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「光復香港」三〇〇〇キロ先のフリーターを衝き動かす。香港ルポその2



 池袋の路地裏にある中華屋で遅い夕飯をとっていた。ふと食堂に備え付けられたテレビに目をやると、テレビでは香港デモのリーダー的存在となっている政治団体「香港衆志」の周庭がデモ隊が警察本部を包囲したことに関与した疑いで逮捕されたニュースが映し出されていた。周庭は先の二〇十四年香港雨傘運動を先導した学生団体「学生思潮」の幹部の一人だ。二二歳の若さである。

 いつだって世界を変えようとするのは若者だった。
 
 民主化を求めた学生たちが次々に殺されて行った天安門事件や多くの学生たちが戦い死んで行った大東亜戦争(太平洋戦争)。東日本大震災だって若い人たちを中心に懸命に復興が進んでいる。
 若くして死んで行った彼ら彼女らのことや未来のために必死で働いている人たちのことを思うと、涙が止まらなくなった。

 口いっぱいに詰め込んだ唐揚げが喉につっかえた。
 
 僕はいったい何をしているんだろうか。
 自分よりも年下の人たちが未来のために戦っている。
 ろくな職につかず好きなことをしてのうのうと過ごしている僕はいったいなんなんだ。
 
 僕は生きていることに恥ずかしくなった。死にたくなった。

 気を紛らわすために残った料理をかきこんだ。料理はすっかり冷めていた。

                ◯

 九月十九日深夜、羽田空港国際線ターミナル。香港行きの飛行機を待つ。早朝七時の便だった。
 格安航空会社「香港エクスプレス」は香港片道八〇〇〇円という破格の値段でチケットを売り出していた。普段から香港行きの航空券をチェックしているわけではないが、少なくとも去年見たときは片道一万五千円だった。この安さも香港のデモが激化しているからなのだろうか。

 いくら安いからといっても時給千円の薄給アルバイターにとってはそうはいかない。節約するため、オプションの預け荷物を取り消し、全ての荷物を機内に持ちこめるほどの量にした。

 ・シャツ三枚 ・パンツ二枚 ・スウェット ・タオル
 ・カメラ五台 NIKON F2 ニコマート FTN MINOLTA sweetα OLYMPUS イズム220 Canon 4Kビデオカメラ
 ・歯ブラシ シャンプー ・iPad ・フィルム 十三個 ・充電器

 それらを登山家のようなリュックサックに無理矢理詰め込んだ。
 機内手荷物は七キロまでと定められており、七キロを超えてしまうと超過料金が発生してしまう。超過料金は事前に申請するよりも法外的に高くなってしまうのでなるべく避けたいところだったが、これらのものが詰まったリュックサックは八キロをオーバーしてしまった。
 はて、どうしたものか・・・空港ロビーに設けられた計りの前で頭を抱えた。
 原因は明白だった。時代遅れのフィルムカメラたちがその重さの大半を占めていた。
 
 写真に興味を持ち始めたのは中学三年生の時だった。年に二回の変態祭りである世界最大の同人誌即売会「コミックマーケット」通称・コミケへ足を運んだ僕は、目の前を通り過ぎる可愛いコスプレイヤーたちのクオリティの高さに衝撃を受けた。周りのカメラ小僧に混じってコンパクトデジカメを構えたものの、カメラ小僧達が構える立派なデジタル一眼に太刀打ちできず、コスプレイヤー達から一切目線が来ることはなかった。その半年後、高校の合格祝いに念願のデジタル一眼レフ「SONYα330」を母親に買ってもらう。それからしばらくコスプレ写真などにハマり、イベントがある度にカメラとともに会場へと足を運んだ。高校に入学してからは写真部に入部し、フィルムカメラへのこだわりを持つ先輩達の影響を受け、今日に至るまでフィルムカメラで写真を撮り続けてきた。
 
