見出し画像

17さいで死んだねこ

ミーコちゃん我が家にくる

私の親友であり、お姉ちゃんであり、妹であり、時には心理カウンセラーであったミーコちゃんのお話です。

ミーコちゃんは母の友達の家の庭で育児放棄をされている状態で保護されました。
幸いにもその方は猫が大好きな方で「トイレのしつけをしてから連れていくから飼ってほしい」と母に頼んできたため、縁を感じて飼うことになりました。
白と黒のハチワレねこさんです。

ミーコちゃんの本名は「3代目ミーコ」です。
別にEXILE系のグループに感化されたわけではありません。
彼らがデビューするずっと前に名づけられました。

ではなぜ「3代目」かというと、我が家でかわいがられる猫はみんな母によりミーコと名付けられてしまいます。
1代目も2代目も外ネコで、ごはんを食べにきて少しうちで休んでいくくらいの関係でした。

なぜ今まで正式に飼わなかったかというと父がネコ嫌いだったのです。

しかし3代目ミーコは父には一言も相談せず、母が独断で飼うことを決めました。
縁を感じたのと、ミーコちゃんは鼻の病気のようでして、息をするたびに「ぶひゅー、ぶひゅー」と鳴ってしまうので、外にいればすぐに敵に見つかってしまいます。
おそらくそれで母猫さんも育てるのが難しくて置いていってしまったのでしょう。
そんな理由でミーコちゃんは我が家にやってきました。

まったく鳴かないミーコちゃん

ミーコちゃんは我が家にきて数か月はまったく鳴きませんでした。
慣れてくるとコロコロと遊んではいましたがニャンとも鳴きません。
鳴けないのかと心配した母が保護した方に聞いたところ、
「うちではずっと鳴き叫んでいたから絶対に声が出ないわけはない」
と教えてもらいました。
しばらくすると鳴くようにはなりましたが、「ニャーオ」とは鳴きません。
ミーコちゃんは「ナッ」と短くめちゃくちゃかわいい声で鳴きます。

ちなみに「ぶひゅー、ぶひゅー」は、薬に詳しい父が持ってきてくれた点鼻薬を与えたところ一発で治りました。
よかったね、ミーコちゃん。

大冒険のお引越し

ミーコちゃんが2さいくらいのころ、父の仕事の関係で引っ越しをすることになりました。
それも絶対に飛行機に乗らなければ移動できない距離です。

心配しましたがミーコちゃんは難なくクリアしました。
新しいおうちに着いてトイレを設置してあげたらサーっと走ってきてすぐに用を足しました。
ケージにトイレシートは敷いていたけど慣れていなくてがまんしてたんだね。ごめんね、えらかったね。

ミーコちゃんの性格

ごはん
食いしん坊ではなく、どんなに好きなごはんも腹八分目でごちそうさまをします。
なのでミーコちゃんはずっとスリムで格好良いスタイルでした。

人間の食べ物にもほとんど興味を示しません。
ただ食べているとたまに寄ってくるのは「納豆、いくら、板海苔、みたらし団子(タレ)」です。
いくらや納豆は食べ方が下手なので1粒食べられるかどうかです。
たまにポロポロ落ちて結局食べずじまいのこともあります。
体に悪いと思うのであまりあげられなかったけど、みたらし団子のタレは大好物でした。

気高い
甘えん坊ではありません。
抱っこは大嫌いです。
自分のことは自分でちゃっちゃとします。
ちょっとジャンプに失敗した時とかは絶対に見て見ぬふりをしなければいけません。
傷ついちゃいますから。
晩年、年をとってお気に入りの洗濯機横の水飲み場にジャンプできなくなった時は、ごく自然に、たまたま通りがかったふりをして、サっと洗濯機に乗せてあげていました。
私にとってはミーコちゃんにお触りできる嬉しい瞬間でした。

ですが、気高いがゆえに怒りやすくもあります。
調子にのって触りすぎるとすぐに「シャーッ」とやられちゃいます。

母が一番好き
ミーコちゃんは一番長い時間を共に過ごした母になついていました。
家事をする母のあとをついてまわり、夜は母がベッドに入ったことを見届けて「やれやれやっと寝たわ」と、トントントンと階段を降り、居間のこたつに戻ってきます。
いつも母の足にスリスリしていました。

たまに甘えてくれる
寒い時や気が向いたときは膝に乗ってきてくれたりベッドに上がってきてくれたりすることもあります。
ミーコがいて動けない時は我が家では王様になってもよいことになっています。
「ミーコが膝にいる」と言えば、亭主関白の父もいつも母に頼むことでも自分でするようになりました。
まだまだ、猫には慣れないようでしたが「お猫様」として扱われる尊敬すべき存在であることを何となく認識しはじめたようです。

ごく稀に超甘えモードの「ンゴロ、ンゴロ 布団フミフミタイム」に入る時もあります。
甘え慣れていないミーコちゃんはその気持ちをどうしていいかわからず、いじいじしていました。
伸縮性のあるトレーナーを着ている時は服の中に入れてあげると少し落ち着きます。
が、すぐに我にかえって出ていきます。
かわいいね。

親友であり心理カウンセラーでもあり
ミーコちゃんは私にはそれほどなついてはいませんでした。
私のスキが強すぎて鬱陶しかったのだと思います。

仕事で帰宅が深夜になったある日。
帰るやいなや家族が寝静まったリビングで声を押し殺してぐちゃぐちゃに大泣きしてしまったことがありました。
泣いて、泣いて、泣いて。
横を見るとすぐそばにミーコちゃんがいました。
いつもはこんなに近く、しかも顔のすぐそばにはほとんど来ません。

