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命の値段と趣味と生活費

一人暮らしをしてお金のことを前より真剣に考えた時に思い浮かんだ考えがある。
私の考えであって真実は良い意味でも違うかもしれないし、悪い意味でも違うかもしれない。


私の母は私が小さい頃(学校に入ってないか低学年かの頃)に生きるか死ぬかの状態になってなんとか手術をしてもらって生き延びた。
その最初の発病の時に倒れて救急車で運ばれる時に父も一緒に乗っていってくれた。

姉も私もまだ小さく、おばあちゃんに連れられ母のお見舞いにも行ったのを今でも覚えている。
当時の脳の手術では髪を全部剃った。
坊主の母の頭に包帯が巻かれ、大きくて重い瓶の点滴をつけて、起き上がれない状態で私と姉を見て笑った。
私はそれを見たからか理由は覚えてないのだが一気に涙が出て泣いた。

「なんで泣いてるの」と母が笑っていた。

何年かして母に聞いたら、手術後の数日ずっと体中痛くて麻薬でごまかしていたから幻覚も見えたしベッドの上で大暴れしたらしい。
当時の医者からもこのまま生きられるか死ぬことになるのかわからないと言われていたよう。

その時に母はおじいちゃん(私が産まれてすぐ亡くなった父の父)が夢に現れて、まだ生きて家族を頼むと言われたらしく、それでまだ死ねないと生きられたと言っていた。

そのこともあって、どんなに父の精神的暴力が酷くなっても、おばあちゃんが家族が見てられないくらいの認知症になっても、我慢してお世話を続けてきた。
化粧もそうそうしないし高価なアクセサリーや服や小物などもいっさい買わないし、贅沢なんてまったくしなかった。

そんな母の何回目かの手術の為の入院の前日、酔っぱらった父は母に向かって「死ね!」と大声で怒鳴った。
当時から私はそれだけは絶対に許せないことだと思っていた。

母は一人で部屋で声を殺して誰にも気づかれないように涙を流していた。

父を絶対に許せなかった。



父と母が結婚したのは20歳の頃。
最初の母の手術の時も20代だったと思う。

小さい頃は20代は大人な気がしたが、今の年齢からすると20代はまだまだ遊びたい盛りだ。

一人暮らしの母の所に父が転がり込んでいたことで、おじいちゃんが結婚をすすめたらしい。


父は漫画もアニメもゲームも好きで、全裸の女性のポスターも部屋に貼っていた。
エロ本も数多く部屋に積まれてて、漫画のものもあった。

自分の趣味にお金を使うのが当たり前だった。

結婚前に無職のこともあったようだが、結婚してからはちゃんと毎日働いていた。

「この家は親父が俺に買ってくれたんだ!」
「俺の金で生活してるんだぞ!」

父がよく言ってた言葉だ。

父親としてはクズだが、現在のオタク達と比べたらどうだろうか?


自分の趣味の為にお金を稼いでると言っても過言ではない。
家族に内緒で自分の趣味にお金を使い放題、捨てられたら発狂する。(勿論勝手に捨てる方も問題だが)
高額課金しても俺が稼いだ金をどう使おうが自由。
趣味にお金を使いすぎて毎日「お金が無い」と言ってる。
家族が心配して言ってもきかない。


悪意のある書き方になっているかもしれませんが、それが悪いと言いたいわけでは無いです。


そして手術も入院も昔からお金がかかるものです。
最初の母の手術も生きるか死ぬかの状態のものでなんとか生きられ、でも長い入院も必要。
その上、治っても何度も発病して手術と入院をしてきました。

いくらかかってたかはわからないけれど、父にとっては自分の働いたお金を母の病院代に使われることになるので腹が立ったのかもしれません。
しかも今後も何年かごとに発病するかもしれない。

母は手術前は専業主婦をしながら時々農家でバイトをしたりしていましたが、病気になってからは大事をとってお仕事もやらなくなりました。
子供のこともあるし自分の病院費のこともあるし、おじいちゃんのことが無くても別れる決断はおいそれと出来なかったのかもしれません。

このまま何度も病院代を払うくらいなら「死ね」ってことだったのかもしれません。
そしてだからこそ母も自分のせいでと罪悪感があって言い返せなかったし父を見捨てずおばあちゃんのお世話を頑張ったのかもしれません。


本当に死ぬかもしれない人に対しての言葉として最低なのは変わりないですが。
最近お金をどう使っていいか、無くなったらどうしようという不安もある私からすると…

少しだけ見方が変えられたなと思いました。

私も精神的な病気と景気のせいでお仕事がなかなか出来なかったのも原因の一つなので。


おばあちゃんの遺産、どのくらいあったかわからないけど父が全取りしたそうです。

一応生活費は少し入れてるらしいですが、それ以外のお金は何に使っているのか…。

お金は怖いです。


もし母じゃなく私や姉が生きるか死ぬかの病気を何年もかけてお金を使っていたらどうだったのでしょうか?
やっぱり「死ね」と言われていたのでしょうか?
死んだほうが良かったと後悔しつづけるのでしょうか?


母が私に優しくなるようになったのは、私が「母があの時死なないでいてくれて良かった」と言葉にして言ってみた時でした。

上記の「もしかしたら」の話を考えついても、今でも母が生きていてくれて良かったのは本心です。
酷く当たられたこともいっぱいありました。
でも父が暴れだした時にかばってくれたり、用事がある時に代わりに言ってくれたり、一人じゃかわいそうだからと未だに父と一緒に食べたり物を置きっぱなしにしたりのお世話をしてくれているのは母です。

母がいなかったら、とっくの昔に姉か私が父をぶっ殺していたかもしれません。



書きたいことをまとめられたかわかりません。
読みづらかったら申し訳ありません。


トップイラストはみんなのフォトギャラリーから見つけた磯貝剛さんの心臓です。

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