 そう、フィルムカメラは重いのだ。いかなる環境でも耐えらるようにボディが鉄やアルミでできている。 
 カメラを置いていくわけにはいかないので、リュックサックを少しでも軽くするために、衣類を全て取り出し、全てを体に身につけた。体に身につけている荷物は機内手荷物の重さに含まれないのである。かなりセコいやり方だ。
 カメラ二台を肩にかけ、二重に履いたスウェットのポケットにパンツ二枚を忍ばせた滑稽な姿で香港エクスプレスのチェックインカウンターへ向かった。
 香港エクスプレスチェックインカウンターはそこそこ混雑していた。観光客が半分、もう半分は香港人とみられる人たちが並んでいた。デモの影響もあってスカスカなのではないかと思ったが、さすがはアジア屈指の大都市香港、デモは激化する一方だが海外旅行の行き先として人気はまだまだ衰えそうにない。
 チェックインは何ら問題もなくスムーズにできた。パスポートを渡して、座席を指定して、機内手荷物にタグをつけるだけで、リュックサックを計りにかけることなく終わった。荷物の量を誤魔化すための努力は一体なんだったんだ。

 飛行機の搭乗開始時間まで二時間ほどあったが、多くの店が閉まった深夜の羽田空港に用はないので、身につけていた衣類やカメラを再びリュックサックにしまいこんで、さっさと出国審査を受けることにした。
 空港職員が無愛想に出国スタンプをパスポートに押す。この瞬間がたまらない。「あなたはもうこの先自己責任でよろしくやってくださいね」と言われたような気持ちになる。もう後戻りはできないのだ。ワクワクと心踊る気分、今すぐ飛び跳ねたい。もう自分は一人で何してもいいんだ、誰にも邪魔されずにやりたいことをやるんだ!しかしその反面、大きく上にのしかかって来る「不安」の二文字。万が一大怪我をしてしまったらどうしようか。強盗に身ぐるみ剥がされて無一文になってしまったら?騒動に巻き込まれて命を落としてしまったら…。もしかしたら国際問題にまで発展するかもしれない。心配をかけてくれている家族や友達のことを思うと申し訳ない気持ちになる。「やっぱりやめておけばよかった…」心の奥底で実は後悔している自分に気がつく。
 
 「ええい!もうどうにでもなってしまえ!」

 帰りのチケットを買ってしまった以上どうあがいても後戻りはできない。もう行くしかないんだ。というよりチケットがもったいない。それに出発の前日、金がなさすぎてしょげている僕をみかねた友人のN氏が「自由に使ってくれ」と大金をカンパしてくれた。N氏だってお金がないはずだ。だがこうして僕を応援し支援してくれるのだ、後悔しないように何でも見てやろうではないか。
 こうして吹っ切れることで、大人へと成長していく。そんな気がした。もう今年で二十五歳だけど。 

                 ◯

 窓際の座席を指定したにもかかわらず、機内で爆睡。外の風景を一切見ることなく、いつのまにか香港エクスプレスの機体は香港国際空港の滑走路をゆっくりと走っていた。時刻は午前十時。天気は快晴。絵の具をべったりと塗りたくったかのような濃い青空だった。
 香港国際空港のイメージは、雑居ビルや不法に占拠されたバラックに囲まれ、離着陸の大型旅客機がビルをスレスレで飛び交う。そんなのを想像していたが、それはもう大昔の話。かつての香港名物「啓徳空港」は九龍湾からマカオからほど近い西に移し、今では人工島に浮かぶ巨大な近未来空港に姿形を変えていた。

 ターミナルを移動するための空港モノレールに苦戦しつつも、なんとか無事入国。ニュースで見たデモ隊による空港の大混乱がまるで嘘のように、空港内は観光客で賑わっていた。抗議をする者が空港職員と押し問答を続けている場面に早速出くわすかと思いカメラをいつでも構えられるように首からぶら下げていたが、その必要は無いようだ。拍子抜けをした。
 空港内では五千円を香港ドルへ両替し、simカードと香港のあらゆる交通機関で使用できる交通系IC「オクトパスカード」を購入すると、機場快線といわれる空港線で香港駅まで向かった。
 機場快線(香港エアポートエクスプレス)の利便性は福岡空港の利便性と負けず劣らずで、片道百十香港ドルと少々値がはるが、香港の中心地である香港駅まで三十分とかからずに運んでくれる。
 