事情を話すと、ミーコちゃんはゆっくり瞬きをして、しばらくそのままそばにいてくれました。
心配していたわってくれるミーコちゃんの優しさが胸に沁みて、少し心が晴れたことを覚えています。
次の日、起きたらミーコちゃんはいつも通りのつれない態度。
他の家族には悟られないように気遣ってくれたのかな。
それも嬉しくて、かわいくて。
ミーコちゃんのおかげですぐに元気になれたよ。

父とミーコちゃん

父はミーコちゃんには近寄らないようにしていましたが、ミーコちゃんは父のことが好きでした。
父の膝の上に乗っていたこともありました。
父はこわくて立ち上がることもよけることもできず、そのままの姿勢をキープするしかありません。

でも、そんなことは稀で、お互いによい距離間をもって暮らす日々が何年も続いていました。

今思うと父はかなり体調に異変を感じていたのだと思います。
そんな父の異変をミーコちゃんはわかっていたようです。
ある日父が母にこう言いました。
「おい、ミーコは賢いぞ?」

寡黙な父は体調の異変をあまり口にしていませんでしたが、不安だったのかもしれません。
ミーコちゃんは父の気持ちを敏感に感じとって、長く父のそばにいるようになっていたのです。
猫嫌いだった父がミーコちゃんの優しさで変わったのです。

そのあとしばらくして。
父は脳梗塞で倒れそのまま寝たきりになり自宅に戻ることはできないまま亡くなりました。

父が救急車で運ばれてから1週間ほど、ミーコちゃんはいつもは乗らないチェストの上から父のベッドを見るようになっていました。
「ねえ、ここに居た人がいないよ?」
と言っているようであることに気付き、
「ごめんね、きちんんと教えていなかったね。お父さんね、病気になっちゃったから入院したんだよ。しばらく帰ってこれないからね」
と母が伝えると瞬きをゆっくりして、それ以降、父のベッドをじっと見ることはしなくなりました。

2回の手術

ミーコちゃんもだいぶ年をとりました。
1回目はおしりのできもので、2回目はガンで手術をしました。
どちらの時も病院で相当暴れて、とてもかわいそうでした。

そしてガンが再発。
この時すでに16さい。
勝手な思い込みかもしれないけど。
「もう病院はいやだよ。手術も嫌だよ」と言ってたと思います。
家族で話し合い、手術はさせないことにしました。
どんどん悪化していく様子は見ていて辛かったですが、それでもなお気高く生きるミーコちゃんは格好よかったです。

最期の日

亡くなる1週間前からは食事を摂らなくなりました。
「もう私は食べない」と決めたようでした。
亡くなる3日前からは水もほとんど飲まなくなりました。
それでもせめて水は飲んでほしくて、指先で水をすくって口元にあてても飲みません。
何度かそれを繰り返すと、ペロっと舐めてくれました。
それは飲みたかったわけではなく、私のために無理して「仕方ないなぁ」と舐めてくれたようでした。

そしてついにその日がやってきてしまいました。
もうミーコちゃんは痩せほそり、2~3歩あるくだけで倒れてしまいます。
落ち着かないのか、何度も倒れながらコタツのまわりをウロウロしていました。
そして亡くなる1時間ほど前。
パタンパタンと倒れながらも寝転がっている私の胸に乗ってきました。
抱っこは嫌いなのに。
私に乗ってくることなんてほとんどなかったのに。
しかも顔をこちらに向けてドアップで私を見てくれています。
たくさん体を撫でてあげたかったけど。
細いからだには人間の大きな手は負担になるような気がして、眉間を人差し指で軽く撫でるだけにしました。
気持ちよさそうにしてくれたので、何度も気が済むまで撫でさせてもらいました。
最期だからすぐ触りたがる私に思い出を残してくれたんだと思います。
このことはミーコちゃんが亡くなってから10年以上経った今も忘れることができません。
そしてこのことを思い出すたび、悲しみの中に温かい気持ちも混ざり合って、私のなぐさめとなっているのです。

2月14日午後2時ころ
ミーコちゃんはお気に入りの椅子の上で息を引き取りました。
奇跡的に家族全員がそろっていて、みんなで見送ることができました。

その後の我が家

4代目ミーコはまだいません。
瀕死のシャムネコが庭から居間をのぞきこんでいたので、ごはんをあげていた時期がありましたが、とても臆病な猫だったこともあり家猫にはなりませんでした。
よっぽどの縁がないかぎり、猫を飼うことはもうないと思います。

いまでもミーコちゃんは私の親友です。
楽しいことや辛いことがあれば心の中ですぐにミーコちゃんに話かけてしまいます。
あまり話かけすぎると「うるさいなー」と尻尾をパタパタしているような姿が目に浮かびます。

ミーコちゃんを亡くした悲しみを引きずっているわけではないけど、誰かにミーコちゃんのことを自慢したくて長々と書いてしまいました。

自慢話に最後までお付き合いいただきありがとうございます。

3代目ミーコを気に入ってくださった方がいらっしゃれば「ミーコちゃん」と心の中で呼んであげてみてください。
きっと世界一かわいい声で「ナッ」と返事をしてくれますから。

サポートしていただけるなんて夢のまた夢、、。 でも桃鉄では「夢のまた夢カード」でいいことが起こったことがあったような気が、、、。 夢のまた夢を目指してゆめの夢子は頑張ります。