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コミュニティを発酵させるにはどうしたらいいのか?

発酵させることと「コミュニティ」をつくることは同じだ。それに、「発酵させる」という営みは、組織やチーム、人との関わり合いということにも共通している。


発酵という現象は微生物たちの営みだ。

酵母やカビ、乳酸菌といったマイクロメートル単位の生物種が、お酒や漬物、醤油や味噌をつくっている。ぼくたち人類は、長い年月をかけて、発酵という技術を習得し、おいしい食べ物や飲み物をつくることに成功した。
だけど、ぼくたちは、彼ら一人ひとりをコントロールすることはできない。

発酵させるためには、彼らの特性を見極め、彼らの特徴に合わせた環境を整えることしかできないのだ。
統制された環境をつくることもできる。ある程度、自由度のある環境もつくることができる。

発酵中、どれくらい手を加えるか、それとも、彼らに任せておくか。
人は、彼らとコミュニケーションし、場を設計し、調整し、働きかけ、そして時にはすべて任せて、ひとつの醸造物を生み出す。


発酵で、人と組織、コミュニティの作り方を全部説明できるのではないか?

まったく違う分野の違う現象に思えた2つのことが、「つながる」感覚に、大きな喜びを覚えた。興奮で笑みがこぼれた。
その瞬間は、発酵デザイナーの小倉ヒラクさんと、コルクの佐渡島庸平さんとの対談のときだった。

佐渡島さんは人と人のコミュニティをどう作っていくか、運営していくか、なにが重要になってくるのかそういった観点から話、小倉さんは発酵という現象からそれにこたえていく。まったく異なる現象の話をしているのに、共通しているところが浮かび上がる。

まるで思想の交差点だ。びゅんびゅん言葉が交わされ、微生物の世界が見えるようであるし、コミュニティをつくるうえで何が大事なのかもわかる。

この、異分野が交わる特異点、交わる瞬間のおもしろさをなんとたとえよう。最高だ。
鶏肉と玉子で親子丼となっておいしいような、乳酸菌のキムチと納豆菌の納豆が合わせるとおいしいような、登校中ぶつかった女の子が実はあたらしい転校生だった偶然の再会のような、まったくうまいたとえができないが、その瞬間はほんとうに、楽しい。

この喜びに似た感情をどうにか伝えたかった。だけど、うまく書き出せず、時間が経ち、こうやって2週間が経過した。「発酵」させたことにしていたけど、いい加減、どうにももう少しで「腐る」のではないかと感じてきて、頭の中をかき混ぜて、PCに向かっている。

小倉さんはまた、こんな風にも表現していた、
“具体に、具体にと掘り進んでいくと、宇宙につながる。”
発酵文化人類学』の本の中でも、芸術と発酵の共通性について話をしていた。ものごとは相似形で、具体的にその行為を深めていくことで、世界が広がっていくのだろう。
こうやって学ぶことは楽しい。深く、深く進んでいくのも楽しい。横に、横につなげていくのもおもしろい。

腐りかけの文章は、ここで終わりにします。
ツイッターもやっています。発酵のことも、たまにつぶやくよ。こう見えて、微生物の研究していたからね。


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