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遅いインターネット

振り返ると私の人生はしばしば本に影響される。

高校の図書館で辻静雄先生の本に出会わなければ今フランスにいなかっただろうし、この自粛期間続けたランニングのお陰か体が引き締まってきたのは、村上春樹が走ることの素晴らしさを謳っていたからだ。
フランスに来てからは、意図的に読書を遠ざけていた。やることは山のようにあった。生活する上でのあらゆる問題に対処していくにはある程度フランス語を覚えなければいけない、引き受けると決めたソムリエという未知なる仕事も覚えていかなければいけない。一人ぼっちだった私を沢山の人たちに引き合わせてくれた恩人との時間は、何よりの優先事項となっていった。
何度好きな本を手に取っては、棚に戻しただろう。次に戻さない日が来るのは仕事となんらかの形で距離を置いたときだろうと、遥か遠そうな未来を思い描いていた。


それは私が思っていたより早く来た。じりじりと太陽が照つけた夏の日の夕立のように突然、気心知れた同僚たちと仕事をすることは禁じられ、終いには誰かと会うことは徹底的に避けなければならない必須事項となった。
同僚たちはこの惨状を家族と一緒に乗り越えるべく各々それぞれの場所へ散っていった。新しい職場に移ってから仕事しかしてこず、今住む街に知り合いのいなかった私は、たった一人で耐えることしか選べなかった。年老いてきた両親のことを思うと、日本へ戻る気持ちには到底なれなかった。
時が止まったように静寂が訪れた私の人生を、ゆっくりと地平線に沈んでいく夕日に今日の終わりを告げられるように、しみじみと観察していた。しかし、日々増していく人生を狂わされた人々の数に、ただ観察し続けることは容易なことではなくなっていった。夕日はすっぽりと沈み、星を押しつぶすような濃厚な夜が私を包んでいった。


そんな時にふと目にふれ、なんとなく手に取った本だった。新しい出会いという遠い日に置いてきた懐かしい感覚に浸るだけで、心の平穏さを繋ぎとめられたように思った。しかし読み進めていくにつれ、この出会いを偶然で終わらせず必然としなければならないという、まさに高校の教室で授業をさぼって偶然読んだ村上春樹との出会いのように、落雷のような強く鋭い衝撃が身体中に響いていった。
ビリビリと身体から溢れるエネルギーと、僅かに昇給した分の給料を使って、終わりの見えないこの暗闇に対抗する知恵を学ぼうと著者の授業を受けることにした。結果的にこの行動が唯一にして最強の、トンネルを一人進んでいくための暗闇を照らす灯りとなった。灯りはトンネルが続くことをわずかに示していた。少しでも見えるようになったのだからと、足もとから目を離さないように、ゆっくりと踏み出し始めた。頭をぶつけ、転ぶことはしょっちゅうあった。しかしトンネルが続くことを示されている限り、もう少し進んでみようとまた一歩を踏み出した。時々一緒に照らしてくれる人々と出会い、進み、その体験は手にした灯りのようにほっこりと私を包んでくれた。
まだ外の光は見えない。ようやくトンネルに慣れてきた目は、暗闇を踏み続けるスピードを少し早めてくれている。

こういう本こそ紙としていつも触れていたいと思うのだが、外国にいるとそれは夢でしかない。電子でも出会えただけ今日のテクノロジーに感謝しなければならない。
それでもいつか外の光が見えたとき、本屋で手に取る姿は夢で終わらせたくないと思う。

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