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発達障害者の青春
先日「凹凸ちゃんねる」にて、
「発達障害者の青春」について、以下のようなTwitter(X)のまとめがありました。
「発達障害者の青春」について、Twitter(X)の発達界隈のコメント
【悲報】ツイッター民さん、発達障害の青春時代をたった一言で表してしまう…
まずは最初の投稿から。
発達障害の人の中高の青春時代って
「何も分かってなかった」
この一言に尽きない?
以下、最初の投稿に対するコメント⬇️
確かに勉強以外は何も分かってなかった気がする。
ほぼネットにつながるまでは
この世界そのものの大半を把握出来ないままだった
ネットが当たり前になったからこの世界の情報と自分の認識を擦り合わせて修正出来るようになった
中学入ってしばらく経った辺りで「何も分かってなかった」ことに気付くんだけど、急に変われる訳でもないから、結局何も分からないままダラダラと来てしまうんだよなぁ。
だからある意味Twitterって世間のことを知るいいツールだよね。 …
私の投稿も、凹凸ちゃんねるに採用されていました⬇️
興味関心については、10代に見合わない早熟なところもあったけど、青春の醍醐味とされる恋愛・おしゃれ・遊びなどの社交性やセンスは壊滅的だったな…
発達特性のせいもあるし、発達のせいで自己肯定感が下がりがちで「今ここを楽しめない」という後天的な原因もあったのだけど。
他にも、凹凸ちゃんねるには採用されなかったものの、私は以下のような投稿もしました。⬇️
中学時代の先生に「考えが深い」と言われたことはあるので、「何も分かってなかった」わけでもないけど…
— yully (@yullyart) April 25, 2022
思春期特有の人間関係が難しく、自分の内面も混沌としてたので、そういう意味では「何も分かってなかった」のかなとは思う。
内面はモヤモヤしてたけど、勉強に打ち込むことで誤魔化してた。 https://t.co/NO13IlQ0kw
ある面では色々達観していた部分もあるから「何もわかっていなかった」というより、正確には、発達特有の過度激動が強すぎて、何かにのめり込んだりぼーっと空想したりして「周りが見えてなかった」が妥当かなと。 https://t.co/NO13IlQ0kw pic.twitter.com/KcmrOwS8bT
— yully (@yullyart) May 15, 2022
発達障害者の青春時代の悩み
まとめてみると、発達障害者は青春時代に
このように感じていた人が多いようです。
・勉強以外は「何も分かっていなかった」
※主に対人関係・おしゃれの仕方・進路設計
※進路に関しては、自分に合ったロールモデルが見つかりにくくて不利。
・インターネット、特にTwitter(X)に出会うことで、世の中の解析度が上がった
※身近な対人関係で情報を得るのが困難だったり、ASD特有の「本質的な話」をしたいという欲求が叶うこともあり、同級生とはできない話ができたりとTwitter(X)が大いに役に立つことも。
・発達特性のせいで自己肯定感が下がりがちで、若い時を純粋に楽しめなかった
・脳内多動による空想癖、自分の関心事への過集中で周りが見えてなかった
・青春期特有の「多感さ」の出方が、周囲とズレていた
あとは、私も若い頃はそれなりに多感ではあったものの、「青春期特有の多感さ」の出方が多数派とズレてるようなそんな気もしていました。
周囲が対人関係のことで一喜一憂してる中、人の輪から距離を置いて哲学的なことを考えていることもありました。
「多感な時期」だったのは多数派と同じはずですが、「多感さ」の出方が自分ばかりズレてるような気がしました。
— yully (@yullyart) September 26, 2023
哲学思考が先立って発達し、自分の中に常にモヤモヤがあり、それを突き止めようと色々と勉強していた反面、心ここに在らずで対人関係のほうにまで気持ちが回らなかったような感じでした。 https://t.co/NO13IlQ0kw
※ちなみに、私が考えていた「哲学的なこと」は以下の通りです。⬇️
・何故か世間では「苦労は美徳」とされているけど、本当にそうなのだろうか?
・世間の規範では女性は美を求められて、10代の女の子でさえ、ダイエットや髪型、スキンケアに気を遣うことを求められるのに、いざそれをしようとすると、周囲の大人から「色気付いて」と言われるのは何故だろうか?
このような疑問は、Twitter(X)での対話で、
少しずつ自分なりに折り合いがつけられたような気がします。
私は「お前は苦労が足りない」って子供の頃に何度か言われたせいからか、自ら貧乏くじばかり引くお人好しになってしまった。 現世で徳を積むという日本人特有の哲学なのかもしれないけど、苦労を美徳にし過ぎると「幸せ恐怖症」に陥り、理不尽に耐える自分に陶酔するような卑屈な人間になってしまう。 https://t.co/KHWUURXgpB
— yully (@yullyart) November 4, 2017
まとめ
発達障害、特にASD傾向が強いと、「思春期特有の多感さ」の方向性も多数派とズレやすく、そこを理解されないことで、モヤモヤしたり、精神や社会性の成長に負の影響が出てくるところもあるかなと改めて感じます。
興味関心の方向性も多数派とズレやすく、思春期には同世代の流行りについてゆけず、コミュニケーションの機会の損失につながったり、対人関係を学ぶ上で何かと損なことも多かったりします。⬇️
私はASDの女性だけど、学生時代はまさに過剰適応でこんな感じだった。
— yully (@yullyart) September 18, 2021
同級生間の流行りの話題についてゆけず、興味関心がズレるため、自分の好きな話題について語ることもできず、言語化できない思いが蓄積して疲労やモヤモヤになってゆく。
まだ、その頃はTwitterとかも無かったですし… https://t.co/0DOIjz6CFd pic.twitter.com/g2LJyMPejY
発達障害、特にASDがあると、そういった理由から自分の殻に閉じこもりがちになり、ますます対人コミュニケーションが苦手になったりもしますが、上記の理由を念頭に置いて、多数派とは違うやり方で社会性を身につける必要もありそうです。
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