 またも外の風景を見ることなく車内で眠ってしまう。香港エアポートエクスプレスは終着駅である香港駅に到着し、折り返し空港へ向かう時刻まで停車していた。急いで荷物を担ぎ改札へと向かう。
 宿はBOOKING.COMで予約をしてあった。旅の宿決めは現地に行ってから探すのが僕の中では基本であり恒例行事であり、旅の醍醐味でもあった。しかし今回はびっくりするほどの貧乏旅行である。現金を持ち合わせていないので、現金を必要としないクレジットカードで料金を先払いしていた。
 宿のある重慶大厦の最寄り駅「尖沙咀駅」へ香港地下鉄・通称MTRを使ってすぐに向かってもよかったが、地上の風景を一切見ることなく宿へ直行するのはもったいない気がして、タバコも吸いたいところだし香港駅周辺を散策することにした。尖沙咀駅行きのMTR改札の場所を確認すると、併設されたショッピングモールを通過して地上へ出た。半ば迷路のようになっており東京駅さながらで苦労したが、駅の案内板が漢字表記のため迷うことはなかった。
 外はやはり快晴だった。高層ビルの隙間から照りつく陽の光が肌を容赦なく焼き付ける。ちょうど昼時だったため多くのビジネスマンたちが目の前を忙しなく往来していた。香港駅周辺は中環エリア、つまりセントラルと呼ばれ香港経済の中心地だった。行き交う世界中から集まったビジネスマンや観光客でごった返してはいたが、東南アジア特有の独特な雰囲気はなく、歩道道路も整備され、街のインフラがしっかりしているおかげで交通量は多いものの渋滞は無く、クラクションの音ひとつ聴こえず静かでいて、空気も綺麗だ。こんな平和な街の一体どこに、ニュースで見たような催涙ガス飛び交う大規模デモが行われているのだろうか。
 あちこち散策しているうちに、足が疲れてきた。荷物を降ろして早くベッドに横になりたい。そろそろ宿へ向かおうかと地下鉄へ方向転換したが、あることを思い出した。ここは香港島。宿のある重慶大厦の最寄りは海を渡った先にある対岸の九龍サイド尖沙咀駅。海を渡るには地下鉄か海底トンネルをくぐってバスかタクシー、あともう一つは…
 香港駅から徒歩十分ほどの場所にそれはある。「天星碼頭」香港島と九龍サイドをフェリーで結ぶフェリー乗り場。
 
 今回の旅は香港で行われるデモ活動に触発され衝動的に香港へ訪れたわけだが、デモが行われるずっと前から、香港へ行きたいと思っていた。それというのも、僕の愛読書でありバックパッカーのバイブル的存在である沢木耕太郎著「深夜特急」はインドのデリーからイギリスのロンドンまで乗合バスで行くという壮大なストーリーの最初の舞台が、ここ香港なのであった。深夜特急で描かれた香港はとても魅力的だった。そのなかでも特に印象的だったのが香港島と九龍サイドを結ぶ天星碼頭「スターフェリー」に乗った時の描写がとてつもなく爽やかで気持ち良さそうだった。

 沢木氏はスターフェリーに乗った時のことを深夜特急でこう書いている。

 人が狭い空間に密集し、叫び、笑い、泣き、食べ、飲み、そしてそこで生じた熱が熱気を立てて天空に立ち昇っていくかのような喧騒の中にある香港で、この海上のフェリーにだけは不思議な静謐さがある。それは宗教的にも政治的にも絶対の聖域を持たない香港の人々にとって、ほとんど唯一の聖なる場所なのではないかと思えてきた。

