NATSU.
北海道の片隅で毎日人生を模索中の、わりと毎日迷ってばかりの人間のエッセイです〜 よろしくお願いします〜!
気まぐれに更新される小説とか詩とか
ハイヒールの似合う大人になるはずだった。 メイクも上手で笑顔の綺麗な女になるはずだった。 今の私はどうだろう? 結局子供のまま何も変わらない。 子供のころは30代になったら、全然違う人間(大人)になると思ってた。 自分から見た両親やまわりの大人たちのようになるんだと思ってた。 でも、どういうことか年を取っても全く変わらない自分がここにいる。 同級生には良くも悪くも全然違う人になっちゃっている人もたくさんいる。 そんな中でなんだか、変わらない私はぽつんと置いて行かれている、
さわさわという音とともに、私の目はぱっちりとさめた。枕もとのスマホを探して手を伸ばすとふわっとした君の髪が肘をくすぐる。 そうか、昨日私は。 思い至ったことに青ざめる気持ちと、うれしさに似た高揚感で本格的に目が覚めてしまった。 朝五時の海辺はもう明るく、散歩するにはもってこいのさわやかな気温。 起き上がろうと体を起こすと、まだ眠っているはずの君は私を探すように手を腰に回してくる。 「今何時?」初めて聞くかすれた寝起きの声にドキッとしながら答えると、そのまま寝息とともに回された
気づけばしばらく書くことをやめていたここ、NOTEも。 私は本当は自分の住んでいる町が大嫌いで、出ていきたくて仕方なかった。どこを見ても知り合いばかりだし、どこを見ても楽しいものなんて何もないって思ってた。 先日、生まれて初めて一人で海を渡って旅に出た。友人がほぼ案内してくれたけれど、わたしにとっては大冒険だ。1週間前からずっと緊張して体調が悪くなるくらいには大ごとだった。 横浜は結果、なんでもある街だった。自動改札も電車も人込みもおしゃれなカフェも。ただ、そこには
最近、写真を撮りたいという気持ちにならなくなっちゃってて。どうしたんだろ・・・?まいにちゲームしながら引きこもってます。 もともとゲームをするタイプの人間ではなかったのに、はまってしまうととことんな性格で、まるで廃人のようになっています。えへへ 我が家に新たな家族(クッキー♂ビーグル)が増えたのに、写真が少ない!来年は年賀状どうしよう!?ってくらいに。 エッセイも書かない、小説も書かない、写真も撮らない1年なんて・・・!! でもなんだかnote久々に見ていたら意欲が湧
神様なんて信じない。 そう何回も言って、 そう何度も言って、 ほんとうは。 心では “幸せをください。”と 何回も言って、 何度も言って、 足もとの大切なもの 見落としてた。 ・・・・・・・・・・・・・・・ 結構昔から書くことが好きで、初めて物語を書いたのは、小学三年の時のこぶたちゃんの話だったかな。お菓子を食べてご飯を食べない、お母さんの言うことを聞かないぷーちゃん(こぶた)のお菓子に母親が膨らし粉をたくさん入れてお仕置きしたら、風船になってしまって・・・夢オチって言う
あたしは今寝ぼけている。 何が起こったとしてもそれは間違いでしかなく。誰のせいでもないから、誰も何も言えないし言わせない。今あたしの上に乗っているのが姉の夫でも、下で甘い夢に溺れるのが姉ではなくあたしでも。 コーさんはひたすらに無言で私を抱く。 あたしは名前を呼んで欲しかったけど、今呼ばれると困るからやっぱり無言で、でも時折求愛の合図のように声を上げる。だって泣くのはちょっと違う、これは夢なのだ。 あたしは今寝ぼけているのだから。 長い長い坂の上に学校がある。 1年前
昔、絵や漫画や小説を書くのが好きでした。 ここ数年書くことができてなくて。 描こうと思っても躊躇してしまうのだ。 「書(描)いて、どうするの?」 その小さな燻りをどうしても消せなくて ずっと手は止まったまま。 発表するわけでも、当てもなく。 評価されるほどのものでもなさそうだし、と。 でもね、最近気づいた。 なんてねじねじな気持ちを持った大人になったのだろうか、と。 書きたいならかけばいいし、 好きなら続ければいいじゃん。 別に今すぐプロになりたいわけではないし。
「自分らしさ」 私にとっては世界一の難問。 私らしいってなんだ? 好奇心旺盛なタイプだと自分では思っていたけれど、実際はビビリ屋で 石橋は叩いて、叩き割り、即逃げ出すタイプ。 自分を持って「私はこうなの!!」と主張をするのが苦手で、究極の「イエスちゃん」だ。 周りばかり気にしてご機嫌とりに忙しい。 好きなものを好きとも言わず(言えずではない)曖昧に、穏便に。 そもそも自分が何が好きか、何がしたいか、何が得意なのかもわからない。 そんな私に「自分らしさ」を語れるはずがない。