少年は泣かない男になった
母が父の本棚の中から、私が少年時代に書いたノートみたいなアルバムを見つけた。
旅の記録みたいなノートらしい。
書いたの覚えてないな笑
私は学校が嫌で中学生の時から、バイトでお金を貯めては一人で旅をしていた。カメラはその旅で独学で覚えた。
普通列車を乗り継いで、深夜になると無人駅の椅子で寝る。
大阪や三重県から、一番遠くて東北地方まで。
列車が無くなると、別の路線の駅まで歩いた。
食事は駅の立ち食いうどん。
小学生の時の友人と上野駅でも食べた。
小学生までは千葉県で育った私は東京の黒いうどんも平気。
そして…
大人になった私は、さいたま市のある町に家を建てた。
三重県にいる八十の母は、ノートを捲り驚いた。
有名でもないその駅の入場券切符が貼ってあった。
少年だった息子の私がバイトでお金を貯めると、夏休みや春休みに列車でどこかに行ってしまい、帰ってきてもどこに行ったのかも言わないから、母は私がどこで何をしていたのか、ずっと知らないまま月日は流れていた。
「あんた、埼玉の○○駅に何をしに行ったん? 切符があるよ」
「知らん。昔は東北線だったんじゃ?福島や秋田まで行ったし」
「そんなに遠くまで!」
「○○駅でなんで降りたんやろな、トイレか」
「不思議やな。あんた、そこに家を建てたんよ」
「神の御告げでもあったのかな」
「あんた、日本中のどこに行ってたん?」
「忘れた。そのノートに書いてないの?」
「後で読む。今になって怖いわ。よう生きとるな」
「駅で寝てた。お金が無くて」
母は田舎のお嬢様みたいな人。
家の周りしか歩かなかった。
父は生粋のサラリーマン。お酒とゴルフが趣味。
写真なんか撮れない。創作もしない。車の運転も出来なかった。
母校の自慢話ばかりの高学歴バカ。
「あんた、誰とも似てへん。誰の子や?笑」
「まだ言うか。100万回言われた」
嬉しそうに言う母。今となっては才能を開花させてるわけで、自分たちに似なくて良かったと思っているようだ。
私は電話を切って、部屋を見た。
自分の写真作品、ベストセラーの自分の著作、カメラ機材、スケッチ、絵画ポスター、イレーヌのシャツ。
積まれている文学の文庫や映画Blu-rayコレクションがある部屋。
――あんたは川で拾ってきたんよ
子供の頃から言われてきた。
傷ついた事はない。
それが自信になったからだ。
個性的で人と違うんだな、と分かった。
「あんたが小学生四年生の頃、アホ、アホ、言うてたけど、通知表見たら、5と4ばかりやった。なんでアホ言うてたんかな」
「ひどい話やな。でも、バカなことをしてたガキだったんだよ」
「そうやね~」
私は親から、バカだと言われて生きてきた。
たぶん、数年前まで。
今でも、真顔で「あんた、お父さんと違ってブサイクやね」と言われる。
少年時代は親の転勤で友達や好きな女の子と何度も引き離されて、拒食症になった。
「弱いからだ。病は気からだ!」
典型的な昭和の男である父に殴られた。
「食べろ!うどんが喉に詰まるはずないやろ!」
それでも、私は親を憎まず、「まあまあ、俺は大丈夫だから」と言う態度だった。
クール過ぎるほど感情を殺していた。
殴られても、翌週には父のゴルフに付いていき、母の買い物に付き合っていた。
私が泣いたのは、一度だけ。
急な転校でいなくなった私を、初恋の子が捜してると、前の学校の友達から連絡を受けた時。
「彼はどこのクラスになったの? なんでいないの?」
彼女はそう言って私を捜し回ったらしい。
「千葉県の学校に帰してくれ! ○○ちゃんが、俺を捜してるんだ!」
母はその事も覚えてないと言った。
父は寝たきりで口も聞けなくなった。
それでいい。忘れたまま長生きしてほしい。
息子の過去は忘れてほしい。
私は誰も恨んでないし、何があっても私が挫けないのは、あなたたちのおかげだから。
――人を憎むと魂が汚れる
中学生の時、友達に騙された私はそんな言葉を頭の中で創作し、その友達の名前も顔も忘れた。
嫌な事は忘れる。
忘れてないのは、仲良しだった初恋のあの美少女が、
「○○くんはなんでいないの?」
と、他の男子に聞いて歩いたと言う、青春恋愛ドラマのような話だけ。
登下校を二人でして、鍵っ子の彼女の家で遊んでいた。
クスクス笑う静かな少女。はにかむ、という言葉を彼女で覚えた。
彼女の肖像画が実家の蔵にある。
少年時代の私の唯一の哀しみがそこにひっそりと残っている。
普段は自己啓発をやっていますが、小説、写真が死ぬほど好きです。サポートしていただいたら、どんどん撮影でき、書けます。また、イラストなどの絵も好きなので、表紙に使うクリエイターの方も積極的にサポートしていきます。よろしくお願いします。