まずは自己紹介。
どうもほしほしです。
twitterで暇さえあればああだこうだと呟いております。
何故急にnoteをやってみようかと思ったかといいますとブログを収益化させたいというささやかな夢があります。
発達障害系もサイト上手くやれば収益化見込めるのかもしれないですがわからないので文章の練習も兼ねて投稿してみようかと考えています。
読まれそうな記事でもありますので実験には丁度よいかなと。
発達障害ではないかと気がついたきっかけ。
コロナがはじまった頃になりますね。
先の見えない不安で体調が優れなくなり心療内科へ。
ただ具合が悪いことを訴えますが、ここの心療内科はしきりと生活保護を勧めてきます。
いつもカウンセリングは5分もかからず。
でも中には何時間もお話聞いて頂いている方もいます。
私は何故話を聞いて貰えないのだろう。
普段から喋れなくても上手に喋れないところがありなんかよくわかりませんが無言の圧を出す癖がありました。
そして何か喋ろうとすると言葉が思い浮かばず頭が真っ白になり思ったことを伝えられないこと、普段からあることに気がつきました。
最近知ったのですが場面寡黙症というものだと思います。
周りから「頭のいい人」と言われることが多かった。
どうせどこの誰だかわからないのでしれっとカミングアウトしますが、タイトルの通りです。
小学校の時から成績もすこぶる悪く、算数も紙に書く割り算、掛け算からつまずくようになり分数の計算が手品のように思えていずれわかるだろうと思っていたのですが、いまだによくわかりません。
よくわかりませんって少ししったかですが全くわかりませんw
ただ算数がわからないのと引き換えにひとつ少しだけ得意なことがありました。
作文です。
これは自分が意図していくら書いても相手が評価するものですからおのずと結果が出ます。
小学校の時からコンクールに入賞することが多かったのですが何故入賞するかはわかりませんでした。
相手がこう読むだろうからこう書いた方がいいというのは何故か計算できるので比較的読みやすい文章を書けるスキルが自然とありました。
が、社会人になりテーマを与えられて文章を書くとなると全く文章は思い浮かびません。
自分が思いついたことはすらすら文章にできるのに、何かテーマを決めるとなると全く文章が思い浮かばれないのです。
ただ普段から空気を読めることが多く戦略的に物事を考えるのは得意なため社会人になって周りからは便利な人と思われることが多かったです。
文章も得意ではありましたが虚言癖もありとんでもない嘘はつきませんが微妙にバレない嘘をつくのが得意でもあります。
そういう意味では正体がわからないように書くブログは意外と得意なのかもしれませんが結局は中身がないためブログをはじめてもたいした見られることがない、これが一般的なものだと思います。
周りはみんな気が利かない。
これは発達障害に気がつくまで思っていたことです。
戦略的思考が無駄に高いため「普通こうだったらこうするべきだろう」ということをよく考えていました。
実際、今も「私がこんなに長文のブログを書いているのだから最後まで読むべき」など考えていますが人は思い通りには動きません。
何故こんな戦略的思考が発達しているのか考えてみましたが私の家族に原因はあります。
特に母親の言葉に洗脳されている感覚があります。
お姉ちゃんなんだからがまんすべき
うちはお金ないからがまんしなさい
習い事したって将来結婚するんだから余計なことはしなくていい
特に将来結婚するんだから余計なことはしなくてもいいこれは一番よく言われていた言葉です。
ろくなしつけもされず、勉強もせず親の文句だけを聞いて青春を過ごしました。
人の悪口を言うことが最強のコミュニケーションツールだと思っていた私に結婚はおろか友達など出来るわけがないのです。
悪口ばかり言うとどうなるか。
twitterとかでも無駄に噛み付いて炎上させてる方とかいますが私も炎上させたことあります笑
しかしこの話の流れ上で私の考え方を話ますが私以外の人が頭悪いので私の言うとおりにしないといけないのです。
そして私が母親にたいしてそうだったように「めんどくさいので妥協する」人もいてそれが快感になってくる。
そしてだんだん人が離れて行くのです。
自分が悪いことにも気づけずに。
文章の最後に。
ここまでで1700字近くになった。
また書いてきます。
ご拝読ありがとうございます。
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