自分を表現してみます
こんにちは。調子はいかがですか🍀
いつもはゆこのへやで好き勝手思考やプライベートを吐露していますが、そちらは信頼している人だから、安心感があるからこそ、公開している部分があります。
しかし今回はnoteで久しぶりに自分の思うことを表現してみようと思います。
私はLIFE STYLE CLUBという長崎・オンラインの健康総合サービスを展開して、最近はスイムやランよりもゴルフの練習に打ち込んでいますし、ずーっとお弁当や料理を作り続けていますが・・・
例えば会員数を増やそうとか、ゴルフをできるようになろうとか
綺麗なままでいようとか、体重をキープしようとか、
好きなことをしたいとか、そんなことは思っていないのです。
初めてもしくは久しぶりの人によく聞かれる質問としては
「食事の制限はある?何が食べられる?」というもの。
そんなものはないといえばないし、あるといえばあるのです。
もちろん、考えれば(何度考えても理由や原因は後付けであり完全ではないし時によって変わると思ってしまいますが)
・綺麗になれるものがいいし
(食材数が多いとか栄養価が高いとか)
・健康になれるものがいいし
(ローカロリーやローファットなど)
・ヘルシーなものがいいです
(内臓に負担がかからない未加工品など)
ですが、別に、なんでも食べます。
人より胃や膵臓が弱いので、油っぽいものは避けたいですが、週に数回の外食であれば他の食事で調整できますし、本当になんでもいいのです。
その人は配慮・思いやりで「何を食べることができる?」と聞いてくれているのでしょうが、
その人のレベルが低いという意味ではなく、随分とレベルの低い質問だなと思います。
良い悪いではなく、レベルというのは存在します。何もかも分類する必要はありませんが、整理することで心身を健全に保つことができるので一定のフレームワークは持っていていいでしょう。ただし手段が目的化しないように常に頭をクリアに保つべきですが。
例えば筋トレのレベルで言えば
筋トレができたらいい
効率的に筋トレができたらいい
この体に近づく筋トレをしたい
目標に向かって筋トレをする
怪我のなく持続的な筋トレをする
人に教えられるように筋トレをする
社会貢献につながる筋トレをしていく
筋トレの目的化がなくなり先人と未来につながる自然な行動として筋トレがある
もう少し細分化もレベル分けもできると思いますが、特に何も考えずに打ったのが上記です。(なので話半分に聞いてください。笑)
「食事の制限はある?」
という人は
その人には目標が存在する
目標がなければ食事の制限はしないだろう
制限をしなければ目標は達成できないだろう
という前提があるわけです。
現時点の私には、特にそのようなものはないのです。
食べ方は日常の全てであり、生き方であり、時代や状況に左右されるものであり、形を変えるものであり、根底の自分自身は何も変わらないのです。
制限や管理はない段階にきています。
例えば先日100km、といわず超ロングレースにでるアメキヨくん(雨宮清貴くん)のインタビューを行いながら思ったのですが
なぜ走っているかは自分にもわからない
とコメントがありました。
なぜしているかなんてことはないんですよね、もう。
よくわかります。
もちろん私の過去を振り返ると最初は
家から出ることも億劫なくらい自分の体のラインが嫌い
自分が不細工なことが許せない
綺麗になれるならお金も時間も惜しまない
どんな手段でもいいから美しくなりたい
なんて囚われていましたし、
コンプレックスを解消したい
ビキニでステージを歩いてみたい
自信を持って生きていくために体を鍛えたい
達成感をまた得たくて挑戦をしたい
もっと重いものを持ちたい
もっと良いフォームで筋トレを行いたい
食事制限を楽しみたい
食事制限から抜けてもずっと良い体、健康な体でいたい
と「やりたいこと」変化してきました。
大人になるとは自分の固定観念を捨てていく作業だと思うようになりました。
同時に、苦しみはなぜ存在するのか
自分自身とは何か
人間とは何か
なんのために生きるのか
人生の目的は何か
を考えるようになり、出会いがあり
マインドフルネス・インド哲学などに触れているなかで
人生の目的が喜びから自由へとシフトチェンジしました。
