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続・代表なくして課税なし

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#ジブリで学ぶ自治体財政

昨日は将来の市民と現在の市民の利益相反克服の話を書きました。
国や自治体の財政運営において,借金によって将来の返済を義務化し年度を超えて将来の予算編成の裁量を狭めることは,その決定の際に将来の市民が議論に参加し意見を反映させることができない以上,その必要性や妥当性についてはその決定を行う現在の市民が将来の市民に対して説明責任を負うので相当に慎重であるべき。
長期的な視点に立ちつつ,現在の市民と将来の市民の利害を均衡させるには,国や地方自治体の財政構造やその根本理念を理解する必要があるとともに,市民一人ひとりが現在の自分と同等に将来の自分やその子や孫たちを同等に扱い,その権利を侵害しないで尊重できることが必要になる。
そんな理想論を掲げてみましたが皆さん,いかがお感じでしょうか。

そんな中で目に付いたのが,自民党総裁選の争点ともなっている「基礎年金の財源を消費税に」という主張とそれに対する反論です。
少子高齢化が進み,納税者人口が減少する中で安定的な社会保障の仕組みを維持することは大変難しいことで,まさに現在我々が議論し,決定することが将来の市民の義務や権利を決める,責任重大な問題です。
特に年金は現役世代の負担と年金受給者の給付のバランスが複雑に絡み合うため,その絶妙なバランスを現在から将来にかけて安定させ,かつ公平感,納得感を持った仕組みにしていかなければいけないという命題を持つ,社会保障の中でも最も難しいパズルだと私は思っています。
では「基礎年金の財源を消費税に」という論説はどのようなものなのでしょうか。

日本の年金制度は,年金保険料を納めた金額,期間に応じて受給額が決まるため,民間の保険会社が販売している年金商品と同じように自分が払った掛け金の額が利息をつけて将来返ってくる「積立方式」と誤解している方も多いのですが,保険料納付から年金受給までの期間が長期にわたるためその間の物価上昇等による価値変動リスクを考慮し,年金を受給する時期に同時期の現役世代が納める保険料を原資とする「賦課方式」がとられています。
私たちが受給する基礎年金の財源は,その年金を受給する本人たちの世代が過去に負担したものではなく,私たちが年金を受給する時期に年金保険料や税金を納めている現役世代の負担です。
今,まだ年金を受給せずに働いている人の保険料や税金が,今基礎年金を受けている人の年金財源となり,将来年金を受給することになった際には,その時点で働いて保険料や税金を納めている人たちが負担する社会的扶養(経済的な負担ができる人が社会全体で仕組みを支える)の制度になっているのです。

「基礎年金の財源を消費税に」という主張は,今後我々が受給する年金の財源として将来の世代が納める消費税を財源に充てるという主張ですが,現行制度では,日本の年金制度は最低保証部分としての基礎年金(国民年金)と,掛けた金額に応じて受給額が決まる報酬比例部分(主に厚生年金)に分かれ,このうち基礎年金部分の財源には納付された保険料と税金で折半することになっています。
この基礎年金財源の保険料の部分が将来納付人口の減少で目減りするリスクを回避するため,消費税などの安定した財源を充てるように制度改正したいという話です。
制度の仕組みを理解すれば,将来の年金制度の安定財源を税に求めることはなんら問題ないように思います。

年金制度自体について自分が払ったお金が自分に返ってくる「積立方式」であるとの理解(誤解)しているのであれば,自分のもらう年金を安定させるために自分が払う保険料を増やす,あるいは新たに税負担するという話は当たり前の話のように思います。
また,社会的扶養の概念を正しく理解し,「賦課方式」で現役世代が受給者世代を支えることを理解すれば,その制度が維持される前提であればいずれ受給者になる現役世代が,税や保険料でしっかり支える仕組みを作っておかなければ,自分たちが受給者になる際にその安定性が担保されないことも理解できるはず。
どちらにせよ,給付の安定のためには安定した財源が不可欠なのです。
しかし,年金財源の安定的確保のために増税するということに異を唱える人が後を絶たないのはなぜか。
それは結局のところ,自分のもらう年金は安定的であってほしい,すなわち自分以外の誰かにきちんと財源を負担してほしいが,そのために増税されて自分の負担が増えるのは困るということなのではないでしょうか。

将来の年金制度の枠組みを論じている現在の国民が,将来の給付について安定的であることには賛同しながら,その安定につながる制度変更によって生じる現在および将来の負担を忌避する。
複雑な年金制度の構造を正しく理解していない人が多いので,さもありなんという話ですが,単純化すれば給付は大目に,負担は少なめに,ということ。
「代表なくして課税なし」という財政民主主義の原則は,自らの負担で自らの給付を賄うことを自ら議論し,決定することができる国民に対して与えられた「自分たちのことを自分たちで決める権利」です。
それは課税されることだけでなく,その使い道としての給付の対象や水準も自分たちの負担の範囲内にとどめることを自分たちで理解し,決定し,甘受しなければならないことを意味しますが,実際には「負担なき給付」を志向し,給付の維持拡大のみを決定し,同時に論じなければいけない負担についてはそこにいない誰かにツケを回してしまう,そんな「代表なき課税」へと逃げていないでしょうか。

衆院選に向け,新たな給付や社会保障の充実を唱える声や,経済再生のためにプライマリーバランス目標の一時凍結により大胆な財政出動を,という声が日増しに高まっています。
これらの財政拡大路線の財源は増税で,とは選挙前には誰も言いません。
しかし,新たな施策事業に必要な財源を仮に赤字国債で調達するのであれば,いずれ返さなければいけない将来の負債が積みあがる朝三暮四でしかありません。
返すのは自分ではない将来の誰かという無責任ではなく,現在の自分と同等に将来の自分やその子や孫たちを同等に扱い,その権利を侵害しないで尊重することが現在の我々が果たすべき責任であり,緊急的な財政出動を謳うならその必要性と合わせて,それが将来どのように国民の負担となり,今ここにいない将来の国民にどう説明責任を果たすのか,をしっかり論じることを,私たち国民自身が政治家に求め,自らも考えていかなければならないと思います。

★2021年6月『「対話」で変える公務員の仕事~自治体職員の「対話力」が未来を拓く』という本を書きました。
https://www.koshokuken.co.jp/publication/practical/20210330-567/
★2018年12月『自治体の“台所”事情“財政が厳しい”ってどういうこと?』という本を書きました。
https://shop.gyosei.jp/products/detail/9885
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