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詰め込み教育の産物「団塊ジュニア」

私は「団塊ジュニア世代」である。
年間出生率が200万人を超えた、第2次ベビーブームに生まれた。
戦後、日本の高度成長期を支えた団塊世代に育てられ、詰め込み教育を受け、受験戦争に耐え、バブル崩壊後に就職氷河期を味わった世代だ。

詰め込み教育で子どもたちは、ストレスを抱えていた時代。小学校時代、管理教育の影響で体罰はあたり前。着替えに時間がかかり、体育の授業に少し遅れただけで、先生に箒で力いっぱい叩かれ、授業中に私語でもしたならば、容赦なくチョークが飛んできた。私たちは抑圧の中で、とにかく大人に従うことを学んでいた。

その後、子どもたちは管理教育に反発したのだろうか。中学校時代になると、校内暴力は豪邸が立ち並ぶ閑静な住宅街にある私の学校にまで及んでいた。
学校では窓ガラスが割られる音が響き渡り、授業中に大音量のラジカセを抱えて廊下をスケートボードで走り回る男子生徒が大騒ぎし、教室内では煙草を吸う生徒がいて、床は煙草の吸殻だらけだった。煙草の火がカーテンに燃え移ったこともあった。
漫画を読んでいる学生もいれば、場所柄、当時高級品だっただろう小型テレビを持ってきている子もいた。彼が授業中に、先生の目の前で「笑っていいとも!」を観ていたことを今でも覚えている。


変形学生服の全盛期、男子は長ランから短ラン、女子も長いスカートから短いスカートへと流行が変化していった。
ボンタン(ダッポリとしたズボン)など通常とは異なる学ランを着た生徒たちは、不良と呼ばれていた。
彼らは先生を殴ったり蹴ったりと暴行を繰り返し、先生たちは恐怖と戦いながら授業をしていた。最終的に身も心もボロボロになり、精神病院へ運ばれていくこともあった。

校内暴力だけでなく、いじめによる不登校自殺も社会問題になっていた。
私の中学校では、同級生3人がいじめにより自ら命を絶った。
詰め込み教育と親の期待とで、私たちは心を病み、行き場を失っていたのだ。

俳優・穂積隆信の娘が不良少女になり、家庭が崩壊する様子を描いた「積木くずし」や舞楽者・原笙子の非行から立ち直る姿を描いた「不良少女とよばれて」などは、実話を元にしていた。
校内暴力、不登校、いじめ、家庭内暴力、非行、不良は、テレビの中のものだけではなく、私たちのすぐ身近なところで起きていた。

厳しい受験戦争を切り抜け大学に進学するが、その後のバブル崩壊も重なり、就職難。学校が終わった後も夜遅くまで、そして週末にも塾通いをし、必死に頑張ってきたにも関わらず、新卒で就職するのが難しい時代だった。


「詰め込み教育」から「ゆとり教育」へ。そして今、「ゆとり教育」から「脱ゆとり教育」へ向かっている。「脱ゆとり」は「詰め込み」でもなく、「ゆとり」でもない教育といわれる一方、「詰め込み教育」の再来であるという見方もある。

ドイツの学校はいまだに半日制だ。授業は午前中しかない。
究極の「ゆとり教育」ではないだろうか。


「詰め込み教育」を受けてきた私は、ドイツの教育を心から理解するのに13年という長い年月を費やした。この土地で2人の子を産み、育てる上で、自分が育った環境とまったく正反対のドイツ教育の良さを心底受け入れるまでに、悩み続けた。それほど「詰め込み教育」は私の思考に強い影響を与えていたからだ。

今の私は決して「ゆとり教育」が悪かったとは思わない。そして「ゆとり世代」に罪はないと感じている。
「ゆとり教育」の学習指導要領にある、『自ら学び自ら考える力などの「生きる力」をはぐくむ』、これは「詰め込み」と違い、数値では出しにくい上、成果が目に見えにくい。そして結果があらわれるまでには、膨大な時間がかかるのだ。

「ゆとり」が失敗とされる要因のひとつは、「ゆとり教育」を試みた大人が「詰め込み教育」しか知らず、「ゆとり教育」の本当の意味を理解していなかったことではないかと思う。

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