「50代からの理想のミライ」私は幸せ。周りに感謝。それって本音?認知科学コーチング〜第1章〜
40代50代のための
くびれと小顔を作るダイエットコーチで
フラ暦28年の
フラとタヒチアンダンス講師
認知科学に基づくコーチングプロコーチのわたなべ由美です。
20歳の頃、
あなたはどんな未来を
思い描いていましたか?
そこから20年、30年経って、
その未来は現実になっていますか?
夢や目標は実現できたでしょうか?
夢や目標が実現できた人も
できなかった人も、
今の自分に満足していますか?
私は幸せ。周りに感謝。それって本当に?!
私は、自分のことを
「とっても幸せ」
「周りの人たちに助けられて感謝しかないよね。」
と、思っていました。
というか、
運気を上げたい一心で
そう思い込もうとしていました。
よく言うじゃないですか。
幸せだと思っていたら幸せなことが起きる
感謝していれば、感謝することが起きる、って。
けれども実際は、
愛に飢え、
孤独で
何かを成し遂げている達成感も感じられず、
自分の成長の実感もなく、
虚しさと焦りと
なんとも言えない不安感を
いつも抱えていました。
外から見たらキラキラオーラに包まれて、
楽しそうに生きている
幸せだ、とうそぶくフラ講師が
どのようにコーチングに出会い、
学ぶ様になったのか、
理由と
変化の過程を
現在進行形でお話ししていきます。
その前に、
ここに至るまでの背景と
私のバックグラウンドについて
お伝えします。
40代半ばで、
お金も仕事も家庭も友人も失って
どのように絶望の人生から抜け出して
夢を叶えていったのか
夢を叶えた後
果たして幸せになったのか?
恥ずかしながら、
私の失敗と挫折をお話しすることで
理想の人生を掴むためには
年齢も職業も学歴も関係ないのだということを
ご理解いただき、
人生への焦りや不安を感じている
大人の女性たちが
理想の未来へ
踏み出すきっかけになれば嬉しいです。
「どうしてこうなってしまったの?」 絶望的な気持ちで過ごした40代
30代後半から47歳で離婚するまで、
絶望的な気持ちで毎日を過ごしていました。
家庭も仕事も友達もお金も全て失って、
「どこで間違えたのだろう?」
「どうしてこうなってしまったのだろう?」
「何がいけなかったの?」
と自問する毎日。
私なりに仕事も家庭も必死で頑張ってきたはずなのに。
夫と結婚したのが間違いだったのか?
あの時、会社を辞めてしまったのがいけなかったのか?
起業が失敗だった?
夫婦関係の破綻からはじまった絶望への道。私の人生どうしてこうなってしまったのだろう。
息子が生まれてしばらくして
夫とは修復不可能な夫婦関係となり
息子が2歳の時には、
夫婦関係は完全に破綻した状態となっていました。
数年後、外資系企業の管理職だった夫が
仕事のプレッシャーから鬱病を発症。
息子は6歳。
幼い息子と病気の夫を支えながらでもできるように
自分で起業するもうまくいかず
どんどん経済的に困窮していきました。
仕事も家庭も経済的にもドン底状態。
そんな自分が恥ずかしくて情けなくて
友人にも親にも言えず
周りの人を遠ざけ
孤独と不安の毎日でした。
もう離婚してもいいよ。ようやく自分に許可を出せた時
そんなある日、
唯一、私に残されていると思っていた健康で、
婦人科系の病気にかかっていたことがわかりました。
頭が真っ白になりました。
このまま、人生が終わってしまうのだろうか?、と。
そして、頭に浮かんだのは息子の将来。
なんとか健康を取り戻し、
経済的にも好転させて
息子が自分の力で生きていけるように
そこまでは何がなんでも
やり通さなければ
腹の底からそう思いました。
何かを変えなければ、私たち一家全員がダメになる。
そう思った私は
それまで何をしても改善しなかった夫婦関係について考えました
長い間、かたちだけの夫婦だったけれど、
それぞれのために、もう、離婚してもいいのだと
その時、ようやく、自分に許可を出せました
絶望の日々の中
かすかな光がさした瞬間でした。
けれども、鬱の夫に離婚を切り出すわけにはいきません。
数年間、夫を支えながら、鬱から回復するのを辛抱強く待ちました。
主治医にも相談し、回復したことを見極め、
離婚の意思を伝えました。
ところが、
鬱になったのは私のせいだと
夫の実家に責められることに
弁護士がいない私は
夫の弁護士とのやり取りからくるストレスで
自律神経失調症となり
横になると、バケツの水をひっくり返した様な汗をかき
全く眠れなくなってしまいました。
実家の両親に助けられながら、
弁護士を雇い
1年間の離婚裁判を経て
離婚が成立しました。
息子が6年生の時でした。
40代後半、好きなことが仕事に 私なら大丈夫! 謎の自信で夢が実現
弁護士費用や
生活費
息子の塾代などの教育費
受験費用
借金と督促状に追われながら
シングルマザー生活のスタートでした。
家庭も仕事も友人もお金も全て失ったけれど
私なら大丈夫!という謎の自信がありました。
その証拠に
すっからかんなのに
とても私の収入で通わせられる学校ではなかった
中高一貫校へ息子を通わせることにしました
息子の可能性だけは奪いたくない!
