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安心感。

 すっかり快晴になりましたが、みなさんいかがお過ごしでしょうか。私は早速半袖で自転車を乗り回しています。

 今日はハローワークの調査事業を遂行しようと予定していたのですが、急遽別の予定が入って山岳調査に変更になりました。全く予定していなかったので、慌ててレンタカーを借りて現地に向かったのですが、あまりの天気の良さに逆に辛い気持ちになってしまいます。今までであれば「こんな快晴なんだから遊びに行きたい!なんで仕事してるんだ!!」と叫びながら大学に行っていたのですが、今は青空と日差しが胸にズキズキと差し込んできて、少し呼吸困難になってしまいそうです。なぜか頭痛もあったので、薬を飲みながらハンドルを握って現地にいきました。

 その道中で同乗者と「男とは?女とは?」という哲学対話をしました。男と女の構造が違うことはみなさん周知のことだと思います。例えば、「女は仲良くなるのも切るのも早い。」「男は群れたがる。」といった世間一般で言われているいわゆる俗説という言葉から、その背景にはいったい何が埋め込まれているのかを対話を通じて明らかにしていくという試みです。まず男と女の違いを理解するために身体的特徴から取り掛かりました。確実に男の方が女より身体的に強いことはあらゆるデータから証明できると思います。一番わかりやすいのがスポーツです。スポーツのほとんどの種目を見る限り男の記録の方が女の記録を上回っています。このことから身体的に女より男の方が優位であり、結果女の中では「男には力では勝てない。」という前提条件が埋め込まれていることを対話を通じて改めて認知しました。(今頃かよと突っ込まれると思いますが。)そのため女は男に勝つことを早々にあきらめたということみたいです。その結果、女は物事に執着する力が弱まったというのが同乗者の意見で、思わずなるほどと頷いてしまいました。一方、男は常に力を見せつけようとします。地位や名誉やお金自慢するだけでなく、「俺とあいつは親友だ。」みたいなこともわざわざアピールしたがる傾向があると指摘されました。あるいは「母親を守るのは俺の使命だ!」というパターンもあり、これは女から見ると「はぁ?」と思うようです。とにかく男は常に女の前で力を見せつけてカッコよくいたいと思うと同時に、女を含めた他者に対抗することによって男同士の絆を確認しあっているようです。

 この傾向は長年人類が生き残るために蓄積した知恵であり、これから先も不変だというのが同乗者の意見だったのですが、私は異を唱えました。確かに何万年も培ったきたものを変えることはほとんど不可能かもしれません。しかし、人類は少しずつかもしれないですが男と女という枠組みを超えて、人間として互いを理解する努力を続けていることを決して見過ごしてはいけないと思います。今の私はそんなとても小さな小さな変化でも、その可能性に何とか希望を見出さないと精神が崩壊してしまうから、より敏感に反応しているのでしょう。

 あと、女にとって「結婚」が究極の安心感だという話を聞きました。私は結婚はあくまでも通過点であってゴールではないと思っていたのですが、どうやらそうではないとことが今日の大きな発見でした。(これも今頃かよと突っ込まれそうで怖いです。)つまり、女は男に勝てないという前提条件を抱えているので、究極求めているのは敗北感を感じることがない「安心感」だという指摘です。そして、その安心感を一番担保してくれるのが今の社会では「結婚」という制度だというのが同乗者の意見だったのです。たとえ結婚することによって色々制限が加えられるとしても、それでも結婚で得られる安心感には変え難いそうです。一方男が女を安心させられるのは、バリバリ仕事して稼ぐことや家事・育児に積極的に参加すること、美味しいもの奢ったりや可愛い服やアクセサリーを買ってあげたりと、すぐに目に見えるものもしくは相手が認知される行為によって安心感を与えることができると思っています。(私だけかもしれませんが。)正直こんな大事なことをもっと早く知っていれば、今までの人生の中で経験した苦しみを少し軽減できていたのではないかと改めて悲しくなってしまいました。(精神薄弱状態なのでこんな感情吐露になってしまいます。)

 そして、今日もう1つわかったのは若い人たちの人間関係の希薄化です。これもみなさん何となく認知されていることだと思いますが、その背景についても対話で探ってみました。一番衝撃だったのが、出会いの選択肢が増えて気軽になったことが、逆に人との関係性をいとも簡単に切れるようになってしまったという指摘です。確かに学生の間でもあんなに仲がよかったのに突然SNSをブロックして、口も聞かなくなるという事象を何度も目撃しました。私の個人的な感想ですが、その傾向は特に女で多かったという印象です。そして、一度連絡手段を切ってしまうとそれを戻す手段を確保していないのです。つまり、SNSのみで繋がっていたので、住所はおろか電話番号も知らないから連絡のとりようがないということでした。昭和生まれの私には、このことはかなり衝撃的でした。なぜなら普通に電話番号や住所を知っていると思っていたからです。繋がりの中には、未だにどこで住んでいるか知らない人も大勢いるということがかなりの驚きだったのです。確かに電話番号や住所は簡単に変えることができないので、一時的に音信不通になったとしても電話番号や住所を辿って再度連絡することは可能ですが、SNSしかつながりなければ一旦切ってしまってこちらのアカウトも変えてしまえば全く連絡が取れないようにすることができますよね。私はこの傾向に女に高いと指摘したのは、いつでも切って逃げられる安心感が根底にあって、そのことがマッチしてSNSの普及に貢献したのかと分析してみました。ただ、気をつけなければいけないのでは希薄化している人間関係はけしからんといって、SNSを全否定するという安直な感覚に陥ってはならないこと改めて指摘しておきます。

 今日の学びは私にとって大学をつくっていくのにすごく重要な示唆を与えてくれたような気がします。どのような方法が男と女という二項対立を乗り越えて、お互い人間として理解し、尊重し、安心感を与え合える関係にできるのか全く答えは出ていませんが、逆にこの問題提起は面白いなと思ってほんの少し研究魂に火が灯りました。

 これから大学教員になるひとには、常に対話を通じて多くのこと知ろうとする探究心を持ち続けて欲しいと思います。そして、小さな発見を自らの学びとして成長していくことを願います。

 (最近調査が忙しくてゲームができない元准教授でした。早く覚者として冒険したい〜。誰か優秀なポーンを紹介して〜)

 

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