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ロシアの隣国ジョージアの今

こんにちは、ジョージアで親子海外生活2年目のゆうこです!!

今回は、私たちがジョージアにきた1年前と現在の生活での

大きな変化を綴ります〜

【この1年間での大きな変化】

■ロシアとウクライナとの戦争が始まった
■ロシア人に動員令が出た

地政学的にどうしても影響があるここジョージア。

国境が陸続きになっているため、「戦争が始まった時」

そして「ロシア人に動員令が出た」最近では

たくさんのロシア人がジョージアへ逃げてきた。


私はジョージアで2件のシェアハウスを運営している。

なので、この世界情勢の影響を瞬時に目の当たりにした。

ロシア人がジョージアへ逃げてきているという報道を知った途端

私たちのシェアハウスへ、ロシア人からの問い合わせが

立て続けに入り対応に追われた。

中でも、忘れられない予約がある。

クレジットカード決済が利用できないロシア人のゲストから

「今から部屋をみに行かせてほしい。」

とメールで問い合わせが入る。

「えっ、い、今からですか??」とふつうになったわけだが、

「今、向かっているから。」「あと少しで着くから待っていてほしい」

となんだかこまめに連絡が入る。

その他の部屋も、その日中にロシア人で満室になった。

その後そのゲストは相談しにきた。

「友達がロシアからジョージアへ今、向かっている。

リビングのソファーで、◯日だけで良いので1人宿泊を許可してほしい」と。

とにもかくにも、彼らは宿泊先確保に必死だった。

彼らに、「この先、どうするの?」と聞いてみた。

ジョージアの地方都市に行くか、トルコに行くか、

まだ全く決めていないとのことだった。

ロシアからジョージアへ車でたくさんの荷物を車に詰めて

逃げてきたロシア人ゲストもいた。

ロシアからジョージアへの陸路入国の道は、大渋滞。

一向に車が前に進まないとメールで連絡あり。

確かに、ロシアからジョージアへの陸路入国の道は、

Googleマップでも数日ずっと赤く染まっていたし

Twitterでもその報道は流れていた。

その間、こちら側は全面的に信用しており

ゲストを待つ姿勢でいたんだが、

「自分の宿泊する部屋は確保しておいてほしい」と

宿泊先確保に必死で、何度も何度も

懇願のメッセージが入ったのも切なかった。

そして彼は、予定日より4日も遅い深夜未明に

私たちのシェアハウスを無事に訪れた。

13歳息子の学校はというと、ウクライナとロシアの戦争が起きた翌日は

すさまじかった。

息子もその日は興奮して学校から帰宅し

学校での出来事を教えてくれた。

教室に入ると
『君は日本人だけど、ウクライナとロシア、どちらの味方なんだ?』と
即座に質問され答えを求められたのだという。

ロシアの国旗を画用紙に描いて破る上級生がいたり

休み時間には、黒板にみんなでウクライナの国旗を描き

私たちはウクライナを支援するとアピールしている。

頬にウクライナカラーのペインティングをして通学する生徒

ウクライナカラーの洋服を着て通学する生徒

ウクライナの国旗のバッチ

リボンなどを服やかばんにつける生徒もたくさんいた。

ロシアの動員令が出た後の現在(10/2020)

10/28クリミア橋の爆発報道があった夜
国会議事堂前


ある日のデモ



バザール(市場)では、ロシア人には、ぼったくりだろう!?

と思うほどの値段で野菜や生活用品を売り始めた

ローカルおばさんやおじさんを時々見受ける。

それでも、買うロシア人。

賃貸相場は、爆上がりの一途。

地元ジョージア人に貸していた大家さんは、

自国民を強制退去してまでも、

今までの2,3倍近く高い賃貸料で入居してくれるロシア人を

優先させるオーナーまであらわれたとの話も聞いた。

ここまでジョージア人が徹底的にロシア人を好まない姿勢は
2008年、ロシア連邦が軍事侵攻し、ジョージア北部の南オセチアとアブハジアの「独立」を一方的に承認した歴史的背景がある。

ジョージア人の友達に言わせると
ロシア人は、「もともとここは(ジョージア)私たちの国だったんだからとジョージア人をリスペクトせず、上からものをいうロシア人が多いとのこと。

私たちは、これまで数人のロシア人と親しくなったが、
みんな穏やかで誠実な人が多い印象。

悲しいかな、憎しみの連鎖はまだまだ断ち切れていない。

ジョージアの自国通貨GELは、私たちが入国した1年前は、

1GEL32円

現在(2022/10)は

1GEL52円

物価の上昇も少しずつではあるが止まらない。

これから先、いったいどうなるのだろうと不安要素が大きいことは

否めない事実だが、私たちはリアルに

貴重な経験だと思っている。


ウクライナとロシアの戦争が始まってすぐに

13歳息子と友人でスターリン博物館に足を運んでみた。

スターリン博物館は、スターリン死後4年後の1957年に

スターリンの故郷ゴリ地方に建てられ

ジョージアの首都トビリシから北西90キロにある。

スターリンを記念する世界唯一の公式博物館だそうだ。

13歳息子は何を思い、何を考えたんだろう。


ゴリ:スターリン博物館にて


ジョージア生活2年目に突入し、

世界情勢もさることながら

わたしたちの生活もこれまた激動・激変の予感しかない!

ここまで変化につぐ変化を綴ってきたが
ジョージアはそれでも治安は変わらず良いほうだと思う。

今年の夏、日本の高校生男子が夏休みにホームスティを2週間経験し
英語を学び、ジョージア人の友達を作り、
自然を満喫し、コロナにかかることなく、最高の夏休みを過ごしたことは
記憶に新しい。

子どもにも女性にもとても優しい国:ここジョージアで

さまざまあるが、変化に柔軟に対応し

13歳息子は、学びの目的意識を
しっかり育んでいける飛躍の1年にしたい!

日本人が圧倒的に選ばないレアな国・ジョージアに興味を持たれ
相談したい方は、ぜひご一報を!

メリットデメリット含めて、あなたのバックボーンと絡ませながら
アドバイスさせていただきます!

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