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紬(と苦笑)


「今日旦那様はあの方とご一緒にあの呉服店に行かれたそうですよ。」

「そうなのですね。」

「ついで、だそうでございます。」

「そう。」

私の面倒を見てくれているタネさんが、着物を拡げる。

「ずいぶんはしゃいでおられたようです。」

「そうでしょうね。」

「そうでしょうとも。」

何枚も反物を拡げて大はしゃぎする姿が目に浮かぶ。
あの人は本当に子供のような人だ。旦那様に甘えて、何枚も美しい大きな柄物を買ってもらったに違いない。

「新しく届いておりますよ。」

「そう(苦笑)」

紬だ。しかし、見た目には普通の小紋に見える。

白地にわずかに赤い花が散っている。後はせいぜい花を支える茎と葉が鮮やかに緑で染められているだけだ。

糸染めで織り上げて作った模様だ。

「紬には見えませんね。(苦笑)」

私の面倒を見てくれているタネさんが笑う。

糸が細く、目が詰んでいる。

「本当ね。合わせる帯がないわ。(苦笑)」

小紋なのだろうが、訪問着のような華やかさはない。

かといって普段着というには白過ぎる。

紬なので普段着となるのは間違いないのだが。

少し羽織ってみる。

背の高い私には一反では足りなかったであろう、とやはり苦笑する。

「帯は困りましたね。」タネさんが苦笑する。

「浴衣帯でも合わせましょうか(苦笑)」「まあ。」

どうせ帯もそのうち届くのだろう。

夏場だ。

「本当に困りますね。(苦笑)」

肌襦袢に少し羽織っただけで、帯は付けない。というより合わせる帯がない。

「芭蕉・・。」「芭蕉でございましょうね。」

着物屋の苦笑が目に浮かぶ。

「旦那様はいつお見えでしょう。」「今夜ではございませんか。」

「帯もございませんのに(苦笑)」

まあ、帯など必要もないだろう。お迎えするのにこの紬も必要あるまい。

あの方にお会いするときはどうせ足袋しか身につけはしない。

セミの声がする。

タネさんには緑色の石のついた帯どめが届いたようだ。

翡翠ではない。翠玉だ。

ほんの少し羨ましい。

「どこに付けていけとおっしゃるのでしょうね。(苦笑)」

それでもずいぶんと嬉しそうに笑っている。


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