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アッラーフアクバル!

神を讃える言葉(ズィクル)の中で最善のものは
「ラーイラーハイッララー」
であるということを前回は書いてみました。

こんにちは ファーティマ松本です。

さて、さて、
ズィクルについて何回かにわたって書いておりますが、
今回はその最終回です。

最終回ということで、今回は最もポピュラーな、、”これ!”
について書いてみたいと思います。

それは、、、
「アッラーフアクバル」
です。

この言葉は、イスラム教徒、非イスラム教徒に関わらず、世界的に
結構知れ渡っている言葉ではないかなあと思うんです。
なぜなら、、、
そう!
この言葉を言いながら、テロ行為をする人が多いから、なんですよねえ。(残念)
かなり前に世界中を震撼させたあの恐るべきISも、この言葉使っていませんでしたっけ?

一体この言葉にはどーんな意味が含まれているのでしょうか?
これは何か悪いことをする時にいう言葉なんでしょうか。

イヤイヤ!
そーんな言葉がイスラム教の中にあるわけがない!
どちらかというとその真逆で、
”お祝い”の時なんかによく使われる言葉です。
年に2回あるイードのお祭りの時なんかでよく言いますし、
あとは、
赤ちゃんが生まれた時なんかにも言うんですよ。
イスラム圏のお父さん、お母さんは、
赤ちゃんが生まれてすぐに、この言葉を赤ちゃんの耳元でささやきます。
初めて聞く言葉がこの言葉であるようにと。
「アッラーフアクバル」って。

あとは、礼拝の時も、イスラム教徒は、何回も何回も言っています。

さて、
「いつこの言葉を言うか」よりももっと大事なことは、
その”意味”ではないかと思います。

「アッラーフアクバル」
日本語だと「アッラーは偉大なり」と訳されているようですが、
この訳って、あっているのか、どうなのか?
実は
あっているような、あっていないような感じがします。

この言葉って実は”比較級”なんです。
英語で 〜er than A みたいなやつですね。
つまりアッラーフアクバルって
「アッラーは〜よりも偉大だ。」というのが直訳です。
いや、直訳だと「アッラーは〜よりも大きい」の方がいいでしょうか。
というのも、
アクバルとは、カビール(大きいの意)の比較の形ですから。
ただ、
カビールは大きいだけでなく、偉大という意味も含まれるそうなので、
「アッラーは〜よりも偉大だ。」
という訳でも全然オーケー、みたいですね。
ただ、、、この文って完結していませんよね。
”〜より”の部分が入っていませんから。

多分、完結されていないから、「アッラーは偉大なり」という訳に
落ち着いているのかもしれません。

さて、さて、
それでは、アッラーは一体
何より”大きく”、何より”偉大”なのでしょうか。

答えは、
「どんなものよりも」です。

どんなものも、アッラーの偉大さと比べれば、大したことがない、
というわけです。
例えば、
私たちのいろいろな悩み、ありますよね。
健康のこと、金銭的なこと、人間関係、、、、
または、大きな目で見たら世界情勢や、世界金融、米中貿易戦争、等々
そういったもの、全てが全て、アッラーの偉大さと比べれば、
取るに足らないものなんです。

まあ、取るに足らないなんて言ってしまうと
「んなわけないっしょ!」
「自分が抱えている悩みや辛さが、”取るに足らない”?」
「そーんなわけがあるわけない」
って思う人も多いと思います。

しかし、私たちが抱えるどんな悩みもはっきり言って
「死んだらおしまい」です。
しかし、神様の凄さ、偉大さって
私たちが死のうが、
全人類が死のうが、
全種類の動物が絶滅しようが
石油が枯れてしまおうが、
宇宙がなくなろうが
変わらないんです。

それプラス、
神様は、何よりも”すごいので、
大きいので、
偉大なので”
私たちの悩みを全て解決することだってできます!

だから、
人生の中で、何かしらの困難に見舞われた時、
「アッラーフアクバル」と言うといいそうですよ。
その言葉を言うことにより、自分の悩みが少しだけ小さく見えるようになるし、
どんな悩みも、神様の助けによって、解決されないことはないんだって
思うことができるようになります。

預言者ムハンマドさん(彼の上に平安あれ)はこうおっしゃったそうです。

誰でも燃え盛る炎を見たら
「アッラーフアクバル」と言いなさい。

普通の人は燃え盛る炎を目の前にしたら、
かなり恐れおののくことでしょう。
(火事を見たことがある人ならわかると思います。)

そんな時にこそ「アッラーフアクバル」と言って
神様からのお助けを得るようにしたらいい、ということだと思います。

また預言者さん(平安あれ)は旅に出るときにはいつも
「アッラーフアクバル」と言っていらしたそうです。
なぜなら、旅というのは、一種の懲罰なのだそうで、、。
だって、旅には大変なことがつきものですからね。
だから常に、この言葉を言って(旅行中の)困難に向き合っていたらしいです。

この言葉は、私たちが困難に見舞われている時にとても有効な言葉なのですが、
もちろん普段、特に何の心配ごともない平穏な時に使っても全然オーケーです。

なんといったって、これは、神様の偉大さを表明し、
自分の低さ、無能さを自覚する言葉ですから。

今日もお付き合いいただきましてありがとうございました。
みなさまに神様からの祝福がたくさんありますように!
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レビューが、少しづつ増えてきています。
レビューを書いてくださった方々、本当にありがとうございました。

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