見出し画像

数学・物理・化学 学んだのが今の時代だったら・・

中学高校時代に、木山仁氏の塾に通いたかった。
できな過ぎて、入学をことわられるかもしれないが。
学校で、理解できない授業を受けるのは無駄な時間だった。
理解できない科目があるのは、自尊心を損なうことだった。

何で学校に通ううちに学ばなかったのかといわれそう。チャンスはあったはずなのに。その当時はそれが事業でつかえるなど思えないものだし、気づきにくいもの。

分からない理数系の授業

60年近く前、女子中学校では、全部の科目がほぼ分かっていたと思う。
高校に進んで、理数系が明らかに分からなくなる。
先生の熱意がない。あきらめきった授業だった。馬鹿にされていた?
理数科系得意の1クラス以外は、女子は理数系必要ないでしょという感じ。
できなかった私のひがみかなあ。

ネットが無かった。良い参考書が無かった。自分で補う方法もない。
数学も物理も、解き方のひな型を丸暗記する試験勉強。
定期試験では山が当たった問題だけできた。
丸暗記する熱意が功を奏して、物理がクラスで一位になったことがあった。60点も取れてなかったけど。自慢じゃない。こんなに分からない私が1位ということは、みんな分かっていないということ。授業が悪い!
45年経つと、記憶は曲がって自分の良いように歪んでいるかもしれないが。

眠りの精というあだ名の化学の教師
どうせ分からないだろう感あり淡々と授業を進める物理の先生
生物と地学はなんとか分かった

化学研究部地学班 

唯一、普通の授業で、楽しく学べた理科系の暗記でできる「地学」
理科系コンプレックスがあるなか、科学研究部地学班に入部した。
当時はそこしかなかった渋谷のプラネタリウムに通った。
天体観測で上野へ天体望遠鏡を見に行ったような記憶。
青梅の河岸段丘の地層を調べに行った。文化祭で模型を作ったなあ。
化学研究部の指導教師の先生方が山が好きで、尾瀬や八ヶ岳へ連れて行ってくださったのが、運動音痴の私の一生の思い出になった。至仏山の9合目で限界。登頂できなかったが、尾瀬を見下ろす景色は良かったな。

「人生に理数科系は必要ない」ってことはなかった

たとえ文科系へ進んでも、数学が必要だと教えてほしかった。
3、40年前カウンセリングを学んだ時、心理学では統計学が必要だった。統計学はまるっきり分からなかった。心理学がなんで個別事例でなく統計なんだ!
知人が管理栄養士になるには数学力が必要だったと言っていた。
そうか、カロリー計算とかがあるのかな。そのまま大学に進めば家政科があった。そんな動機づけをして、なんとか救ってほしかった。
社会学系に進んで、理数科系とは縁が切れた。


三角関数

さて、大人になり、牛乳パック工作で、正三角形を切り出すときに
中学で学んだ三角関数を持ってきて、うれしかった。
ほんとは、7cmの牛乳パック、高さ6cmで正三角形になるってわかっているんだけど、無理に計算してみた。

得意な地図で、斜め45度の道を進んだらどれくらい得かな。
1・1・√2 ひといひとよにひとみごろ 1.41412356 なんて楽しい。

中学までは、分かって楽しかったのに。

地方公務員(公社)試験

中学受験の算数で受かりました。今もそうだかは分かりませんが。
中学受験の算数は得意だったのが役に立ちました。
50歳過ぎて受けた公社の試験。方程式でなくて解ける流水算、植木算、旅人算のような計算問題、順列組み合わせ程度。出題に癖があるので問題集の勉強は必須と感じました。人生の節目で大事な試験に、高校数学が出なくてよかった。
22歳で受けた特別区の公務員試験のこと思い出せませんが、受かったのだから高校数学は出なかったのでしょう。
※「年金の積立て方式と賦課方式の違いを述べよ」は覚えています。受かるような答え方をした覚えはあります。そのころからの課題を50年経っても解決していないんですね。

微分・積分

ずいぶん時間をかけて、グラフを使って習った記憶がある。それが何なのかを理解できなかった。先生が教えてくれた方法、小手先の試験対策で方法は覚えたが、意味や楽しさを教えてくれたのか。聞き洩らしたのか。理解できなかったのか。
高校の数学の微分積分って、生活の中で取り入れられるだろうに全く理解していないので残念。化学の計算も全く歯が立たなかったのも苦い思い出だ。多分物理が生活に一番近かったかもしれないがこれも全く分からなかった。

今から数学や理数科系の楽しさに挑戦しようかなと思ったりあきらめたり。私の頭が悪かったのではない。教え方が悪かったと言えたら爽快だろう!
やはり、だめかもしれない。分数式の計算で挫折したんだ。

※おまけ 記憶に残る英語


熱意のある英語教師の授業は、55年経っても覚えている。
この例文を覚えなさい。
It is necessary for everyone to be as careful  as possible

ジョーン・バエズのフォークソング「花はどこへ行った」
50年以上経っても全部覚えている。

ギターを持って授業に現れた先生。覚えないわけがない!

長くなりました。
この話題は、今日で語り切ったかな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?