私なら大丈夫!なんとかなる!
転機のきっかけとなった私の病気も
幸い、命に関わる深刻なものではなく
完治はしないけれど
上手に共存していける様になり
健康上の問題は無くなりました。
経済的な立て直しを図った起業は失敗したけれど
長年好きで続けていた、大好きなフラが少しづつ仕事となっていました。
口コミで生徒も増え、
離婚後、なんとか生活していける様に。
さまざまな人に求められることが
嬉しくて
夢中になって仕事をしました。
役に立ちたい
喜ばせたい
朝から晩まで365日、仕事のことばかり考えていました
収入にならない仕事もたくさんありましたが、
声がかかればなんでも引き受け、
ほとんど休みなく働いていました。
当時の私のお仕事依頼に対するスタンスは
はい! か Yes! か 喜んで!
(たとえギャラなしだったとしても…)
がむしゃらに突っ走っていくうちに
講座開講依頼や
公演依頼や出演依頼を
さまざまな企業や、団体からいただく様になり
思い描いたことがどんどん実現していきました。
最初は全くお金にならない仕事ばかりでしたが
お金は後からついてきました。
40代後半になって、
好きなことで
人の役に立ち
生活ができる様になり
求められ
褒められる様になりました
少し前までは
息子と二人で生きることに必死で
夢を見ることさえできなかったのに
40代後半、
気がついたら夢が実現していました。
認知科学に基づくコーチングを学んで分かったのですが、
脳の仕組みとして、この「謎の自信」、が夢や目標の実現には必要です。
その仕組みについては第3章でお話しします。
先生は孤独? 役に立たなければ愛されない?!
夢が実現して毎日ハッピー! とっても幸せなはずなのに。。。
冒頭でもお話したように
実際は、
愛に飢え、
孤独で
何かを成し遂げている達成感も感じられず、
自分の成長の実感もなく、
虚しさと焦りと
なんとも言えない不安感を
いつも抱えていました。
慕ってくれる生徒もたくさんいる、
寄り添ってくれる息子や両親もいます。
支えてくれる友人もいます。
けれども私は
先生としてもっとすごい知識や技術を指導できなければ
息子にとって最高の母親と父親役を果たさなければ
両親にとっての自慢の娘でなければ
役に立たなければ、愛されない。
と、無意識に思い込んでいました。
だから、どんなに慕われても、愛されても、大切にされても
今の自分では愛されない
もっと知識やスキルを高めなくてはと、
セミナーやワークショップ、スクールに通う様に。
もっと喜んでもらわなければ
もっとすごい人間にならなければ
いつの間にか、私の世界は
「こうあるべき」
「こうしなければいけない」
という、〜ねばならない、で埋め尽くされていました。
夢が実現したはずなのに
何をしても楽しくない
達成感もない
成長している実感もない
相変わらず、孤独と不安な毎日。。。
先生とは孤独な職業なのだと自分に言い聞かせ、
スキルを高めるべく
フラやタヒチアンダンス以外の
身体系の様々なワークショップや
パーソナルトレーニングを受ける様になりました。
そこから身体系指導者のためのトレーニングを受け、その後、
認知科学に基づくコーチングに出会ったのでした。
この出会いで、〜ねばならない、にまみれてしまい、自分を見失っていた私の人生が、予想を遥かに超えたミライへと大きく変わっていきます。
次回は、
認知科学に基づくコーチングで才能を100%発揮して、理想のミライを作る脳と心のカラクリについてお話をします。
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