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冬の気配

歯医者に行ってきた。
自分にとって歯医者がどれほど恐ろしいかは、以前書いた。
以下の過去記事は、読んでいただいても飛ばしてもらっても、どちらでも大丈夫です。

わたしは元来受け口だ。反対咬合というやつだ。
小学校低学年の時、矯正をするチャンスがあったが、当時の矯正はヘルメットのようなものを被らなくてはいけなくて、幼いわたしは「嫌だ」と言ったらしい。
今だとマウスピースかなんかでできるのだろうが、時代が時代で、そんな矯正方法が主流だったようだ。
矯正をするチャンスがあった、と書いたが、それは年齢が適していたことと、父がまだ脱サラをする前だったからだ。そう、お金があったのだ。
当時わたしはピアノを習っていて、バイエルからブルグミュラーまで進んでいた。
家のオルガンでは鍵盤が足らなくなって、これはピアノを買わないといけないところまで来ていたが、ピアノを買う前に父が脱サラをして、それは夢と終わった。
要はピアノを買えるくらいお金があって、反対咬合の矯正もゆうにできる環境にあった。
父が脱サラをして自営業を始めてからのわが家の変貌については、また別の機会に……。

歯の話に戻るが、反対咬合については幼い頃から自力でそれとわからないように調整してきた。チカラを入れて下あごが出ないようにしていたのだ。そのうちチカラを入れなくても上手くできるようになり、おかげで見た目も特に問題なく、誰からも気づかれたことはない。
が、年を重ねてから、反対咬合であるだけでなく、少しずつ横にズレてきて、噛み合わせが非常に悪くなった。噛み合わせの悪さから首や肩も常に凝っているし、自律神経の乱れもこれが因しているのかも知れない。
それを言うと、父も母もとても申し訳なさそうにするのだ。 
父は「あの時矯正してやっとけばよかった。お父ちゃんお金あったんや」と言い、少しボケかけている母も「ものすご気をつけたんで」「ずっと抱っこしとったら良かった……」と言う。
赤ちゃんのわたしがいつも得手のいい方向に頭を傾けて寝ていて、その度に頭の位置を戻すも、すぐまた傾いたのだという。
今さら両親が申し訳なさそうにするのも大変申し訳ないことで。

そんなこんなで噛み合わせが悪くなってからは見栄えも滑舌も悪くなり、わたしのコンプレックスとなっている。

小さい頃から夜もちゃんと歯磨きしていたのに虫歯が多いのも、噛み合わせのせいかと思う。
銀色の詰めものも、お金の余裕ができたら全部白いのに取り替えたい。

大学の第二外国語だった中国語の発音も、中国人の先生に褒められるくらい良かったのに、最近じゃあ有気音と無気音が上手く使い分けられない。息が漏れるのだ。悔しい。

そんなコンプレックスを抱えて歯医者に通っている。
幾度通っただろう。
ほんとに苦手なんだ歯医者が。

今日は、前回型取りをした詰めものを被せるだけの日だったはずだが、歯茎が少し腫れて巻き込んでいるから、それを少し削るという。

歯茎を⁈ ひーーーっ!

案の定、麻酔をする。
痛みがないよう麻酔をするのだけど、その注射が痛いのだ。

血が引きそうになりながらそれに耐える。
背中がかぁーっと熱くなる。やばい予感。気を失うかも知れない。怖い。

とりあえずなにか呪文を唱えよう。
前回親知らずを抜いた時(正しくは叩き割って取り出した時)は、「この人はプロだ」「大丈夫だ」と心の中で繰り返した。
さて、今日はどうしよう。なにか落ち着く言葉、呪文はないか。

気がつくとわたしは「ありがとう、ありがとう」と心の中で唱えていた。
ありがとうは魔法の言葉というじゃないか。
「ありがとう、ありがとう……」

そうして治療は終わった。

「うがいをどうぞ〜」

ウィーンと座席が起き上がる。

親知らずの時と同じだ。
疲れ果て、10歳くらい老けた気がした。

「ありがとあんしたー」
よろよろと荷物を持って診療室を出る。

もう二度と来たくない、と思いながら次回の予約を入れる。

次回この詰めもの案件が終わったとて、定期検診(歯石除去など)でまた通うことになる。口内環境は大事なので致し方ない。

一生、慣れないであろうこの恐怖と対峙し続けるのだ。
将来、なるべく近い将来、この年齢からでも噛み合わせがよくなる矯正方法が見つかって欲しい。
いやすでにあるんじゃないか?
誰か教えてほしい。
ついでにうってつけの呪文も教えてほしい。

そんなことを思いながら家路に向かう。

昨日は立冬だった。
わたしの心にも冬が訪れた。


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