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夫婦の距離感は重要?

このタイトルに対し正解になる回答は思いつかない。
お互いを尊重し、あまり干渉せずに助け合って生きることだと言えば当然すぎる。
そんなことは誰もが思っていることだ。
今回は特に老後夫婦のあり方について書こうと思う。


夫婦円満に人生を生きるために!

私が常々思っているのは、いがみ合わないように暮らすことだけだ。
家庭内には喧嘩の種が沢山転がっている。
腹が立っても受け流す努力が必要だ。

夫婦喧嘩の種は近寄り過ぎ?

例えば奥様が綺麗好きで夫は片付け下手とか、夫は器用で奥様が雑といった正反対のような性分の夫婦も多いだろう。

そんな真逆の性分を持った夫婦には、特に喧嘩の種になることが多くある。

これまで相手の性分を分析などしないまま一緒に生活できたのは、仕事などでお互いに距離があったからということも考えられる。

それが定年退職などで一緒にいる時間が長くなりストレスが溜まってくると、言葉の端々に不満が出るようになる。

その意味においてはGWも危険だ。
普段は会社に行って見えないが、もし夫がGW中ずっとリビングのソファーに寝っ転がっていたら奥様の苛立ちは限界近くまで跳ねあがるはずだ。

普段なら何でもない愚痴が2度3度と聞こえる内に、夫の包容力も限界を迎える。
夫婦喧嘩に発展する典型的なつまらない理由だ。

このような小さな理由の夫婦喧嘩が引き金となって、離婚に発展する夫婦は少なくないようだ。

相手の性分を尊重する

因みに私たち夫婦の性分も正反対だ。

性分だけではない。
趣味や価値観などあらゆることで共通点が少ない。

娘が大人になってから言ったことがある。
「お父さんとお母さんは何で結婚したん?」

娘が疑問に思うほど私たち夫婦は交わるところが少ないのだ。

少し挙げると妻は綺麗好きで私は片付け下手だ。
私の一番の趣味はドラムの演奏で、妻は静かなところで読書をすることだ。

サラリーマンだったころ、そんな二人の価値観の違いがハッキリ証明された出来事があった。

日曜日の朝、私はトーストを焼きコーヒーを入れた。
その頃我が家では、日曜日に限り朝食はセルフだった。

ダイニングの食器棚の上の空間に小さなスピーカーとアンプ、そしてレコードプレーヤーを置いていた。
コーヒーを入れたタイミングで、イムジチのヴィヴァルディのレコード盤に針を落とした。

アンプのボリュームを最小の位置にした。
子育ても終盤を迎えた我が家に、ささやかで優雅な朝を演出した。

聴こえるのはまるで小鳥がさえずるようなバイオリンの音色だ。

そこへ洗濯機を回し終えた妻が入ってきた。

妻の第一声は「日曜日の朝くらい静かにしてくれへん?、レストランじゃあるまいし」だった。

私はしぶしぶレコードを止めた。

妥協は夫婦円満の味方になる?

私たち夫婦にはもう一つ決定的な性分の違いがある。

妻は直球しか投げることができず、私はカーブしか投げることができない。
これは会話の話だ。

営業職だった私の武器が優柔不断八方美人だと断言できるのがこの会話手法だ。
これは夫婦間でも同じことだ。

何を話す時も、相手の仕草や顔色で反応を伺いながら徐々に核心に迫る話術だ。
回りくどいそんな話の返事を妻は直球で返してくる。

今ではそんな相手の話し方に慣れてお互い歩み寄っているが、この性分の違いでぶつかったことも一度や二度ではない。

どこの家庭でもちょっとした言葉の行き違いで口喧嘩になることはあるだろうが、夫婦間の言葉にも思いやりを持ってほしいところだ。

長年夫婦をやっていると言葉数を減らして伝えようとすることも増えてきた。
「シーツ洗うから」という妻の一言には、「今日は天気がいいし今から洗濯機を回すので早くシーツを持ってきて」という意味が含まれている。

直球の上に気がせく性分なので、私が少しでももたもたしていると機嫌が悪くなる。

妻の悪口を言っているのではない。
どんな時にもお互いに言い分はあるからだ。

性分が分かっているのでできる限り相手に合わせるよう心掛けている。
まだ今のところ耳はいい方だが、滑舌も悪くなれば夫婦間の言葉の行き違いも増えてくるだろう。

夫婦の距離感

そんな私たち夫婦が一緒に生活できている要因は、絶妙なバランスでお互いを尊重し合える距離感だ。

このNoteでも書いたが、私は母屋のとなりの納屋に住んでいるので寝室も別棟だ。
朝は母屋に帰って妻が作った朝食を食べ、二人で30分程度のウォーキングに出る。

このウォーキング時の会話こそが、一日の内で妻と交わす主要なコミュニケーションだ。
その後はまた納屋にこもり昼食時に母屋へ帰る。

そしてまた納屋にこもる。
話がある時は妻が納屋に来るので「いらっしゃい」と言って迎えている。

このような絶妙な距離感が、今の私たちの仲をいい状態に保っていると言えるだろう。

定年退職後にずっと母屋で生活していたとしたら、こんなに上手くは行かなかったかもしれない。
顔が見える所にいる以上、言葉を交わす回数が増えるからだ。

言葉を交わす回数が増えるということは、妥協やそれに伴うストレスが増えて当然だ。
定年退職後に夫婦で車中泊旅をする人もいるが、私たち夫婦にはあり得ない。

日帰りでハイキング程度が関の山だ。
おそらくどこの夫婦にもそれぞれの距離感があるはずだ。

これからもこの距離感を保って、仲のいい夫婦であり続けたいと願っている。
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