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視点。

 全国的に雨模様ですが、みなさんいかがお過ごしでしょうか。私は雨の時しか見ることができない風景を求めて歩いています。

 今日は午前中はオンライン面接の接続チェックして、午後から職業訓練校の面接を受けてきました。最近は面接官ばかりしていたので、面接を受ける側になるのは久しぶりの経験でした。私が面接会場に赴くと、私の前の時間に面接を受ける予定の女性が座っておられました。かなり緊張されていたので、思わず「緊張されていますか?」と尋ねたら「ハイ。」とかなり震えた声で答えられたので、「大丈夫ですよ。」と声をかけてあげていました。今までの私であればこんなことは絶対していないと思います。おそらく緊張している様子を見て「私は慣れているから全然緊張しないよね。」と心の中でマウントをとっていたと思います。そもそも私から見知らぬ人に声をかけるなんてあり得ないことだったのです。しかし、今日は自然と声をかけることができて、面接が終わって部屋から出てきた時に、軽く会釈されて笑顔で帰っていかれたのでちょっといいことしたかなと、そんな自分のことが少し好きになりました。

 そして、昨日から急に筋トレを始めました。今回の件でかなり痩せましたが、筋肉も落ちてしまったので、もう一度鍛えようと思ったのです。これまで何度か筋トレをして、夢のシックスパックを身につけようとチャレンジしては挫折してを繰り返してきました。ところが、今回はなぜかできそうな気がしています。なぜ、そう思うのか探ってみました。すると意識の方向が全く違うことに気づいたのです。これまで筋トレを始めたきっかけは、周りの人からカッコよく見られたいという気持ち芽生えた時がほとんどです。あるいは「最近太った?」と他人から言われるのがものすごく嫌で、人の外見をとやかく言うなと思って怒りに任せて始めた時もありました。しかし、今回は頑張っている自分が少しでも元気になるならやってみようという視点で、常に自分の内側に向いていることが大きく違うような気がしています。

 この視点を変えるというのは、意外と大事だと最近気づき始めたのです。これまでも自分の内側に視点を置くことはありました。しかし、それは一旦外に視点を向けてから内側に向けるので、常に外側の評価基準が視点に紛れて、本来の自分の姿を見ることができていなかったのだと思います。いきなり自分の内側に視点を置くと、実は自分の心が非常に単純な構造でできていることが見えてきたのです。自分でもまだあまりうまく説明できないですが、単純構造だと知ると視点がぶれなくなりました。ただ、この内側への視点切り替えが意外と難しいですね。最近、空手の動画を見ましたが、相手を攻撃しようとする意思を持って攻撃するとすぐに弾かれてしまいます。しかし、全く攻撃の意思がない状態で相手を攻撃すると、意図も簡単に相手を倒してしまえるそうです。私は今これを研究に活かせないかと考えています。これまで研究といえば四六時中そのことを考え続けて、ある瞬間ひらめくみたいなイメージがあったのですが、それはあくまでも研究をディフォルメしただけで、実際は違うのではないかと考えています。私も常に研究課題のことを考えていますが、劇的な解決案をひらめいた経験はありません。多少「これかな?」というひらめきぽいものは何度かありますが、結局何度か検証してみていると非常に浅いもので、最終的には振り出しに戻ったと思う経験を何度もしています。そう考えると研究にひらめきは必要ないのではないかという仮説をたてています。それよりは視点を自由自在に変えることができる柔軟な姿勢が重要であり、その柔軟な姿勢は柔軟な心から生まれるのであれば、やはり自分自身の心が常に健全な状態に保つ必要があるのでないかと考えています。完全に言語化するのが難しいですが、視点を自在に操ることができれば、今まで見えてこなかった真実が見えてくるようになるのではないかと思うようになりました。こんな発想に至ったのは、おそらく自分がすべてを失って無になったから、凝り固まっていた視点が自由に動くようになって、視点の多様性が生まれてきたのではないかと推測しています。この課題は意外と面白いので、もう少しこの課題に向き合ってみようと思います。

 さて、今日も朝ドラネタですがやっぱり号泣でした。今日の号泣ポイントは大学進学を断念した主人公の弟が再び大学進学を目指すことになったのですが、大学進学を断念した理由として「自分がこの家の大黒柱にならないと。」と言った弟に対して、「みんなが柱になればいいわ。」という言葉でKOされました。私もたった一人で頑張っていたので、そんな言葉をかけてくれる人がいたらどんなに助けられたことかと思うと涙が止まりませんでした。そして、日本国憲法に国民は平等に幸せになる権利が保障されていると主人公が説明しているのを聞いて、そうか自分も幸せになることを憲法で保障されているんだと思って、じゃ正々堂々と幸せになろうと主人公と同じように一人やる気になってしまいました。しかし、今日の朝ドラのエンディングはなかなか粋でしたね。(これ以上はネタバレになるのでやめます。)これも柔軟な視点から生まれた演出なのかなと、勝手に推測してしまいました。

 これから大学教員になる人には自分の視点をいつも大切にする人になってほしいと思います。同時に大切な人の視点にも理解を示し、共感し、時には一緒にその視点に立ってあげて一緒に涙を流せる大学教員に私もなりたいと思います。

 (最近、あっちこっちの神社にお参りしている元准教授でした。お賽銭がないよ〜。神様タダ働き許して〜。)




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