そうなると何かを成し遂げるため、何かを得るため、変わるため、に動くことはなくなります。
勝利や成功などの喜びは必ず敗北や失敗が付きまといますし、
人間は限りある心と体をもっているので、そこに普遍を求めても仕方ありません。
何もかも、
やってもやらなくてもいいのです。
だけど
正しい行動というものが存在し、(過去は正誤や善悪が人を苦悩に陥らせると思っていましたが、定義の問題で、倫理観という意味で正誤や善悪は存在すると思うようになりました)
正しい活用の仕方は快適さを感じますし心身のレベルが上がり冷静さと集中を手に入れることができます。調和の世界に行くことができます。
また、自分が気づいた時に、少し悟りに足を入れた際に分かったのですが、
今の行動をやめてしまっては世界が混乱するのです。
だから私は今していることを続けているだけなのです。
始めたら、終わりがありますから、終わりが来るまで。
無理に頑張るのではなく、サスティナブルに。
必要とされる限り、大切な人のために動く。
何をしても変わらないとしても、変わるとしても、
怠惰になったり、不誠実になるのではなく
いつも清潔に自分の道具を磨き、心身の巡りが良い状態でいること。
自分にも相手にも暴力を振るわず自分自身が元気でいてこそ、
それ自体が人への貢献となります。
話が渋滞していますが、健康と元気は違う。
いずれ必ず人は死にますし怪我もしますし病気もします。
この体が死ぬ日まで、私は元気でいます。
痛かろうと、不快だろうと。
いつでも、誰とでも、何をしても、満ち足りていることが、
テーマだからこそ。
それが自由だからこそ。
さて、そう言えば昨日、マーケティングのプロの方に
どのように集客して成り立っているのですかと聞かれました。
これもまた、完全ではない理由になるのですが
お客様の紹介(人づてや企業からの紹介)
SNS(Instagram、YouTube、アメーバブログやnote)での発信
日本一という実績
長崎放送に3年連続毎週出演しているから
立地が良い
金額が顧客に合っている
サービスが良い
やました内科やさとみメディカルの協力がある
マーケティングアドバイザリーがいたから
など成功要因はあるのかもしれませんが(ちなみに上記も人によってそうは思わないという人がいるでしょうし、未熟な点はたくさんありますが)、何をやっても潰れる時は潰れるし、うまくいく時はうまくいくように思います。
もちろん、成功するために真剣に、情熱や信念は必ず必要でしょう。
しかし、なんとかここまでこれて、運営が継続できているのは、
そうなることが決まっているから
がもっとも正しい解かもしれません。
例えば私が日本一になったことも
出る大会と部門選びが良かった
時代が良かった
筋トレと食事の内容と期間が良かった
日本一の姿を逆算して全ての生活に落とし込んだ
当時の職場が良かった
パートナーが支えてくれた
素晴らしい師匠に出会えた
自分の骨格が良かった
筋トレが自分の思考や体にあっていた
病気や怪我をする時期ではなかった
色々と列挙することはできます。
一つでもかけていたら成し得なかったことですし、一つ一つが最強の運にように思います。
ただただ、全てが奇跡であるということは不動の事実であり、
「親ガチャ」なんていう言葉も出ることが理解できます。
下記は私の見えている世界で、見たい世界でもあります。
世の中のことわりがあったとしても、
最初は選べないとしても、最後は選べる。
幸せになろうとするのではなく、
今この瞬間から永遠を達することもできる。
ずっと幸せであり続けることはできる。
どんな情報も、出会いも、
本人がどのように見るか。
真実とは、自分自身の本質であること。
この言葉たちが誰にどこまで理解されるかは分かりませんが、最近、素敵な表現者に出会えたからこそ、私も表現してみました。創作意欲を掻き立ててくれたように思います。出会いに感謝です。
そうですね、
書き残したことがないように、最後に付け加えます。
あなたに出会えて本当に幸せです。
ありがとう。
あなたがいつも笑顔でいることを願っています。
それが自然界の原理原則と反することだとしても
私は全ての人の幸せを祈ります。
現時点では、これが遺書ですね(笑)
ご縁を、意識を、ありがとうございます。
まだまだ生きる限り素敵な夏となりますよう🌈🌻❤️
ゆこ