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映画『市子』の市子が脳裏に焼き付いて忘れられないのは杉咲花が天才だからか

◆戸田彬弘監督にXから、いいね!をいただきました。ありがとうございます。


映画館じゃないのに……。
部屋で二回目の鑑賞なのに途中トイレに行けないほど釘付けになる。
市子に。
川辺市子。28歳。
演じるのは杉咲花さん。
『市子』を観て、その後、テレビドラマ『アンメット』を観て、その表情、単純に顔の違いに驚愕している。言葉を失った。

『市子の』舞台挨拶に出てきた女優杉咲花は、今どきの可愛らしい女子。『アンメット』もそう。
しかし、映画の中の市子は違う。
ブスではないが、「ちょっとかわいいかな」という程度の初見だった。

映画は大人の市子が、恋人からプロポーズをされた後、失踪。
物語は子役が演じる少女時代に遡り、高校時代から杉咲花が演じだす。
名前を偽り、性的な行為で彼氏を怖がらせ、雷雨の中で叫ぶ。
そんな様々な表情を見ていて、一気に持っていかれた。
良いも悪いもピュアなのだ。
北くんというクラスメイトがアイスクリームを食べてるのを見た市子の、「同じや」が頭がクラクラするほどかわいい。
今で言うあざとさがない。
同じのを買ったから、同じや、なのだ。
私は「この子を守りたい」という強い衝動にかられた。

守りたい。助けたい。付き合いたい。結婚したい。
登場する男たちがそうであるように。
市子は自分の過去がバレそうになると、愛する男、愛してくれている男から離れる。
忽然と姿を消す。
男たちは狂ったように市子を探す。その気持ちが痛いほど分かる。
幸薄い女。
しかも、社会的弱者。
悪魔、とも言われた。
「悪魔やな、おまえ」
市子を愛した男が罵る。それを聞いて薄い笑みを零し、なぜか会話が続く。
男に軽蔑された女が、目の前にいる男と会話を持つことは稀にしかない。再び会うこともない。
市子は、自分が悪魔だと自覚していたのか。悪魔と言われて仕方ない人生だと自虐していたのか。

だが、市子は悪魔でも悪女でもない。
「普通になりたいだけなんや」
これが市子の正体で、男たちが守りたくなる理由。
今の時代の強い女たちとは違う。
普通にも平凡にもなれない。
そして、

川辺市子にもなれない女。

川辺市子は日本という国に存在しないから。
そんな悔しくて狂いそうな哀しみが昔の日本には多かった。



舞台は1980年代から始まる。
場所は私も少年時代に住んだことがある汚い町。
私が大嫌いな町。

確かにいた。
市子のような女の子が。
日本人ではなく、日本人に見せかけるよう名前を変えていた女子もいた。
学校は、日本人じゃない彼女を追い詰めていて、私はひどい憤りを感じていた。
同じように、家庭環境の問題で苦しんでいた女子がいた。名前を変えている女子と同じ教室にいた。
父親を憎んでリストカットしていたクラスメイトの女子は、市子と同じ大阪弁で、市子と同じようにボソボソ話していた。器量も同じくらい。
好きだった。
私は彼女が大好きだった。
彼女から見て、私は北くんのような存在だったと思う。
「その歌、好きなん? わたしも」
そう声をかけられて、一目惚れをしたのだ。アイスクリームが「同じや」と一緒だ。
手首の切り傷を見た私は、
「なんでそんなことするの?やめとけ」
と、精一杯の男気を見せる。
「うち、お父さんが嫌いやねん」
「俺も嫌いだけど、そんなことはしないよ」
父の転勤で東京から大阪に連れてこられた少年だった私は、大阪に馴染めず苦しんでいた。話しかけてきたのは彼女だけだった。それが、市子が北くんに言った「同じや」の笑顔と重なって、私は市子に彼女の面影を見ていた。
市子も父親を憎んでいたのだ。
クラスメイトの彼女は言った。

「死んだらええのに、あいつ」

どこか無表情で、疲れ切った様子。そして手首の傷をセーラー服の袖で隠した。
「日曜日、ギター、見に行こうか。家におるの嫌やねん」
私の人生初めてのデートは、市子そっくりの女子だったのだ。
いたんだよ、あの時代のあの町には市子みたいな女の子が。
1970年代ならもっといたはず。
なぜか、怒りが込み上げてくる。
私が、クラスメイトの彼女に恋をしていたからか、時代、時代の闇を考察する知識が、大人になって身についたからか、それは分からない。

今の時代より自由だったが、大人が子供に対して横柄だった時代。
今の時代より自由だったが、命を粗末にしていた時代。
今の時代より自由だったが、自由になる権利がない人はとことん不自由だった時代。
その時代が、私の少年時代だったからか、余計に『市子』に感情移入してしまった。

演じる杉咲花さんが大阪弁が上手すぎるのは、以前に大阪の女の子を演じた事があるかららしいが、それでも完璧すぎる大阪弁。 ネイティブの共演者の人が驚くほど違和感がない。
監督の戸田彬弘氏が、川辺市子のキャラクターをどう杉咲花さんに説明したのか分からない。
物語の冒頭、彼氏からプロポーズをされて、この世の幸せを独り占めしたかのような笑顔を作り、しかし逃亡。
それ以外は、喜怒哀楽は薄く小さく、力なく、だが、『普通に生きたい執念』が体から滲み出ていて、市子はそのために人も殺す。
杉咲花はそんな難しい女を見事に表現した。スクリーンにいたのは杉咲花に見えなかったのだ。
清貧な暮らしをしながら、普通の女になりたがる普通の美貌の市子。
日本の映画を観て、こんな体験は初めてだった。
「これが杉咲花? 違う無名の女優さんじゃ?」
杉咲花が天才なのか。舞台から好評だった『市子』の脚本、キャラクター設定が唯一無二の出来だったのか分からない。
夏に特化した演出も見事。市子の汗や蝉の鳴き声から生命力を感じる。
浴衣に憧れる市子。それすら買えない生活環境だと分かる真夏のせつない情景。
普通の女の子たちのように遊べない市子の、その寂しさ、だがその『普通』にこだわる欲のなさがそれに気づいた男たちを狂わせる。

呼吸器を外すシーンと「悪魔」と言われて動じないシーン。そしてアイスクリームが「同じや」の顔が忘れられない。

ラスト、市子は何をしたのか。
その後、長谷川(若葉竜也)の元に戻ったのか。自分を知らない新しい男に乗り替えたのか。
謎のまま終わる。

私は映画で、「その後、彼女は彼はどうなったのか。それは観客の想像に任せる」作品が好きだ。
この例えは上手ではないが、ミステリーの主役犯人が逮捕されて終わりは好きじゃない。
刑事や名探偵が主役なら仕方ないが、殺人犯が主役なら逃げ切るとか、どうなったか分からない方がいい。
フランソワ・オゾン監督作品のように、反省したようで悪徳を続けてる女。「なぜ?まだやるの」と驚いたところで物語の幕は降りる。
最近の好きな作品、石原さとみさん主演の『ミッシング』もそう。
あの後、娘はどうなったのか。夫婦はまた幸せになったのか。
何も分からない。
分からないから、こう勝手に思う事が出来る。

「市子は幸せになった」と。




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