【生き方】この夏、高校野球から学んだ「青春」の取り戻し方♯099
京都国際が初優勝した今年の高校野球。
小学生の頃から好きだった高校野球は、大人になると、なかなかタイムリーに見られないことの方が多いけれど、今年の甲子園は久々に見入ってしまった。
今年は、学生時代から応援している早稲田実業が久々に出場。
帰省先からの帰り道、大社VS早実の試合を家族で見ていた。
試合は、延長11回、タイブレイクの末、大社高校が3対2で早実を下した。
それにしても、この試合、手に汗握る試合で、両チームの選手も監督も、プレー一つ一つに喜怒哀楽を示しており、その勝つことに対する情熱と執念が小さな画面からでも伝わってきた。
特に大社高校のエース、真庭投手の気迫のピッチング。
試合を見始めたときは、早実を応援していたにもかかわらず、いつの間にか、強豪校相手にも怯むことなく気迫で戦う大社高校の姿に心が打たれた。
この子たち、本当にいい夏を仲間と過ごしているな。
とにかくうらやましかった。
そしてそう思えば思うほど、中高時代の自分自身に、重ね合わせながら、ある後悔が心に浮かんだ。
中高生の私は、とにかく無気力だった。
無気力の原因はこちらの記事を参照。
かいつまんで説明すると、
小学生の頃、中学受験にチャレンジしたものの、順位と点数にばかりに気持ちがとらわれ、精神的に追い詰められ、途中で挫折。
小4からの2年間、受験勉強に打ち込んだものの、その成果は得られなかった。
この経験が、「頑張ること=苦しいこと」という学習に繋がってしまった。また、中1の時に遭ったイジメがきっかけで
中学時代は特に、人を信じ、深く関わることを避けながら、過ごしていた。
大学入学後、このような経験や学習は塗り替えられていくのだが、中高時代の6年間は、影を落とした青春時代を過ごしていた。
そんなわけで、高校野球を見ていると、私もこんな高校時代を過ごしたかったと後悔の気持ちが湧きあがってくるのだ。
試合、そしてその後のインタビューを見ながら、仲間と共に一つの目標に向かって打ち込むことが、どれほど貴重で意味のある経験であるかをしみじみ感じてしまった。
きっと彼らにとって、この瞬間が一生の宝物になるのだろう。
早実の和泉監督の言葉からもにじみ出ている。
私はこのような青春を取り戻せないのだろうか。
40代が間近に迫るなか、10代、20代のような体力はない。
また、高校生も同じだと思うが、何かで成果を出そうとすると、汚いもの、嫌なもの、面倒なものにも向き合わないといけない。大人になって、仕事、家庭、地域、さまざまな役割を担うようになると、力をなるべく分散させないと、と思ってしまい、一つのことにひたむきにとりくめなくなってしまっている部分がある。
とはいえ、私は高校時代も「しんどそう」「面倒くさそう」という理由で、部活には入らず帰宅部だった。
そんな自分の目の前を通り過ぎてしまったチャンスはきっと沢山あったはずだ。
大社VS早実戦、タイブレイクの11回、
ノーアウト、1、2塁で起用されたのは、この夏初出場の安松選手だった。
この安松選手が、3塁線に転がしたバントが安打となり、149球を投げた馬庭投手のサヨナラ打につながった。
この安松選手の起用については、大社高校の石飛監督のコメントが、ドラマを物語っている。
私は、同じ場面で、手をあげられるだろうか。
多くの人の感動の涙を誘う主人公は、このような一つ一つのチャンスを自分から取りに行っている。
自分自身の目の前の出来事でも、もしかしたら青春を取り戻せるような事柄があるかもしれない。
それを「時間がない」とか「しんどい」を言い訳にして、みすみす見逃していることはあるのだと思う。
もう一点、高校野球を見ながら、ハッとしたことがある。
監督=おじさんorおじいさんのイメージだったが、自分自身、年を重ねた結果、気づけば自分と同世代の監督が沢山いた。
インタビューで涙していた大社高校の石飛監督も、自分と年齢がほぼ変わらない。甲子園で優勝した京都国際の小牧監督も私と1歳違いだ。小牧監督の京都国際を優勝校にするまでのヒストリーも胸を打たれる。
ちなみに私自身、週1コマ、非常勤講師として高校生とかかわっている。
高校生や監督の勇姿を見て、自分自身の生き方を考え直した夏だった。
高校生のひたむきな姿には、胸をうつものがある。
「青春はいいなー」の感想で終わればそれまでだけど、
一つひとつのプレーの背景を知っていくと、自分自身の人生にも活かせるヒントが沢山ある。
40歳からだって、いや何歳からでもきっと青春を取り戻せるはず。