 六十セントの豪華な航海。私は僅か七、八分にすぎないこの乗船を勝手にそう名付けては、楽しんでいた。

 僕はこの文章を思い出し、疲れを忘れて急いでフェリー乗り場へと向かった。


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 フェリー乗り場は意外なほどに閑散としていた。フェリー乗り場の改札に立つ係員からは生気が感じられず、退屈そうに辺りをふらふらと歩いていた。退屈そうにしている係員に尖沙咀行きのフェリーはどれかと聞くと、親切丁寧に停泊しているフェリーを指差し「あれだ」と答えた。改札にオクトパスカードをタッチすると電子表示板に二・七〇HKDと表示された。運賃はたったの日本円にすると三〜四十円だったのである。物価が高いことで有名な香港だが、この安さに驚きを隠せず、思わずその場で「安い!」と声を上げてしまった。
 停泊した尖沙咀行きのフェリーに乗り込み硬い木でできたベンチに腰を下ろした。やはり乗客はまばらであった。その乗客のほとんどが観光客であり、それもツアーなどではない個人旅行や家族旅行といった人たちばかりで、現地民の姿はどこを探しても見当たらなかった。沢木氏が歩いた六〇年代〜七〇年代の香港は地下鉄や海底トンネル(七〇年代はじめに完成したが、その頃はまだまだフェリーが主流だった)はまだ存在しておらず、このフェリーが香港島と九龍サイドを結ぶ重要な交通機関であったが、地下鉄や海底トンネルの登場のおかげで、フェリーを利用する客が著しく減少し、今では観光客を乗せ、香港の象徴とも言える高層ビル群の摩天楼を眺めるだけの「観光船」と変貌したようだ。船体は錆つき、船内はペンキで塗り直されて綺麗になってはいるが、その真新しさがかえって不自然であり、まるでハリボテのようだ。外はこんなにも快晴なのに、なんだか薄暗くどんよりとしている。現地民を乗せず、まばらになった観光客だけを乗せるフェリーに寂しさを覚えた。もうあの時のような賑わいはないのだ。
 
 自分が生まれるはるか昔の出来事に想いを寄せ、しばらく感傷的な気分になっているとフェリーが大きなエンジン音を轟かせ、九龍サイドの尖沙咀に向けて出発した。
 船内がパっと明るくなったような気がした。

 「俺はまだまだ現役だ、舐めるなよ」
 
 フェリーにそう言われたような気がした。

 かつての香港の生活を支え、多くの客を乗せたフェリーは、その役目を終え、観光船としての第二の人生を歩んでいる。なんて思っていたが、それは僕の勝手な解釈にすぎなかった。フェリーの力強いエンジン音と水しぶきを上げ勢いよく回転するスクリュー。生き生きとした表情を見せるおじいちゃん乗組員。このフェリーまだまだ「現役」なのだなと思った。

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 二・七〇ドルの豪華な航海を終え、フェリーは九龍サイドの尖沙咀に到着した。フェリーから降り、エントランスで現在地を確認すると、宿のある重慶大厦までは徒歩十分ほどであることがわかった。時刻はまだ正午前。チェックインの時刻まで暇を持て余すことになったので、香港島の高層ビル群を眺めながら辺りを散策することにした。
 それにしても本当にいい天気だ。海が近いこともあって潮風が心地よい。港には大きなクルーズ船が停泊している。ビクトリアハーバーには巨大な貨物船がぷかぷかと浮かんでいる。これからどこへ行くのだろうか。太平洋を越えてアメリカかな、シンガポール海峡やマラッカ海峡なんかを経由してインド洋に出てヨーロッパ各国、アフリカ各国へ行くのかな。とか想像してみるとワクワクが止まらなかった。
 そして僕は香港島が見渡せるという場所まで向かおうと足を進めたとき、あるものが目に飛び込んできた。


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 「FREE HK」

 ついに出くわした。デモ隊が残していった落書き。否、足跡。ニュースでみた出来事は本当だったんだ。香港に自由を。決して綺麗な字ではないが、その文字に重みを感じ取った。さっきまで半ば観光気分でいた僕に、現実が突き刺さる。

 その3に続く。


  


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