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人間と機械の違いは何か?

アナログとデジタルの違い

このところ近くへ引っ越してきた母N子さんの生活をサポートすることが増えた。彼女は以前にも書いたとおりPCのキーボード操作は何とかできるが、インターネットやスマートフォンといったデジタルツールを一人で使うのは苦手で、電話帳にない番号を電話しようとスマートフォンからダイヤルパッドを立ち上げることも「どうしたらいいの?」と大騒ぎになる。

個人的にはミシンなどをあれだけ操作できるのだから、とつい思ってしまうが、本人に言わせると「ちょっと触るとどこか分からないところへ飛んでいくんだもん(怒)!」らしい。彼女にすれば指先一本で次々変化するタブレット型端末は危うくてヒヤヒヤするもののようだ。

一方デジタルネイティブ世代の子どもたちは液晶ディスプレイを難なく操る。それはいいのだが、来所する子どもたちの発達面の評価をすると、時に「えーと、それはタブレットではないのでね」と突っ込んでしまうことがある。

どうやら彼らにしたらタブレット端末も、絵カードの絵も、板に描かれている絵も同じように操作可能と思ってしまうらしい。

最近よく見かけるのが絵カードをタップして名称を言わせようとする、小さな絵を拡大しようとピンチングする、絵を好みの場所へ移動させようと指でスワイプするといった言動だ。そして、動かないことに次第にイライラし始める。

積み木を積むときでも液晶画面でのピンチングやスワイプの発展形のような操作をする子どもをもはや珍しくもない頻度で見かけるようになり、親御さんも「ご飯を食べる時も食器をちゃんと持てなくて…」と困惑気味で相談してくる。

たいていそのようなケースは協調運動全般が苦手で、バランスを要する動作はフラフラしている。物の操作も以前書いたように指先に力を入れる、親指を他の指と対立させるという基本的な動作すら怪しいことが往々にして認められる。

液晶画面の仮想世界は指一本で操作できるからかもしれないが、三次元の世界はそうは行かない。手を動かすことへのモチベーションが低ければこの世で身の回りのことをするのは面倒なことこの上ないのかもしれない

機械ならそれでもいいけど…

コミュニケーションでも以前にはあまり見かけなかった行動を見かけている。例えば親や私の顔を見ながら絵カードをタップして呼称させようとする子どもたちに会う頻度が増えた。彼らにすれば普段は絵を指さしした時大人が名称を教えようと「あ、○○だね」とする行為を「ボタンを押せば大人を操作できる」と解釈しているのだ。

たしかに今の世の中ではスマートスピーカーに呼びかければ会話をし、タッチパネル操作でも人の声で応答してもらうことが増えている。機械が人に置き換わっているだけ、と解釈すれば何の不思議でもない

分身ロボットのような機械なら操作しているから自立とみなされるが、それが人になると失礼な行為、となるのはなぜだろう?-ある意味哲学的な問いになるが、コミュニケーションや言語獲得を考える上でも重要なことだと最近感じているので、もう少し深めていきたいテーマだ。





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