性も“マッチョ労働”を強いられれば、それはどこかにしわ寄せが来ますよね。
その一番のしわ寄せが子育てだということでクローズアップされており、それはそれで共感するのですが、その論調や対策について私自身は若干の違和感を持っています。
それはここでいう“脱マッチョ労働”の目的は「少子化対策」なのかということ。
我が家には子供がいませんが、妻が病弱なのでこれまでよく妻の体調不良が原因で仕事を休むことがありました。
成人している妻の看病とか通院付き添いで男性が仕事を休むというのは、子育てが女性の役割と見なされていて男性が子育て理由で休みをとることすら少なかった時代背景の中ではなかなか理解が得られなかった印象はあります。
特に多忙を極めた財政課時代に体験したのが、妻の入院と予算編成激務の両立でした。
市役所で一番忙しい、不夜城とまで言われた財政課で長時間労働を減らし、働きやすい職場を創ろうと取り組んだのは「子育てしやすい社会の実現」ではなく、働く人一人ひとりの尊厳を守るということでした。
女性活躍(この言葉は好きではありません)という言葉が出てきて子育てしやすい社会づくりが急ピッチで進むなかで、なぜ子育てばかりが優先されるのか、家族の看病、介護はどうなんだ、という思いを持つこともあります。
最近はそういう風潮を逆手に取った「子持ち様」なる言葉(概念)が現れ、この言葉によって子育てのために働き方をセーブする人とその影響を受けて仕事が増える人の分断、対立構造が顕在化しています。
これは非常によくないことですが、このように「子育て」という行為に対する反感が顕在化したのは、持続可能な社会にとって必要な労働力確保としての少子化対策、そのために社会として子育てを優先的に支援するという論理が強調されたことで、本来あるべき「働く人一人ひとりの尊厳」を互いに尊重し合うという互助の精神が見失われているからだと思っています。
子供がいなくても、自分や家族の健康維持、あるいは親世代の介護や生活支援について労働との両立が必要な人たちはたくさんいます。
もっと広げて考えれば、余暇を自分の自由な時間に充て、旅行や娯楽、休養による健康回復などに時間を割くことだって、仕事と両立できなければならない。
子どものために休むのも、自分のために休むのも同じ、仕事とプライベートの両立です。
休む理由によってその対応が変わるのではなく、もっと一人ひとりの実情に焦点を当て、その状況に応じた個人の尊厳が尊重され、お互いに自分の時間の使い方を自分で決めることが後ろめたくない、当たり前の職場、社会になっていけばいいなと思います。
もちろん、そういったお互い様の精神で互いを認め合い、譲り合い、助け合えるようになるためには、その価値観のよりどころとなる人権尊重の考え方をきちんと理解することが必要ですし、それを実践するために必要な精神的、肉体的、経済的余裕がなければいけません。
せっかく“脱マッチョ労働”なるキラーワードが生まれたのであれば、ぜひその言葉を定着させるための方法論について、子育てだけに囚われない多面的な視点で議論し、浸透させてほしいと思いました。
私は今、地方自治体で仕事をしています。
労働環境、待遇という観点で言えば、給与水準や休暇制度も充実しており、世間一般で見ると比較的働きやすい職場だと思いますが、仕事のやり方や組織風土においては、地方自治体ならではの“マッチョ労働”の原因となる悪弊がいくつか残っています。
例えば、リモートワークやフレックスタイム制など、勤務形態、勤務時間の柔軟化が進んでいないことで「職場に出勤しないと仕事をしたことにならない」という非効率が温存されています。
仕事の内容についても、電子情報の共有活用による業務効率化、タスク管理等が遅れている一方で、多層構造による意思決定の複雑さや関係者への説明責任への過度な対応等により、必要以上に過剰な資料作成や内部協議などに忙殺され、やらなくてもいいはずの作業が温存される傾向にあります。
一方、そうした業務が評価されるのかというと、仕事の目標管理、成果測定があいまいなため、個人の業績は目標達成の実績について評価されることはなく、ましてその投入時間、労力と比較されることは皆無であるため、職場で実際にどれだけ汗をかいて頑張ったかという、労働時間やその態度で評価されることが多く、長時間労働の温床になっています。
他にもいろいろあると思いますが、地方自治体において“マッチョ労働”からの脱却を図るうえでは、「働く人の尊厳を大事にする」という基本的な理念を、実際の「働いてもらい方」にどう反映するか、つまり、こんな無駄な仕事、つまらない仕事をさせては、働いている彼ら彼女らの人生の無駄遣いになってしまう、という感覚を持ち、働いてもらっている人たちの自由を尊重し、その時間や体力を必要以上に奪わないよう無駄な作業、無意味な時間拘束、効果の得られない労働力投入をさせない「働いてもらい方改革」を行っていく必要があると強く思っています。
★2018年12月『自治体の“台所”事情“財政が厳しい”ってどういうこと?』という本を書きました。
https://shop.gyosei.jp/products/detail/9885
★2021年6月『「対話」で変える公務員の仕事~自治体職員の「対話力」が未来を拓く』という本を書きました。
https://www.koshokuken.co.jp/publication/practical/20210330-567/
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