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未来からの声を聴くのは誰だ

私には未来からの声が聞こえるよ
人口が減るのにまちを広げて
時代に合わない産業を続けて
自分たちだけいい思いをして
借金だけ残して恥ずかしくないのかって
#ジブリで学ぶ自治体財政
 
ここ最近の投稿で同じようなテーマに触れています。
共通するのは「未来」に対しての責任です。
過去の剰余金を積み立てた基金を現在の市民の利益のために取り崩すことへの違和感、将来の収入減少リスクに対応した支出削減の取り組みを鈍らせる正常性バイアスへの警鐘、そして人口減少という「既に起こった未来」から目を背けずに備えることが我々の責務だと、未来に対して我々が持つ責任について重ねて書いています。
 

 以前から私は国や自治体の「借金」を題材に、我々が未来に遺すべきものは何かという問題提起をしてきました。
現在の施策充実、国民負担の軽減のための財源を「借金」で賄うことについての私なりの考えはNOです。
なぜ自治体において「借金」が原則として禁じられているのかを考えればそれは明らかであり、私からすれば国が放漫経営のつけとして発行している「赤字国債」がのちの世代に与える影響についてどう考えているのか皆目見当がつきません。

 財政法第11条「各会計年度における経費は、その年度の歳入を以て、これを支弁しなければならない」
地方自治法第208条第2項「各会計年度における歳出は、その年度の歳入をもつてこれに充てなければならない。」
国も地方自治体も原則としてある年度に必要な支出の財源は同じ年度内の収入で賄う「会計年度独立の原則」を定めていますが、この根底にあるのが、憲法第83条から第86条に定める「財政民主主義」の思想であることを、多くの人が意識していないことと思います。
 
ある年度に必要な支出の財源を同じ年度内の収入で賄うというのは、その年度にそこに暮らし、働き、納税した者たちがその税金の使い道を決め、そのサービスの恩恵を受ける権利を持つという意味で「代表なくして課税なし」の具現化した仕組みですが、実はその仕組みの中で債務負担行為や繰越、公債発行など、年度を超えて支出することをあらかじめ決定することが例外とされているのは、そこに今いない未来の国民、市民の持つ予算編成などの財政活動を行う権限に対する越権、侵害行為となり「代表なき課税」になってしまうことを避けるべきという考えの表れなのです。
財政民主主義の原則は、自らの負担で自らの給付を賄うことを自ら議論し、決定することができる国民に対して与えられた「自分たちのことを自分たちで決める権利」です。
それは課税されることだけでなく、その使い道としての給付の対象や水準も自分たちの負担の範囲内にとどめることを自分たちで理解し、決定し、甘受しなければならないことを意味しますが、実際には「負担なき給付」を志向し、給付の維持拡大のみを決定し、同時に論じなければいけない負担についてはそこにいない誰かにツケを回してしまう、そんな「代表なき課税」へと逃げていないでしょうか。

基金にせよ、借金にせよ、あるいは人口減少を見据えた行政サービスのダウンサイジングという難問にせよ、私が必要だと主張しているのは未来の市民の利益をどうやって守るか。
そもそも財政民主主義は、未来の市民が持つ予算編成権、執行権を侵さないという考えに立っていますが、これは財政に関する限定的な概念ではありません。
例えば環境問題、資源問題など、私たちの社会が未来にわたって持続的でなければならないという考え方全般に共通するその根本は「他者の権利を自己の権利と同等に尊重する」という人権思想です。
未来の市民が享受できる権利が現在の市民のそれと同等になるよう備えること。
未来の市民に科せられる負荷が現在の市民のそれと同等になるよう備えること。
それが私たち現在に生きる者が未来の市民のために果たすべき責任です。
しかし、現にそこにいない彼らの満足いくように、現在の意思決定に参加することができない未来の市民の利益を守るために、私たち現在の市民はどのような仕組み、手立てを講じることが有効なのでしょうか。
 
言うまでもなく公務員は全体の奉仕者です。
全体というのは、行政の行う行為(不作為を含む)により利益を享受または不利益を被るすべての者を対象範囲とするという理解でいいでしょう。
民主主義国家において参政権を行使して自らの主張を行政運営に反映できない者の声を聴き、聞くことができない場合は想像し、彼らに成り代わってその声なき声を行政運営に反映するのは公務員の務めだということに疑念を抱く人はいないでしょう。
ならばその声なき声の主体に「未来の市民」が含まれると解することはいかがでしょうか。
私は当然含むと解すべきと思います。
また、公務員は憲法遵守の義務があり、憲法に定める基本的人権の尊重義務を有します。
行政行為に起因する「未来の市民」の権利侵害を放置することは、この基本的人権尊重義務に反するという解釈もできますよね。
いや、本当は法律なんてどうでもいいんです。
人として「他者の権利を自己の権利と同等に尊重する」ことは、人として当然そのようにふるまうべき倫理的なこと。
誰かが決めているから守るという筋合いのものではないはずです。
しかし、それが守られないのであれば、全体の奉仕者である公務員が未来の市民に成り代わって声なき声を述べ、彼らの権利を擁護する義務を負うことを法に明文化し、その責務を果たすにふさわしい組織開発や人材育成を行わなければならないのではないかと私は思っています。
 
★2018年12月『自治体の“台所”事情“財政が厳しい”ってどういうこと?』という本を書きました。
https://shop.gyosei.jp/products/detail/9885
 
★2021年6月『「対話」で変える公務員の仕事~自治体職員の「対話力」が未来を拓く』という本を書きました。
https://www.koshokuken.co.jp/publication/practical/20210330-567/
 
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